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手をつなごう。

手をつなぐという行為を「充電する」と言っていたのは、僕の歳がまだ一桁だった頃。

その頃の僕らは、兄だけが二階に、父親と母親と僕の三人は一階で寝ていた。
狭い部屋に布団を並べて、文字通り「川の字」になって寝ていた。

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目を合わせればケンカばかりしていた両親。
毎日のように怒鳴り声が響く。
ケンカが始まると僕は、泣きながら兄ちゃんの部屋に駆け込む。
兄ちゃんはいつも笑って「ほっときんさい。」と言って、僕と遊んでくれた。

夜になると、僕は一階に下りる。
燻った焚火が時折不意に炎を生み出すように、落ち着いたかに見える両親のケンカは、どちらかが完全に寝てしまうまで終わらない。
とは言うものの、いつも先に寝るのはごく少量の酒で酔った父親なのだけれど。


残された母親は、父親の大きないびきと歯ぎしりにいちいち文句を言いながら内職に励む。
幼少の頃の母親に対する記憶はこの、内職をする姿が大半を占めるわけだが、毎日毎日、深夜までせっせと手作業をする姿を思い出すと、今でも胸が熱くなる。
そうして必死で稼いだお金を僕は貪り食っていたわけだ。


内職をする母親、いびきをかいて眠る父親の傍らで僕は、垂れ流しになっているテレビを薄目を開けて見ていた。
その当時の深夜番組は今のそれよりも過激で、性に目覚める前の僕ですらドキドキするものだった。
11PMのテーマ曲は未だに僕の脳裏に焼き付いている。

しばらくすると、いつの間にか僕は夢に掠われていて、夜も更けた頃、僕の隣に母親が横になる。


母親は決まって、僕の右手をぎゅっと握る。
僕はいつもそれで目が覚めてしまうのだけれど、そのまま寝ている振りをする。
そしてゆっくり、気付かれないように左足を動かし、父親の右足にくっつける。

母親の左手から流れてくるあたたかさを、僕の左足から父親の右足に伝える。

ケンカせんでね。
仲良く笑ってね。
ほら、よっくんが二人を繋げとるけぇね。

僕の「充電」はこうして一晩中続いた。

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あれから三十年以上経った今でも母親は、僕と別れる際に必ず僕の手を握る。
その手はあったかくて、なんだか懐かしくて、僕は一生懸命握り返す。
ごめんなさいや、ありがとうや、とにかくいろんな念を込めて握り返す。

回を重ねる毎に、年を重ねる毎に、だんだん骨ばってくる母親の手を、しっかりと握り、「充電」する。

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幼い頃、父親や母親と手をつないで歩いた記憶。
不安で不安でしょうがなかったけれど、手をつなぐとなんだか安心して歩けた。

例え目を閉じて歩いても、暗闇でも、安心して歩けたのは、手をつないでいたから。
手を伸ばせばそこに、あたたかい手があったから。
あたたかさが僕に、伝わってきたから。

そうか。

僕は「充電」してあげてると思ってた。
だけど逆に、「充電」してもらってたんだな。

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年々小さくなっていく母親の、皺だらけになっていくあの手を思い出すと、涙が溢れる。

この溢れた涙にいろんな気持ちを混ぜこんで、次に会ったときにまとめて送り込むから、ね。

だから、ね。

手を、つなごう。


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