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返事が来なくなった年配の友達

  嫌われたわけじゃないと思うけれどこちらから電話やテキストメッセージを出しても返事が一切来なくなったAさんという歳上の友人がいる。コロナ騒動の最初の年までは会えていたのを覚えているが、最近一年以上連絡がとれない状態が続いている。

  多くの共通の友人たちも私と同じ状況だが、1人だけAさんといちばん旧い付き合いの人だけが根気よく電話をかけ続け、家に直接行って本人が出てくるまで呼び鈴を鳴らし、留守なら帰宅するまでポーチで待ったりして捕まえている。私はそこまでの信頼関係がないので、返事が無くて行ったら迷惑になるんじゃないか、嫌われたくないという怖れが先にたってしまい会えないでいる。

  数年前、私が初めて出会った頃のAさんはとても快活だった。5人の子供のうちの最後の子が巣立った直後で、まだ前の家に旦那さんと犬2匹と一緒に暮らしていた。小柄な身体のどこにそんなエネルギーがあるのかと思うほどの行動力があり、片付けが抜群に上手。情が深いけれども合理的な考え方をするところが好きだった。北東部の州の出身で、少し前の世代の暮らしかた、たとえば食器は手洗いで熱湯をかけて布巾で拭き上げる、みたいなやり方で食洗機より数倍速く全て片してしまう。いつ行っても家の中は雑誌の北欧の暮らし特集にでも出てきそうなこざっぱりして居心地のよい状態。それが新鮮で私は彼女を断捨離の師匠と仰ぎ、彼女の家に行く度に「よーし、うちももっと断捨離するぞー。」とエネルギーをもらった。

  それから数年Aさんは周りの人間が戸惑うほど生き急いだ。「早く!早く!急がないと!頭が動くうちに、身体が動くうちに。」といった感じで、駆り立てられるようにリタイア間近の旦那さんの退職を待たずして自宅を処分して夫婦で高齢者施設に入居した。もうしばらく前の家で暮らすつもりだった旦那さんは突然の高齢者施設での暮らしに馴染めず家を出ていってしまった。お互いの認識のズレもあったのだろうか、あっという間に離婚になって旦那さんは故郷に帰ってしまった。ひとりでは高額な維持費が払いきれないと、せっかく買った高齢者施設の部屋を売り、Aさんは同じ町の小さなコテージ風キャビンに引越した。

  そのゴタゴタでうつ状態になっていた時、精神科の処方薬を飲むうちにAさんの手に震えが来た。薬を飲むのをやめても震えはおさまらない。クリニックでパーキンソン病の診断が出たAさんは子どもたちに迷惑をかけたくないと言ってものすごく落ち込んだ。もっと大きな病院で精密検査をしようと子ども達が促したがパンデミック中のことでなかなか手配が進まずセカンドオピニオンをもらうまで何ヶ月もかかってしまった。

  私が次にやっと会えた時に「私メイヨークリニックで検査したらパーキンソン病じゃなかったの。」とAさんが言った。あんなに先々を心配して暗い日々を過ごし、パーキンソン病の薬も飲んだのに誤診だったなんて。病気でなかったのがわかったのは良いニュースのはずだったけれども、それでタガが外れて気持ちがバラバラになってしまったのか、その頃からはこちらから連絡しても返事を一切返さなくなった。

  少しまえにやっとAさんに会えた人の話しでは家の中が埃っぽくて荒れた感じだったらしい。物が少なくてどこもかしこもピカピカに保っていた思い出しかない私は胸が痛んだ。もしかしたら頭の中がどうにもならないことになっているのじゃないか。会う人をギリギリ最小限までにしないと対応できないとか、そういう事なんじゃないかなと勝手に想像している。

  私より少し先を生きるAさんの身に起きたいろいろな事を思うと、自分たちもこの先人生どうなることかと不安になる。でも先を見込んで早め早めに対処したのに人生全然計画通りに行かないのも目の当たりしたので複雑だ。冬の日差しの中、自宅のダイニングテーブルでお茶を飲みながら無性にAさんに会いたいと思う。