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自分しか持ってないものの考察

自分の強みはなんだろう❓️
と自問自答しています。

なぜそんなことを考えたかというと、

絵が好きで描いたりAIアートを生成したりしてますが、

そういう人は山ほどいるし、AIの台頭でこれからもっと増えてくるものだから

自分が飾りたい絵が売ってなければ
AIを使えば自分で生成できる時代

趣味でやる分には苦しまないことだけど

それを仕事にしたいとなると
途端に悩みになってくる

困ったもんです。

そんな時に頭をちらつく言葉
「誰にでもできることを誰よりもやる」

そうか、それなら徹底的にやればいいじゃないとも思うそばからすぐに、それだけじゃ弱いと思っています。

なぜなら、AIでどれだけ個人でやっても
組織でやってる人達にはかなわないから。

だから個人事業主でやってる人達をとても尊敬する。

自分で価値を提供し続けて生きているわけだから。

ほんと凄いと思います。

それならば、僕の強みは何かと考えたら

本業ではないから沢山失敗できるところ

本業があるからいくらでも挑戦できるありがたみがありありとある。

失敗はたくさんできる強みは活かすとして、
その中でただやってるだけじゃ進歩しない

検証、改善の繰り返しでしかないのだと思う

地道な道のりであることは覚悟の上

ただ、闇雲にやってたんじゃ数撃ちゃ当たる精神じゃ甘すぎる

失敗でき環境にある以外に何か強みが見出だせないものか

自分しか持っていないものは、、、

自分で経験してきたこと。

小学5年生の頃描いた絵が県展に選ばれた

どうしても描きたかった亡き父の船の絵を精一杯描いた想いが伝わったのかもしれない


字が汚すぎて無理やり通わされた書道が10年続いた。

おかげで一生きれいな字を書けるスキルを身につけることができた。

ブログやインスタをずっと続けていけたことも考えると、続けることに関しては強みなのかもしれない。

強みとして「想い」「継続力」

それだけじゃまだ弱い気がする。

自分ならではの経験を絵に投下できないものか

そもそも何で僕は絵に拘っているのだろう。

好きだから、好きな絵を見るとワクワクするから

好きな世界が表現されているジオラマも見るとワクワクする。

ひとりでいれば何時間でもその世界に入り浸っていられるのだ。

時間に追われることが増えたから
入り浸ることが少なくなったけど、

端からみたらなんでそんなにいれるの❓️と思われることも平気だったように思う。

中古CD屋さんに何時間も入り浸っていたこともあったから。

悦に入る感じなんだろう。

そんな時間も好きだ。

入り浸る感じや集中力は人並み以上なんだと思う。
「集中力」も強み

「想い」「継続力」「集中力」

コレと決まれば全集中はお手の物らしい。


時間が許すのならジオラマ作りも絵も何時間でも苦じゃない

昔から図画工作が好きだから。

ないなら作ればいい精神でやってきた

体操やりたいけど学校にないから自分で作ったり、

大学でバドミントンやりたかったから
バドミントン部を作った

ジオラマも理想の遊び場を作りたいから
リアルで作れない分ジオラマに投下して作ってる。

絵本も作りたいから昨年作った。

そう考えると行動力はある。

「想い」「継続力」「集中力」「行動力」

これだけあれば何でもできそうだけど、
なんにもなってない原因として、

飽きっぽさがあるように思う。

熱しやすく冷めやすいタイプ

短期集中型でグワーっとやるけれど

一段落すると満足してしまう。

そして別のことをやるからまた一からのスタートの繰り返し。


ビジネスという答えが見えにくいものは
どうやら苦手なようです。

僕の場合ビジネスと捉えないほうがいいのかも知れません。

絵で何かしら賞を獲るとか
そういうので実績積んでいくのが向いてそうです。

手描きでもAIでも、表現したいものは何か

それは、見たい情景を視覚化すること

僕が見たいものは、カッコイイガレージだったり、子ども達が自由に好きに遊べるワクワクする空間だったり、絵になる光景だったりする。

どこにもないけれど、
どこかにありそうで
見ていてワクワクする

そんな世界を描きたいのだと思います。

それは、そんな世界を現実世界でも見たいから

その想いを絵にして視覚化することで

見えない想いを視覚化したら見た人と共有できる。

いいね~❗️
こんな世界を作ろうよと言ってくれる人と繋がりたいのだと思う。

なぜか
それが大人も子どもも楽しい暮らしにつながると感じているから。

自身の経験で
子どもの遊び場の少なさ
自由に遊べる環境の大切さ

これを強く感じてきました。

こども達がもっと自由に遊べる環境が作れないか

子どもへの罪滅ぼしのような感じでもあります

これは自分しか持っていないものではなく、
自分ならではの経験で感じた危機感です。


こんな暮らしがしたいという想いは
違う暮らしをしてから思うことが多い

それ自体は問題ないけれど、
どんな暮らしがしたいという明確なビジョンや想いがあまりなく

利便性や目の前の選択肢からとりあえず選ぶ人が多いようにも感じます。

そして、なんか違うよなと思っても
簡単に環境を変えられない人がほとんどなので、

どこかしら諦めのようなものがある。

本当はこうしたいという想いは
心の押し入れに追いやって見えなくする

結果その環境で子ども達も育つから
それを受け入れるしかなくなる

絵にはその眠っていた想いを起こすような
可能性がある気がしています。

僕は絵を通して、ワクワクする想いを想起させたいのだと思います。

ビジョンが視覚化できたら
共有できる

その想いが広がる一助になれるのではと思うのです。

長くなりました。まとめます。

僕は強みといえば

「想い」「継続力」「集中力」「行動力」
が挙げられますが、それだけだと精神論で終わってしまう。

自分しか持っていないものは、

望む暮らしを想い描けるビジョンアートであり

それが見えなくなってる人に届ける危機感を
希望に変える危機感なんじゃないかと考察しました。




















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