HM・HRとイクイップメントの佇まい

開演前は幕が下りずにライトアップされてない生の楽器の姿状態が臨場感あってテンション上がります。

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わずかであっても照明等で演出されてない方が写真や映像で見てたアーティストの楽器がそこに「ある感」それが「来た感」があって楽器が置いてある現実とリンクしてこれから起こる出来事への期待と想像力を掻き立てるってやつ。

昔ライブハウスとか見に行ってた時ってそんなんやったし、一番印象に残ってるのが中間英明さん期のANTHEMのアムホール。
開演前の暗がりの中にストラトがアンプの壁の前にズラッと並んでてめっさ燃えた。
写真で見る中間さんのストラトがそこにある感。
「中間英明絶対間違いなくここに居るで!来てるで!」感。

今思い出したけど、従兄弟が昔シェンカー見に行った時に開演前にローディーがフライングVを持って出て来たらしくて、その瞬間会場がめっさ沸いたらしい。
たまらんわぁ。
シェンカーとVが生命を共有してる的な。

ロックとかギターってのは俺にとってはそういうもん。
音楽だけやなしにそういうのも含めて。

それがあって初めて「上手い下手ではない。」
になる。

演出ってのは演じるんだけでは無く、、燃える、楽しんで貰えそうな物をやらんとあかんのやけど、それにはやっぱり歴史を知ってる事も必要やと思います。
「その音楽らしさ」みたいな。
理屈では無く肌で知ってる感覚。
勿論それが全てではないってのは説明する必要もない事なんやけど
「らしさ」って「本物感」でもあると思う。

それが無いとやっぱり終わってします。
俺はそう思う。
そういうのを共有して共感させて共鳴させる的な。
単純やけど実は凄く繊細。

生のライブが!
生に限る!
音を浴びたい!

ってのもライブなんやけど、それだけでなく、そういう楽器の佇まい。
「スマホやPCで見た楽器がここに来てる感」
そういうの全部含めた空間の空気感とか。
ステージ上の奥行き感とか。
もうすぐ出てくるわ!みたいな。

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佇んでるアンプの壁がまもなく火を噴いて叫び出す前の姿は幕があったら感じれない。
置かれてるストラトから床のペダルを経由してアンプにプラグインされてる様子が見えるわけです。

それを想像してあげていく時間が開演前なんです。

そういうのって子供の頃ライブハウスで見て来手感じたし、今も匂いとかも忘れてないし、感じる人って居てると思う。
そういうのも含めて「楽器が上手くないとダメ」なHR/HMならではでもあると思うし
俺は忘れたくないですね。

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俺は開演前の幕はいらん派なんです。
対バンで転換必要な時は仕方ないにしても、あんなもん臨場感も何もあったもんやない。

開演前に幕降りてたらガッカリする。
ライブハウスは生演奏を見せる、聴かせるだけの場所とちゃう。

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