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28歳になりました。一つ決めました。

9月2日で28歳になりました。
FacebookやInstagramから、友人・知人の皆さんからたくさんのお祝いのお言葉をいただき大変ありがとうございます。
いつも周りの人に助けられてます、本当に周りの皆さんには感謝しかないです…ありがとうございます。

人は一人では生きていくことはできないことを毎日痛感していて、まだまだ全然恩を返せてない焦りだけが先行しています。

さて誕生日は自分の人生を振り返る日にしているのですが、ある決断をしたのでそれを忘れないように書き残しておきます。

◆決めたこと
◆決めたきっかけ
◆原点をふりかえる
◆逆境だからこそ勝負する

◆決めたこと

30歳までに粟島で事業をおこす

ということを決めました。30歳までには必ずやります。はい。
残り約2年、あと727日。この2年で、やるべきことをやり切り、やり残したことがないように進みます。ここに宣言します。

決めたきっかけ

大きなきっかけは、昨年8月にお亡くなりになった滝本哲史先生の著書『2020年6月30日またここで会おう』を読んだことです。

この本は本当に僕の背中を押してくれる一冊になりました。
伝えていることは、「結局のところ自分の人生、自分で考えて自分で決めるしかない。自分が正解だと思うことを試しなさい。アイデアには価値はなく、行動したものだけが価値があり、自分のやるべきことをやろう」ということです。(だいぶざっくりまとめましたが)

この本の題にある「2020年6月30日」とは、8年前の2012年6月30日に東大で滝本さんが講演された最後に、「自分がやるべきこと(do your homework)を決めて8年後またここで答え合わせをしよう」と最後に締めくくった、約束の日です。
僕は当時のこともこの約束の日のことも瀧本さんが亡くなられてから知りましたが、この本の締めくくりのように期限を決めないといけないと思いました。

だから、30歳を一つの区切りとして「僕だからやるべきこと、僕だからできること、僕だからやりたいこと」をもう一度みつめなおしました。

◆原点を見つめ直す

僕の原点は、やはり小学校・中学校時代だなと。

僕は、新潟県の粟島浦村出身で、小学校1年生くらいの当時は、平成の大合併の波を受けて粟島も合併するしないで島が大きく二分化されました。
そのとき「合併反対派」として村長選に立候補したのが、父でした。
結果的には4票差という接戦も接戦で、合併しない道を島は進んでいきました。

選挙のときって、親戚とか支援者の方が家に集まって、よなよな色々話してて、父が怒り狂ってどなり散らかしてたり、親やら親戚やらが泣いてたことが非常に記憶に残ってます。2階の階段で兄弟してビクビクしてて、本当にめっちゃくちゃ怖かった!

うちみたいな小さい島の中で意見が真っ二つに分かれたので、違う意見の親の子どもと遊ばなかったり、陰でいろいろ言われたりと。子どもは何も悪くないのに、親の都合で結構生きづらいこととかありました。

また、僕は小学校のころから歴史とくに日本史が好きでした。
るろうに剣心で幕末にハマって、そこから池波正太郎とかを読んだり、その時歴史が動いたのマンガを買って読んだりしてました。今度は第二次世界大戦の神風特攻隊とかに興味をもったりしてました。激動の時代を生きた人たちはかっこいいなって思ってました。

そういう幼少期があったから、地域のこととか日本のこととかすごく好きだし、興味があって、なによりも未来に何かを残すために頑張ってる人が好きなんだなって思いました。アツい人が好きなんです。
僕もそういう人を応援したいし、そっち側の人間になりたいっていう想いがあります。(松岡修造を好きなのもきっとそういうこと)

僕も幕末志士のような、激動の時代を生きてきた人たちのように、
未来の日本人に残せるようなものをナニカを残していきたいなと。

逆境だからこそ勝負する

今、日本って相当オワってるなって思っちゃったりするんですよね。
昨日、ユニセフから「精神的な幸福度」について各国のランキングがでました。

日本は、「身体的幸福」では38か国中1位なのに、「精神的幸福」がワースト2位なんです。
15~39歳の死亡理由の1位が「自殺」って悲しすぎます。これだけ若い人たちが死にたくなるような社会ってなんなんだと。まじでふざけんなって感じです。

GDPもコロナ影響もあり史上最大の減少となって、ますます日本は経済的・精神的に貧困化するんじゃないかと思います。

正直、「誰がこんな日本にした1?」って感じ。

でもこんなにどうしようもない国になっても、自分が生まれた国だし、好きな歴史や文化があるし、やっぱり勝ち目はあると思ってるし、やっぱり日本人としてこの国をどうにかしたいしかない。

でも日本全体を一気に変えるというのは難しい。
だから、粟島をフィールドにちっちゃいところから日本を変えるようなことをやっていこうと決めた。

粟島も決していい状況じゃない。そんなことわかってる。だけど、そこにも勝ち目はあると思うし、自分が生まれ育った地域くらい、自分の将来生まれてくる子どもには残しておきたい。

希望もなくて死にたくなるようなこんな社会だからこそ、

粟島という場所が、人の心の拠り所となるような場所になる。

人の可能性を最大限に引き出して、人が育ち、希望が生まれ、未来を描ける場所になる。

それが日本再興につながると思うから。逆境だから勝負に出よう。

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