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「感覚を研ぎ澄ます」

2020年が始まるとすぐに,世界が変化していることが目に見えて分かった。

それまで,「当たり前」と思っていた日常は「新しい様式」へと何事もなく移行し,
長い年月をかけて築き上げられた常識が,一瞬で非常識となった。
そして新たな常識が構築されていく。

その感覚は,東日本大震災での体験に似ているように感じた。

カチッと音を立てるかのように「世界が切り替わる」。

2011.3.11の夜。
電気は断絶し家の中は暗く,窓の外には雪がちらついていた。
呼吸をすれば,白い煙が口からワァっとこぼれた。
交差点の信号は役割を忘れ,ハイビームの車たちが何かに急かされビュンビュンと通り過ぎる。歩行者の存在は視界に入らない。

「危ない」と反射的に出た危機感は,
目の前の現実と変化した日常を受け止めずにいられなかった。

それから数日間は非日常的な生活となった。

給水車の列に10時間並び,2リットルのペットボトル一本に水を入れてもらう。
生活排水に使う水は近くに流れる川に汲みに行く。川には18リットルの赤いポリタンクを持った人が集まっていた。
カセットコンロや,電気を使わない石油ストーブで暖めたお湯を使ってカップラーメンを家族で分けて食べる。
下水施設の被災によってトイレの排水に制限がかかり,自宅の庭に穴を掘って簡易トイレを作った。
給水所からもらった貴重な水で,久しぶりにシャンプーをするも皮脂などの汚れが多すぎて,泡がまったく立たないが,とてもスッキリとした。
いつもお世話になっているお肉屋さんの窓ガラスが地震で破損し,仲間で手分けして片付けると,「このまま残っていても捨てることになっちゃうから」とコロッケやお総菜を沢山分けて頂いた。
馴染みのコンビニには,商品を持った人が並ぶ長蛇の列と,並ばず商品を持ったまま外に出て行く人がいた。
電波が回復すると,ガラケーには「情報」なのか「イタズラ」なのか分からないメールで溢れた。
身元不明者の特徴を記し,引受人を探すメールも沢山回ってくる。
親戚の家にはガソリンの発電機があり,数日ぶりの電化製品に感動した。
祖父母の家では使ってなかった井戸水を汲み出して,薪を使ってお湯を沸かし順番で風呂に浸かった。風呂水は濁っていて,落ち葉や不純物が浮いていたが,そんなことは気にならないぐらいに久しぶりの風呂は気持ちよかった。

今思い返すと挙げた全ての実体験は,物質的にも精神的にも感謝でしかない。
あのときの全ての経験が基となって,今の自分が存在している。

2020年から2022年10月の今までずっと,
東日本大震災と同じような危機感が続いている。

あの時だって,地震が発生するまではいつもと変わらない日常だった。

飛び込んでくる世界で起きている現状。
もう現実に起きていること。
確実に自分たちの国も危機に脅かされているということ。
本当に大災難に突入してからでは,手遅れだってことも分かっている。

「自分にはこんなことができます!」

が無いと生き残ることに大変な時代がもうすぐそこまでやってきているから。

例えば,「交通事故に遭って助かるために必要なこと」で考える。

1.危機感があってシートベルトをしていた人
2.危機感があったけどシートベルトをしなかった人
3.危機感が無くシートベルトをしていた人
4.危機感が無くシートベルトをしなかった人

全て同じ条件だとして考えると,4は確実に命を落とす。2はたぶん後悔の思いで命を落とす。3は助かったとしてもそれはラッキーでしかない。1だって死ぬ可能性はあるかもしれないけど他のどれよりも「生き残る可能性」は格段に高いと思う。

何事にも,想定して準備していくことで対応できる。


試験だというのに勉強しないで良い点がとれるか?
試合だというのに練習しないで良い結果がでるか?

どうしても勝ちたいとき,強い敵と最悪の状況を想定しておく。

そうすることで戦況はどうあれ自分自身が冷静に行動し,
結果を残すことができると柔道の試合から学んできた。

現状にも通じること。

どうしても「勝ちたい」のであれば,自分の身を底辺に置き,頭を下げて助言を聞くこと,人の話を聞くこと。先輩だの後輩だの,身分だの実績だのに縛られていたら勝てないから。

危機感を持って「己」を持った人間に頼られると,
人は必ず愛を持って対応してくれるから。

聞いて,考えて,学んで,考えて,実践して,考えて,教えて,考えて…
をひたすら繰り返していく。

自分という石をひたすら磨いて研ぎ澄ましていく。


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