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お客様から頂いていたコト

どうもね!ありがとうね!いつも助かるよ!今度いつ来てくれるの?

早く直してくれ!みんな待ってるんだよ!返品するぞ!もういらない。上司呼んで来い!

これは、ぼくが十数年前体験し続けたお客様の声。毎日忙しいなか嵐のように浴びせ続けられ、この「お客様が与えてくれる価値」について深く考えたことがなかったな。
今年度、ぼくの希望で社内転職レベルの場所へ異動した。そろそろ1年経つ。
現場から一転、より経営に近い部署だ。なんだか何でもできそうだし、何がどれくらいできるのかモヤモヤして混沌とした場所。やり方一つで明暗は大きく別れる。
この場所は、基本的に毎日お客様に触れない、呼ばれない、怒られない、褒められない。
個人が会社というハコの中でカタカタと無言でパソコンを打っていれば1日がすぎてしまう場所。多部署や上下間と会議で議論することもあるけど、そこにお客様はいない。けど、みんな「現場はね」「お客はね」とまくら言葉を重ねながら自分の意見を尊重してもらおうとしている。社内の誰かに自分を認めてもらおうと、自分の価値はすげぇんだぞ!とみんな「なにものか」になろうと前のめりだ。
なんでみんなそんなにキラキラしようと無理してるんだろう?

そんなことを新部署に移ってからよく考えていた。

そしたらとっても単純すぎることに気づいたんですね。
ああ、そうか、お客様に毎日会わない仕事って、毎日誰からも「承認」されないことなんだな、と。
だから社内というハコの中で働いている人たちは「お客様」というカテゴリーが目の前にないから社内の「だれか」に「承認」されたくてグイグイ来るのだと。むしろ、お客様を知らない中で仕事をし続けると「グイグイ来る」「こなす」「無関心」「惰性」というように組織が分かれているように見えた。
で、ぼくも1年経ちそうになって、最近働く目的がブレてきているな、と危機感を感じていたんです。

この部署の◯◯さんには敵わないな、けど、ここは真似しよう。
ああ、こんな風に仕事をこなせばいいのね
この企画を通すにはどんな風に上司が好む文章にすれば良いかな。

一見、部署に適合して、仕事を円滑に回すためには、我ながら優等生的な動き方だったんだと思う。

けど、なんだかおかしい。
あれ?なんでぼく、脳みそのリソース社内の人のために使いまくってるのかな?
毎日お客様のことばかり考えていたのに、上司、同僚、人間関係、立ち位置、ぼくの価値、そんなことばかり考えるようになっていた。

ああ、これが朱に交われば赤くなる現象か、危ない危ない、ここで言語化しておかなければ見事に染まる一歩手前だった。

では、どうしようかな?

で、現段階の結論は「誰かのようになろうとしないこと」に決めた。

やっぱりね、ぼくはぼくなんですわ、
誰かじゃないんだよね。
色々な素晴らしいひとを尊敬するし、真似もする。けど、その人のようになろうとすると一気に劣等感で潰されそうになる。

真似と、擬態は違う。

真似は、その事象を切り取って拝借して、自分好みに味付けして新しいコトに変えていく。
だれかになろうとするのは「擬態」。
表面上は似てくるかもしれないけど、中身は違う、むしろ似てない、同じこともできない、同じ効果も期待できない。けど、見た目が似ているぶん、まわりからはだんだん期待されてきちゃう。だけど、「擬態」の皮は簡単にはがれちゃうんだよね。

で、話は最初に戻るけど、お客様の存在って毎日自分を「オリジナリティあふれた、ぼく」にしてくれた貴重な関係だったことに気づいた。

自己啓発本を読んで、先輩の真似をして、上司の助言を聞いて色々な材料はそろった。
それを毎日ぼくがこねくり回して料理してお客様にぶつけてみる。反応がある。承認される。また次、違うことをやってみたりする。その繰り返し。
けど、その繰り返しがぼく自身を形成して、お客様という「反応」があるからこそ、嬉しいことでも辛いことでもその「反応」にぼくの存在自身が助けられてきたことに気づいた。
目の前に反応してくれるお客様がいること、毎日会えることって、それだけで心底感謝しなければならないことだと思った。
それは、お客様がお金を払ってくれるとかではなく、人と人の些細な交流がお互いを承認しあい、感情ネットワークを形成してくれていたんでしょうね。

「反応」と「承認」って、心の食事のような気がするんです。
だから、ITベンチャーが社内で親切にしてくれた人に「いいね」を送れるアプリを開発したなんてニュースも出てくるんだと思うんです。
もっとみんな認められたいんですよね、
単純にありがとうっ!て毎日一言でも言われると嬉しくて踊りそうになっちゃう。

ぼくは十数年間、毎日「反応」と「承認」の渦の中にいた。それが当たり前だった。だからそれが急になくなった時、寂しさを感じていた。そして、その反応や承認を社内に求めようとしていた。

社内の人はそんな簡単に認めてくれない。だからお客様からもらっていた毎日レベルの反応と承認を得ようと思ったら、ちょっと方向性の違う社内でよくわからない勘違い君になるかもしれなかった。

けど、みんながみんなお客様と接する部署にいるわけではないし、そんな環境知らずに働いて
一生を終える仕事なんて山ほどある。むしろ、お客様に会うのが嫌な人だってたくさんいるだろう。

大切なのはお客様が与えてくれる反応と承認の総量と、社内のみに存在する反応と承認の総量は同じではなく、後者の方がビックリするくらい少ないということ。

だから社内の人たちが「グイグイ来る」「こなす」「無関心」「惰性」というようなカテゴライズされてしまうように、反応承認不足難民は山ほどいると思う。

かといって、先ほどのようなITベンチャーのサービスを活用しようとか、みんなでありがとう言い合おうぜ!ともなんか違う。必要だとは思うけどね。

突き詰めるところ、自分で自分をもっと承認してあげてもいいんじないかと思うんです。あまいかな?いや、いいんじゃないかな。

どんな仕事でも、その点は何かにつながっているんですよね。毎日一言も話さずExcelをいじりまくっていても、その作業は会社組織やどこかの部署の誰かのために役立っている。そのデータを利用して組織は回っている。

また、いつもビルを掃除してくれる業者さんもぼくらとつながっている。毎日、まわりを綺麗にしてくれているから気持ちよく仕事ができるし、他のことに意識を回さなくていいから別のことに集中できる。同じ組織に属していなくても必ずその行動は「誰かのために」つながっているんですよね。

だからですね、ぼくは、ぼくのために承認することに決めました。

ただ、反応と承認の素晴らしさはこの部署にいる誰よりも知っていると言いきれるので、誰かがぼくのためにしてくれたことや、頑張っていること、些細なことに気づいたらしっかりと反応して「ありがとね!」と声かけてみようと思う。

そして、ぼくはおせんべいがとても大好きなんですけど、毎日頑張ったご褒美として、おいしいおせんべいをかぶりつき、ボリボリ音を立てながら今日の自分を承認してあげようと思う。

だからね、今、お客様と毎日顔を合わせてお仕事ができている人たちはとっても幸せだと思います。辛いこともあるけど、どんなことでも「反応」してくれるってとっても大切。

今日はどんなゴツいおせんべいを買おうか。
働く前から自分を承認したくてワクワクしている。

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