中指物語
京都研修を後半にふくめた、寺子屋の夏休み二日目。
先月手術した指の抜糸をしに来ている松江で、町内放送の、正午の音楽が鳴らないことを物足りなく思う自分に気づく。
6月も終わろうとしていたある日、寺子屋で大きな真鯛のうろこをかいていたら、背びれが右手の中指に突き刺さり、めり込んでしまった。
血の気が引きそうな痛さをぐっとこらえてさばき続けた翌日、島の診療所で二時間かけて取り出してもらったのは長さ一センチほどの背びれ。なんと骨にまで刺さっていた。
戻ったらみんなに見せようと、うやうやしくガーゼにくるんで袋にまで入れてもらったのに、風の強い日で外に出たとたん吹き飛ばされた。
帰り道、白波のひかる海があんまりきれいだったので、名誉の負傷を記念写真におさめてもらう。
さも治ったかのような晴れ晴れとした笑顔で写っているけれど3週間後、西ノ島の病院で指をのばす腱が切れていることが判明。
傷口はふさがったのに第一関節で曲がったままの、しびれが残る中指を診てもらうと、大きな病院で手術が必要とのこと。
なぜ気がつかなかったのかと周りにあきれられ、自分でもあきれながら、ひとり本土へと旅立ったのが7月の終わり。
切れた腱をくっつけて、曲がった指をまっすぐに固定するためのワイヤーを入れる手術を受けた。
2か月後にワイヤーを取り出して、そのあとリハビリをするらしい。思いのほか、先は長い。 もとどおりに治る治らないより、焦りと劣等感で自分が腐らないでいられるのか、自信がなくなっていた。
わたしが島にいない間も季節は待ってくれないし、休んだ分だけみんなの経験値は上がっていく。
一年間しかないのに、けがをしたせいで見逃してしまうもの、経験できないことが増えていくように思えてもどかしかった。
漠然とした不安を抱えたまま帰ってきて早々、左手でのこぎりをにぎって流しそうめんの竹を切り、指をぬらさないよう気を遣いながら海に入ってもずくを探した。傷口の消毒に西ノ島まで通いつつ、離島キッチンと3回目の留学弁当もこなし、あれよという間に自分の担当回を迎えた。
せわしく過ぎる寺子屋の日々に、思い悩むひまなどないのがありがたかった。
病院へ向かうときの海はなぜかいつも、励ましてくれるみたいに輝いて。
ぼんやり眺めていると波立っていた心が凪いで、なんだかよくわからないけれど大丈夫だ、という気がしてくる。
急がずゆっくり、ときに前のめりに、がんばったりさぼったり、わたしなりに学んでいけたらいい。
抜糸と研修を終えて海士町に帰ればまた毎日、寺子屋でシェアハウスで料理をする。
忙しい忙しいとぼやきながら、きれいと思うものにいつでも素直に心を動かせる自分でいたい。
腐りそうになったときの自分へ宛てた手紙のようなつもりで、この文章を書いている。 みなさん、大きな魚を水洗いするときはゴム手袋を。
(文:島食の寺子屋生徒 佐野)