「思うこと」は何でも許されるのか?
「原理的には許されるはずです。
日本国には憲法があり、思想の自由が謳われています。
またミルの自由論もそのようなことを述べていました。
彼は身体や思想の自由を主張していたと思います。
思うのは自由であり、勝手であります。
思ったことが伝染するとか、妄想すると考えることですら、人に悟られるのではないかと、
疑心暗鬼になり、辛くなります。
でも、テレパシーなんてあり得ますでしょうか。
そんなことは普通ではあり得ないはずです。
こんなことを言うとサイコだのどうだのという文句が聞こえてきそうですね。
これは横道に逸れているでしょう。
私たちは自由に生きることができます。
でも、他人に考えることの自由を保障できるかというと、それは微妙です。
相手によってはそれは相応しくないとか、
それは生意気だとか、そんなことが起きます。
差別や偏見は意外なところに潜んでいます。
それを取り除くことは難しいことです。
自負として、自分でも、そこから逃げられません。
そもそも自分をそこまで駆り立てるものもありません。
何を思うか、何を考えるかは自由でいい、
と思いつつも、そうはいかないケースを想定してしまいます。
それは本来のことでない場合もあります。
思っていたことと違っていても、
誤解だとしても、
衆心がそうだと言えば、もう覆すことは至難の業でらないでしょうかね。
何かを憶測でもそうだと判定されてしまったら、
それを間違いだとしても、
間違いがあると立証するのは難しいです。
またミルの自由論を連想します。
そのようなケースも論述されていました。
難しく考えすぎかもしれません。
誤認や誤審はあり得ることなので、
考えだすと恐怖も湧きます。
もし誤解を生んだらどうなるのだろうかと
戦々恐々です。
でも、もっとイージーに考えましょう。
自分の脳内で考えることは人には伝わりません。
だから、何を思ってもそれが口に出ない限り問題ありません。
頭脳を取り締まる権力なぞはいないのです。
でも、AIの進化があると顔の表情から、
感情や思っていることを読み取られることが可能になるかもしれません。
実際、人の社会でも気まずい思いをしたことがある人は普通にいくらでもいるでしょう。
何が問題で、何が問題でないか、
それは何でも差し支えなければ、
問題外とすればいいとも言えます。
その思想の自由が保証されているのは、
以前はそれはなかったと言う意味になるでしょうか。
思想犯が昔はいたことになりますね。
政治犯とかは日本ではもういないことになっていますが、海外では地域によって違いますね。
そんなことに思いを馳せて、この話はここで終えます。
最後まで読んで頂き、
誠にありがとうございました。」
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