デカルト『方法序説』 解説と批評
今回は、私がYouTubeにアップしたデカルトの『方法序説』の解説動画を紹介する。今までゆっくりムービーメーカーなどは目もくれていなかったが、いざやってみると案外これが楽しい。それはそうとデカルトである。この作業の過程で『方法序説』を読み返していて、私がいかにこの本から多大な影響を被っていたかを自覚した。これはニーチェなど比にならないくらいの危険書であると思う。では、そんな『方法序説』とはどのようなものなのか、見ていこう。
デカルト『方法序説』解説動画その1~絶対確実なものを求めて~
『方法序説』とデカルト
デカルトが生きた時代のヨーロッパは荒れていた。宗教戦争の時代だったのである。特にドイツで1618年から1648年にかけて三十年戦争が発生していた。デカルトもまた、三十年戦争に従軍している。この時代の所謂大陸の「近世哲学」は、明らかにそうした時代を背景として生まれている。
『方法序説』はまさにその真っ只中、1637年に出版されている。デカルトは「絶対確実」なものの探究に生涯を捧げた人であった。そうしたものを基盤にして人生を歩みたかったようである。そうしてデカルトは、あらゆる試行錯誤の試みとして数学者でもあり、自然学者でもあった。まさにあの通俗的に「科学革命」と呼ばれる時代を背負って立った一人であったが、本人はそんな意識でやっていなかったであろうことは想像に難くない。
近代批判の開始以来繰り返し槍玉に挙げられるデカルトだが、世界の西洋化と軌を一にしてその影響力は今なお大きい。
『方法序説』というのは略称であり、正式には、
『理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学』
という。この500ページを超える科学論文集の序文数十ページが、『方法序説』として現在流通しているものである。この序説は親切設計で、文庫本でも100ページに満たないほどだが、デカルトによって全6部に分割されている。デカルト自身が、
「この序説が長すぎて一気に読みとおせないようなら、これを六部にわけることができる。」
と述べている。
また、本書は当時学者が用いていたラテン語ではなくフランス語で書かれており、それについてはデカルトが、
「自然の理性だけをまったく純粋に働かせる人たちのほうが、古い書物だけしか信じない人たちよりも、いっそう正しくわたしの意見を判断してくれるだろうと期待するからである。」
と述べている。
このように、本書からはデカルトの啓蒙思想家的な側面が明瞭に察知できるのである。
第一部~絶対確実なものへの焦がれ~
こうした宣言から本書は始まる。なお、デカルトの使用する「良識=ボン・サンス」とは「理性」のことであり、これをデカルトは「真と偽を区別する能力」であると規定している。しかし理性的な人々の間で往々にして意見は食い違う、なぜか。デカルトはそれに対して、理性の度合いに差があるからではなく、思考の筋道が異なるからだ、と答える。これがタイトルの『方法序説』の意味でもある。
こうした記述ののち、本書はデカルトの自伝的な内容に移っていく。
デカルトは幼い頃からイエズス会系のラ・フレーシュ学院で高度な人文教育を受けていた。そして、大人に言われるがままに、こうしたことを学べば人生に有益だと考えて、一生懸命学んだが、結果的に学業を終える頃にはその期待もすっかり裏切られていたと語る。というのは、当時のスコラ学的な人文系の学問だと、論争の的にならないような意見が一つもなかったということだ。そこで、デカルトは数学を好んだ。確実性と明証性のゆえである。
結局デカルトは人文学を捨てて、「世界という大きな書物」から学ぼうという決意のもと、旅立つ。ヨーロッパ諸国の遍歴である。
第二部~4つの規則~
第二部の冒頭でデカルトはドイツにいる。三十年戦争従軍のためである。冬になりデカルトは、炉部屋で孤独の中思索に耽り始める。
当時、論理学は煩瑣であり複雑であった。そこでデカルトは、思い切って、4つの規則で十分だと考えるに至った。
一つ目は、わたしが明証的に真であると認めないものは判断に含めないとする「明晰判明の規則」。この箇所でデカルトは、注意深く速断と偏見を避けることを自身に命じている。これは「認識論的懐疑主義」とでも呼べるような態度である。
二つ目は、問題となるものを最も細かな部分に分けて、一つ一つ検討していくという「分析の規則」である。
三つ目は、先に分割したものの中のより単純なものからより複雑なものへと順序よく考えていくというもので、「総合の規則」と呼び慣らされている。
四つ目が、思考の最後に思考した全体を改めて見直すという「枚挙の規則」である。
いかにも、デカルトらしい、確認をしないと不安になる性格だと思う。しかしこの炉部屋の思索当時、23歳であったデカルトは、まだ機は熟していないと判断し、哲学の原理を打ち立てるためにもまずは経験を積むということを自らに課した。
第三部~暫定的道徳~
第三部では、「当座の規則」「暫定的道徳」といったようなものが語られる。真理を探究している間中も、アクチュアルな人生は続いているからである。
第一の格率
まずデカルトは、キリスト教を守り続けることを宣言する。そうして、共に生きる人の慣習に、とりわけその中でも良識がありかつ穏健な人々に従うことを旨とした。
第二の格率
ここで出てくるのが「遭難の比喩」とでも言えるものである。
例えば、森の中で迷ってしまった人がいたとして、その人は、最初にいずれかの方角に歩みを進めたとして、その方角をぶらさずに一貫して進み続けるべき、というものだ。
第三の格率
そこでデカルトは、自分の自由になるものは自分の思想だけで、外界のものは全て自分の遠く力に及ばないものであると見做すことで、平静が得られると説いている。
格率からの結論
そうしてデカルトは再び旅立つ。
やがてデカルトがなにか哲学的真理を発見したなどという噂が立ち、それに応えるためデカルトは本当に真理を発見する作業に着手することになる。
デカルト『方法序説』解説動画その2~哲学の第一原理の発見~
第四部~哲学の第一原理の発見~
こうした書き出しで始まる第四部は、哲学史上でも最も重要とされる思索の痕跡である。デカルトは「真理の探究」を宣言し、以下のように思索を展開する。
絶対確実なものを探り当てるために、少しでも疑わしいものはすべて廃棄する、と。そうしてなお残る確実なものはないか、と。
この議論について他の著書でデカルトが挙げている事例として、
遠くから塔を見ると丸く見えたのに、近くから見ると四角である
というものがある。
或いは他の事例を用いると、トンネルの中で見える色、炉部屋の中で見える色が、白昼の光の下で見える色とは違うということを考えるとわかりやすい。そうすると、感覚は相対的だから、デカルトが求めているものではないことがわかる。
これは、数学という経験を想い起こしてもらうとわかりやすい。正解だと思っていたのに間違っていたということはよくあるし、そうしていくうちに自信がなくなってきた、というのはあると思う。
これが有名なデカルトの「夢の懐疑」である。皆さんも、一度は、実は自分は精神病で、今普通に生活しているように錯覚しているけれども閉鎖病棟の檻の中にいる、などと考えたことがないだろうか。或いはそうした類の洋画は数多くあるではないか。ともかく、デカルトはこれで自分の信念すべてを否定し去るのである。そうすると何も残らないように思える。
デカルトは、”疑っている間中も疑っている当のこの主体、これは何ものかでなければならない、よって、「わたしは考える、わたしは存在する」”と考えたようだ。
デカルトの時代は、古代懐疑主義の著作である『ピュロン主義哲学の概要』が流布しており、「私は何を知るか?」と自問したモンテーニュをはじめとして、懐疑主義が時代の雰囲気であった。デカルトはそれに対抗するため、疑うということをかえって逆手に取ったという戦略の次第である。結果的に、この認識論的懐疑の態度は、近世近代を貫く哲学の基本形になるのだが。しかし、デカルト自身はこれを出発点として活用したのであって、決して懐疑のための懐疑をしたのではない。
デカルトはここで自らの思索を検討する段階に入る。
まず、身体も世界も場所もないことは仮想できるが、だからといって自分が存在しないとは仮想できない。反対に、自分が疑っているというそのことから、<わたし>が明証性と確実性をもって存在することを信じることができる。しかし、ただわたしが考えることをやめるだけで、自分を存在すると信じる理由は霧散する。デカルトは、だから、わたしはひとつの実体であり、その本質ないし本性は、考えることである、と主張する。
ここからのデカルトの議論は奇妙である。わたしがわたしの存在を真だと見做していることの保証は、わたしが明晰判明にわたしの存在を真だと見做していることに依拠するから、一般規則として、明晰判明に真であるものは認められる、との帰結を導出する。結果的に、ここからのデカルトの議論は神ありきである。疑い=存在よりも認識のほうが完全性が大である。しかしそのような諸々の自分より大であるものの認識はどこからきたのか?神しか考えられない。
第五部と第六部
第五部は、真理の話はさておきとして、自然学的な考察、人間の心臓の話などに移る。
第六部の冒頭で、デカルトは、膨大な自然学に関する刊行著作があったこを打ち明けている。しかしガリレオ有罪の報せを受け、それを取りやめたことを告白する。しかし、この本書に関しては、人類の福祉の観点から、出版しなければならないという義務感にかられ、結局出版したという経緯が物語られる。
そうして、最後に、今後は世の役に立つ仕事をしようと宣言するところで文章が締められる。
この問題系に触れる中で面白い動画を見つけた。
総評
評論とは、一つの整合的な対象解釈の提示である。その他の付属物はいわばおまけのようなものであり、必付帯的なものではない。この原則に則って、私は『方法序説』およびその背後に蠢く「西洋哲学」という対象の解釈を試みる。
私は疑っているかぎりにおいて存在する。疑いをやめたとたんに私の存在は霧散する。これがデカルトの探究の結論であった。そうすると、私は、存在し続けるためには疑い続けなければならないのである。ある意味で、デカルトの内面において、考える、ということと、疑う、ということが、緊密に連携していた、或いはし過ぎていたといってもよいだろう。これは明らかにあの「西洋哲学」の伝統であり、そのラディカルな表白である。
こうした姿勢からは容易に「認識論」的態度が生起するが、こんにち的問題に照応させると、近代的自我による認識論は容易に反出生主義に結びつく。認識論と反出生主義の共犯関係である。
ヘーゲルの指摘は確かにカントの超越論的哲学に至適だが、自我の認識支配が基本形である点で、また、絶対確実なものを予め掴んでから生きようとする点で、デカルトにも該当するだろう。
こうした事態は、「先験的確認行為」として定式化できる。予めできもしない確認をしようとするのが、先験的確認行為である。
これが先験的確認行為の基本形である。これについて私自身覚えがあることとして、自身の、すなわち一人称の死というものがある。自己の死は先験的確認行為が効かない領域である。私は睡眠薬の過剰服用で死のうとしたことがあるが、その際にわかったことは、自ら死ぬことを先験的に確認することはできないということだ。だから、自分が死んだかどうか、自分がわかるということがない。ある意味、デカルトは「絶対確実なもの」の探究で、わかることがないことをわかろうとしている。或いはわかってもしかたがないことである。しかし、自らの自由意志とそれからのトップダウンとして措定された行為が自由であるならば、先験的確認行為による認識には意義が生じる。しかし、実際にそんな事態が起きるのかどうか、どうも怪しい。これが近代的自我への私の怪しみである。
すなわち、トップダウン型の人間観をあっさりと捨て去ることでこの近代的自我の神経症を脱却できるのではないか、というのが私の見立てである。そうではなく、わからないけれどもともかく宙吊りで進行していくという事態に慣れることが私の戦略である。それを馴染ませるためには、それなりの経験と場数が必要である。
2023年11月6日
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