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わたしのレッスンノート*目的*

・今日のおはなし

わたしの中心から〜
“今ここ”を活きる。

アレクサンダー・テクニーク
(自分のつかい方)を
分かち合いたく、綴っています。

アレクサンダー・テクニークの原理の一つに

目的意識(means a way)

というのがあります。目的達成の方法。

目的達成に走らないで〜
過程一つひとつをみていこうというもの。

わたしはこの原理を教わったとき
(20年程前)

そうだよなあと感じました。


というのも、学校教育から

目標をもって、
それに向けて一生懸命に頑張ること。
(久びさに表したなあ!)

がよしとされ、わたしもそれにのっかってきたのだけど、こころはつらいし、からだもこわれたことで、なんかヘンだぞ!と。

それに違和感や不信感がでて、
ムリをするのやめよう。と決めてきたから~

ただ、逆にダウナーというか
後ろ向きになりがちになり、
これも違うな…とも感じていました。

そんな経験からも
過程を一つひとつみていくことは
大切だよなあと思った訳です。


・ここからは、わたしの個人の思いです。

そもそも、“目的”ってこと自体が、あやしいなと。“目的”をもたされて、あるいは、もたなきゃとあせったりもしてきたけど、

わたしの内から湧いてきたものでなければ、自分からハナレたものを追いかけることになります。

夢や望みも聴こえはいいけれど、
履き違えるとおんなしこと。


日常生活の営みにあるルーチン
(ご飯を食べる、ハミガキ、着替え、お風呂、歩く、座る…)であっても

目的に走らず、過程一つひとつをみていく
ってことなんだろうけど、

わたしは子どもの頃からフシギだったなあ…
(今もだけど。^^;)

色んなことがもうすでにあることに。
(それぞれの文化や習慣)

それをどこかでぶっ壊したい(外したい)から

あたまがいいたいことではなく

からだの声をききたいから

アレクサンダー・テクニークに
惹かれてるのかもしれません。
(文化や習慣を壊したい訳ではない)


型にハマっているわたしを。
小さくまとまるわたしを。


あたまで考えた目的では、
わたしの枠(自我)を超えられない。


わたしの内から湧いてきた
声が聴こえるように

それをひろえるように。

ゼロから何か表せるように。

もう定められたものを
ひたすらくり返すのではなく〜


過程を一つひとつみていくことで
外していけるのでは…☆


2022/7/3,mayumi@kyoto

ひつようなひとにもとどきますように :)






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