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仕事の上流下流とか、合うとか合わないとか

今日は、ちょっと忙しくてできていなかった、未来を作る会議?的なものを久しぶりにやった。
ミッションの策定から入ったこの会議だが、それについては、ほぼできてきていて、あとは表現の調整くらいでいけそうである。

同時並行で事業ドメインだとか、販促ツールとしての文章だとか、自社製品につながるような企画など、いくつか新しいことを始めていて、産声は聞こえないけれど、胎動はしているというところまで来たと言って良いと思う。概ねいい感じである。

これらの活動は、自分たちの想いや考えを発信することで、それに共感してくれる人やお客さんと付き合っていくのが幸せなのではないかという仮説、問題意識から始めたものであった(長い一文)。

そこには共感をベースに、仕事の始点ーー言い換えれば上流ーーから関わることによって、一気通貫したお互いにとって「良い」仕事ができるのではないかと思っていたからだ。

なのだけれど......。

実際に文章を書いたり、気になるイベントに出かけたりして行動をしてみると、その上流とか下流という考え自体が違うのかもしれないという気になってきている。

気にかけるべきは、単純にコミュニケーションの仕方というか作法なのかもしれない。
どの段階からどのように関わるのであれ、相手の話を理解して共有してその解決策を一緒に考えるっていうことを丁寧にやっていく。言葉にするとありきたりで陳腐だけれど、それが答えなのだと思う。

「コミュニケーションの仕方・作法」と書いたが、じつはこれは書き直していて「コミュニケーションのレベルが低かったのだなあ」と書いていた。
多分、レベルの高低ではなくて、いかに正直でありのままにコミュニケーションをとっていけるか。「姿勢」のようなものが問われているのだろう。上流・下流という位置のせいにするのがそもそも違うのだと思う。

そう考えると「合う」とか「合わない」も、過剰に空気を読みすぎたり、忖度したりして「正直に」コミュニケーションをとってこなかったことで「合わない」と感じていることも往々にしてあった気がする。

これはお互いにとって不幸なことだ。

すべての人と共感できたり、「合う」と感じることなどないのだから、「正直」にいくことを基準に置いてやっていきたい。

もちろん「正直に」を履き違えて、自分の主張ばかりになってしまわないよう、節度を持たないといけない。

まずは目の前の仕事でそんな「姿勢」を感じ取ってもらえるように、しっかり取り組んでいこう。


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