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英語の先生のできること 

-先生も英語だけじゃなくて、他の科目も教えられるの?

と、昨日、中学生に聞かれた。

「数学、算数、国語も教えるよ。」

というと、

―ま、算数は誰でも教えられるよな。

と、言うので、試しに算数の問題を解いてもらった。

すると、途中の問題が、その前の問題で自分が出した答えと何が違うのかがわからなくなって「2つ目の①がわからない」と言い出した。

項目は、「単位量あたりの大きさ」

実は、1問目は表を見れば答えが出る問題で、計算をする必要はなく、どちらの公園の方が混み合っているかを答える問題だった。

2問目で実際に計算して、面積あたりの人数を、3問目で1人あたりの面積を出すという問題だった。

彼は、1問目でどちらが混み合っているかを出すために計算で面積あたりの人数を求めたので、2問目が同じ問題だと勘違いして、何を答えれば良いか悩み、答えが出せなかった。

思い込みと、根拠のない自信ー

現代っ子たちの学びを妨げる壁となる、かなり大きな要素だ。

その思い込みが、今回のようにきちんと問題を読む習慣がなく、感覚で解く癖がついてしまっている場合もあれば、言葉の誤解や語彙の少なさから来ている場合もある。

noteを始めて間もない頃にも書いたけれど

言葉の思い込みは、笑えないこと、結構深刻だなと思うことが増えている。

そして、同時にこの生徒の問いは、この仕事を始めてすぐの頃に高校生に言われたことを思い出させた。

英文を和訳するにあたって、生徒たちが困っていたので、背景にある世界史について少し詳しく説明したら、

「英語の先生なのに、なんでそんなに世界史詳しいの?」

と、聞かれた。

そして、私は

ーむしろ、英語の先生だから詳しいのかな。

と、応え、説明をした。

言葉は、話されている場所の風土や文化を反映する。私は外国語学部を出ているし、外国で高等教育を受け、暮らしていたこともある。

そこで話される言葉を理解できれば、外国に簡単に行けて、平穏無事に暮らせるわけではない。言語習得というのは、その言語で、母語で理解し、していることができるということだ。一方で、振り返って、母語でも理解できないこともあり、触れたことも見たこともない物事もあり、わからないこともある。

言葉は、単なる道具だ。
外国語も、母語も、同じ人間が使うものだ。

そのことを、子どもたちにわかってもらえるまで何度でも伝えたいと思っている。

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