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「何故」だ、どうしてだ、と問うのが止む訳がない

「世の中には不思議な力が働いています。
それに何故かと問いかけても無駄かもしれません。
でも無駄とも案外言えないかもしれないですね。
人間はパスカルが言うように考える葦です。
神が世界に合うように人間を作ったのでないなら、
それは約束違いとも言えるはずです。
原理的に何とかなるようにできているはずと言えます。
が、物事を後から振り返って勘繰るのはいけないことだろうか。
いや、そんなことはないはずだ。
しかし、ウジウジしていても埒は明かない。
そんな時はどうすればいいのか。
とりあえず寝るのもいいかも知れない。
脳の使いすぎはよくないのだ。
悪くすると寿命を削るリスクがあるかも知れない。
しかし、寝ていてばかりいてもいいのだろうか。
果報は寝て待つものだが、
それは時間が掛かるからだ。
何もしなくてもいいと言う意味ではないと思う。
でも拙速なのもよくない。
だから変えるとすれば少しずつ拙速にならないように変えていけるなら、
変更したいことがある場合には有効だろう。
人がいうように人生はゲームのようなものでもある。
だから、何がよくて何が悪いのか、よく分からない時があるはずだ。
そんな時はどうすればいいのか。
やはり寝て待つのが有効か。
何かすればいいとは限らないかも知れない。
しかし、それは分からない。
そもそも因果関係は分からないのだ。
当事者であればそんなことはよくあることだろう。
客観的に見れば分かることでも、
自分の身に起きてみればどうだろうか。
実際にその立場にならないと分からないこともよくあることだ。
そんな時は感情的になってはいけないとわかっていてもそれはできないことでもある。
人間は野獣でもある。
動物の血が流れているのだ。
私はこれを丹羽宇一郎氏の著書で知った。
人間には動物の血がある。
だから、何を言っても受け付けないことがある。
しかし、これは短期で短気からくるものだ。
だから、普通ならあまりないことだ。
つまり悠長にやってきたなら、
そんなことには滅多にならない。
甘く見ていたなんてことになって
逆上してもそれからではもう遅いのだ。
諦めるしかないことはよくあることだ。
悪くても諦めるのを覚悟しておけば、
それでいいこともあるかも知れない。
何がよく働くかはよく分からないところがある。
つまり体験や経験がものを言うのだ。
だから、年長者の意見には一日の長がある。
それくらいは当たり前だが、
飲み込めないなら、
まだまだ若いのだ。
それはそれで仕方ない。
若くて未熟だから仕方ないと考えるのもいいだろう。」

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