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<教養=神化>するロマン主義-神話における自己意識の発生

an sichすなわち即自=活動態と神話の自己意識

 かつての西欧で「教養」に近しいような概念としては、「culture」があった。これはラテン語の「colere」由来であり、これは「耕す」という意味合いが強かった。

もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!

太宰治『正義と微笑』より

 ここで太宰が使用しているような、動詞として「カルチベートする/される」というニュアンスが元来の概念に近い。ローマの散文家などの用法がよく引用されるが、ギリシアと異なり農耕文明の様相の強かったローマでは、好んで使われていたとみなして差し支えないだろう。
 現在でもフランスは農業的な国であるが、その国の最大の啓蒙思想家ヴォルテールは、主人公がヨーロッパ中を放浪し最後に畑を得て落ち着くという筋書きの小説『カンディード』の最後に、主人公に、「いかにもおっしゃる通りです。何はともあれ、わたしたちの畑を耕さねばなりません。」と言わせている。まず、「自己形成」概念以前に、ヨーロッパにはこうしたヒューマニズム(人文主義)の伝統があったことを踏まえなければならない。だから、勘所としては、終には落ち着くのだから最初から定住的に落ち着いていればよいというのではなく、そこに至るまでの「遍歴」時代というプロセスが重視されるのである。

 18世紀後半~19世紀前半の西欧は革命の時代であった。Bildung=自己形成概念はそれによって形作られた面が大きい。デカルトやカントの適当な著作の冒頭だけでも読むとすぐにわかるが、彼らは「私たちは」から記述を始める傾向がある。「私たち」とは、すなわちホモ=サピエンスであり、デカルトの「良識(理性)はこの世でもっとも公平に分配されている」というテーゼに端的に宣言されているところの先入見の反映である。対してフランス革命後のドイツ、或いはナポレオン時代に活動したヘーゲルは、「いま・ここ」ということの考察から記述を開始している。そこから、ヘーゲルは一貫して「運動」を描く。『精神現象学』を読んでいくと、およそどの箇所でも「運動」という単語に出会わないことはない。ところで私は教授に倣ってヘーゲルを長谷川宏訳で読んでいるのだが、それはそうとヘーゲルにおいて既に、人口に膾炙している以上にのちの社会哲学が予告されているように読める。ドイツ古典哲学の鍵概念であるan sichは通常「即自」と訳されるが、確かに『精神現象学』の前半を読めば「活動態」と取れるように思われる。マルクスが大著『資本論』において。「人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから、人間は最初はまず他の人間のなかに自分を映してみるのである。」と述べているのはこのあたりの事情に該当する。すなわち、ヘーゲルは「「いま」が夜である」という命題の真偽が知りたいならば、すぐに紙に書き付けてみればよい、と書き付けている。しかし、その紙を半日後に見てみればよい、ということである。「ここ」ということでも事情は同様である。だから、その次第は「私」にも該当する。

 ところで、ここでマルクスが自己意識について語っていることに関して言えば、洋の東西を問わず神話に既に現代の精神分析に近い言説が散見される。
 旧約聖書『創世記』のエデンの園の箇所では、神が「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」と命じたのだが、結局、生き物のうちで最も賢い蛇の誘惑により、女も男も木の実を食べてしまう。その瞬間、「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。」と書かれる。これはまさにエデンの園ですべての木から食べてもよいという満たされた「完全円満」な状態から疎外され、自己意識が芽生えたことを示している。ところでここでは「蛇」が禁制の侵犯を唆したことがその原因となっている。この「はじまりの蛇」は、日本の神話にもみられる。原始仏教聖典でも「蛇」が最初の方に登場するように、この「はじまりの蛇」現象はいたるところにみられる。
 ところで通称されるところの『魏志倭人伝』によると、邪馬台国の女王卑弥呼は「親魏倭王」の称号とともに銅鏡百枚などを魏から下賜されたことになっているが、古代人にとって「鏡」は、たとえば幼児が鏡に興奮するような感性をもっていたのではないだろうかと思う。
 『日本書記』において「蛇」が有意味に登場するシーンがある。倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)の逸話である。彼女は天皇の大叔母であったのだが、三輪山=美和山の神である大物主神の妻になった。なお、この大物主神が三輪山を信仰する奈良県桜井市の大神神社の主祭神である。しかし、大物主神は昼は姿を現さずに夜だけ妻のもとに通った。そこで、百襲姫が姿が見たいと申し出たところ、大物主は、櫛箱の中に入っているから驚いてはいけない、と言い、承諾した。朝になって百襲姫が櫛箱を開けると、中に美しい小蛇がいて、「その長さといい太さといい、下衣の紐のようだったので、びっくりして声をあげて泣いた。」(『現代語訳古事記』)。そうしたところ、大物主は恥じ入って人の姿に戻り、恥をかかせたということで三輪山に帰って行った。百襲姫は後悔し、その場にしゃがみこんでしまった。そうしたところ、陰部に箸が突き刺さり死んでしまった、ということである。ここから、彼女の墓を「箸墓」と呼ぶようになった、ということである。墓は、「昼は人が作り、夜は神が作った」。

 これらの神話に共通していることは、彼女らは既に欲求が満たされた状態にあったということであるが、しかしそれでもなお「過剰なもの」を抑えられずに自己意識に関わるところの「恥」に襲われることになったのである。だから付言しておけば、短絡的に「罪の文化/恥の文化」ということは言えないのであって、「罪が入り込んだ」とされる聖書の場面には「恥」も同時に描写されているのである。そして、神に恥をかかせることは「罪」ではないだろうか。実際に両者ともに「死すべき者」としての「罰」を受けている。女性が陰部の痛みで死ぬというのは、「産みの苦しみ」に対応するということも示唆しうる。ところで、私は「産みの苦しみ」とはたんに出産のことだけではなく、その後の養育の苦しみや病みも含意していると解釈している。

 こうして我々は「いま・ここ」の自明性があくまでも幻想にすぎないであろうことを確認し、いまや即自態としての意識から自己意識に至った。この後の神話的な遍歴物語に関しては、私がヘーゲルを読み進めることによって徐々にその全貌を表してくるだろう。

2024年3月4日


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