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純密と雑密

元々、釈迦は呪術を護身以外に使うことを禁じていました。
しかし、仏教が発展していくとともに現実的な悩みに対処するために呪術を積極的に取り入れました。
そこから医学や天文学などの化学的な要素が初期の頃のインド密教に入ってくるようになりました。

それが中国を経て、奈良時代に日本に伝わってくるわけです。

日本には空海や最澄が伝えた純粋な密教である純密と、まだ未整理で真言などを唱える呪術的要素の強い雑密がありました。

仏教が日本に伝来したときは、蘇我氏と物部氏のような大きな争いがありましたが、密教に関しては大きな摩擦なく日本に浸透していきました。

奈良時代ではまだ密教は国家的な認定は受けていないものの呪術的な力が評価されていたため、役小角などのような山林修行者が多くいました。

そんな現世利益に対する力もあって、国家公認の僧侶も雑密を採用していきました。
そこから、さらに山林修行者にも新たな経典の知識が浸透していきました。
公認の僧侶たちも山林での修行を行う者も出てきました。

そんな時代背景があったからこそ、皇太子の病から朝廷に入り込んだ道鏡のような人物も出てくるわけです。
密教の需要が高まっていますから、空海や最澄のような二大巨頭も出てくるのは必然だったのでしょう。

発展するプロセスは歴史の中にあるものです。
多くの成果がありましたからね。
密教が重んずるのは現世に対する利益です。
ただオカルトを学ぶというのではなく、見えないな世界のことが人生にプラスになるようにしていきましょう。


これからも良い記事を書いていきます。