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15年後、僕の家電の買い方は変わっていた

15年前のテレビが昨日壊れた。
その直後スマホでAmazonへアクセス
5分後、テレビをポチり
翌朝10:00にはテレビが届いた。

正直、15年前にテレビを買った時とは雲泥の差。
普段Amazonパントリーでテッシュや野菜ジュースを買う労力とルーチンと何ら変わりもなかった。感動も期待もしない。ただ、壊れたから買い換えた。

家電量販店で他社と画面を見比べることもなくテレビを買う。メーカーは画面の綺麗さをイタチごっこのように競い合っている。けど、僕という消費者には1番の強みを比較されることなく買われてしまう。

これって恐ろしい、、

自分の好みをスマホに入力して検索すれば、数秒で該当製品が見つかって買える状態になる。加えて、購買意欲をかきたてる要素、「今壊れている」という痛みを抱えている。

痛みからはすぐに解放されたいものだ。
ましてや、僕だけの痛みだけではなく、家族みんなが不満に抱え、その痛みは僕に集中している。

要するに、僕は早くテレビを買いたかったのではなく、はやく痛みから解放されたかっただけなんだと気づいた。

そして、選択する場所も価格も妥当。
もはやテレビは僕が持っているiPad ProやiPhoneよりも安い。大きいからって家電量販店に行ってワザワザ悩んで、交渉して買う必要がまったくない。

だからすぐ買う。
結果、一瞬で痛みから解放されてメチャクチャハッピーだ。

加えて、テレビに対して「期待」していないからこそどんなテレビが来ても大満足だ。

期待値は幸せを感じるためのコップだから、それをはじめからものすごく下げておくことに意味がある。僕の今回の期待値コップの大きさはヤクルト程度だ。
だから、翌日届いたことだけでも大感謝。ありがたすぎて涙が出る。

お金があっても幸せ感が薄い
と、よく聞くが、それはただ単に自分自身で期待値のコップをビールジョッキくらい、、いや、樽くらいに大きくしているんじゃないかな?そして、一度大きくした樽はそう簡単に下げられないからタチが悪い。
けど、それを決めるのは周りの尺度じゃなくて自分自身だから期待値コントロールはできると信じている。

ただ、何でもかんでも期待せずクールに生きるのも寂しいから、子供の行事とかは思いっきり期待しちゃいたいな。

要するに、モノへの期待値は下げまくって、コトへの期待値を上げまくることに楽しみを感じたい。

#家電 #ガジェット #日記 #エッセイ #ビジネス #マーケティング #行動経済学 #購買行動 #テレビ

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