#650 行動主義→認知主義+社会構成主義

行動主義的学習観には欠陥がある。

人間は「条件付け」や「強化」によって、学習するわけではない。

ヒトと他の動物は違う生き物なのである。

また、脱文脈的知識を頭に詰め込んでも、人間はそんなに簡単に「転移」を起こすことはできない。

学校的な知識・技能を習得しても、日常生活で活用できるとは限らないのである。

それは「知識の領域固有性」が影響している。

「文脈が変わっても応用できる」などという神話は成立しないのだ。

だから、無意味に知識・技能を詰め込む教育はあってはならないのである。


そうして、認知主義的学習観が台頭してくる。

これは「知識は概念のネットワークにより、個人の頭の中で構築される」という考え方である。

そして、人間は「ただなんとなく学ぶ」のではなく、「意味」を求めて学ぶのである。

「意味」があることで、知識を深く理解することができる。

そして、概念的知識を構築していくことができるのだ。

しかし、認知主義だけでは限界もある。

人は1人では、学び続けていくことはできない。

必ず他者の存在が必要である。

また、共同体というコミュニティの存在も必要である。

このような、「他者」「共同体」を含めた「環境」との相互作用が必要である。

人間は、他者を含めた「環境」との社会的相互作用により、知識を構成していくことができるのだ。

これを社会構成主義という。

これからの教育では、上記のような「認知主義」と「社会構成主義」を土台として考えていくべきである。

「意味を重視した概念的理解」と「環境との社会的相互作用」。

この2つを中心に、教育を考えることは意義深いことである。

ぜひ、このような考え方で教育を語るようにしたい。

では。

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