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[読書感想文] 『これまでの仕事 これからの仕事 ~たった1人から現実を変えていくアジャイルという方法』

日付変更と同時にGihyo Digital Publishingで電子版を購入しました。結果として非常にお薦めしたい内容でしたので、推薦文と感想文を兼ねてnote投稿します。

要旨

  • 読者の(仕事を通じて失われつつある)「人間としての健全な感性」を取り戻すための書だと感じた。

  • 違和感を抱えながら現実に立ち向かう読者一人ひとりに、現実に介入する勇気とそれを裏付ける武器(戦術)の両方を授けてくれる書だった。


本書の特色(お薦めする理由)

「一見あたりまえのことだが、多くの人が陥っている」問題を抉り出したこと

人間として健全な感性を持っていれば「何かがおかしい」と感じるであろう問題。言葉にしてみれば「そんなの当たり前じゃないか」と言われそうな問題。こういう「頭では解っていても現実では悪い状態に陥り、違和感さえ麻痺している」自分に気付かせてくれる書だった。

現状(From)と目指す姿(To)だけでなく「From > To」(移行)を誠実に書いていること

ギャップをどう乗り越えていくのか、という具体的な算段がなければ、どれほど素晴らしいToを描いたところで妄想でしかない。

本書P40

この言葉の凄さがわかるだろうか? 理想像(To)は自分の理性と感性だけで描ける。が、現状(From)はそうはいかない。ままならない現実、苦しい現実から目を逸らさずに「付き合う」「面倒を見る」姿勢が凄いのだ。この実着で健全な姿勢を持ち続けるのは並大抵の努力ではない。

「こんな馬鹿どもに付き合っていられるか」と言って現状を無視し、理念(To)だけで駆け出すのは楽だが不健全だ。なぜならば、どんなに優れた人の理性にも限界はあるのだから。

現代のほとんどの業態や業種に適用できる汎用性がある論旨にもかかわらず、現場を見ている様な現実感があること

著者の著書群に共通する良さとして「絵空事でない現実感」がある。私はこれを「現場の匂いがする」と表現している。現場の洞察と抽象化の両方が優れているのだろう。抽象化された論を読んでいるだけなのに、自分の過去の具体的経験が次々に浮かんでくる。現場の匂いの感じ方は読者の経験値に依存するかもしれないが、現場経験が浅い読者にも良い予習になるだろう。

また、本書で紹介してくれている武器(戦術)は汎用性が高いものだ。読者一人ひとりが立ち向かう現実は多種多様であり、戦略も人それぞれだろう。どんな戦略を選ぶにしても、手元に置いて損はない武器がここにある。


『これまでの仕事、これからの仕事』を自分の言葉で捉え直すとしたら

本書の表題を自分の言葉で受け止めるなら「消費者をやめて、生産者になる」ことだと表現する。

いつの間に我々は、"誰かの仕事"を消費して文句を垂れるだけの存在に堕してしまったのだろう?

人は生産を通じてゞしか付き合へない。消費は人を孤独に陥れる。

福田恆存『消費ブームを論ず』1961年

あらためてこの言葉の意味がわかった気がする。消費では世界に介入できないからだ。自分を世界に刻めないからだ。

自分は本当に苦しかったし、いまも苦しい。自分が何か価値を産んでいる実感に乏しいからだ。(確信をもって数値化できる仕事でもなく、確たるモノを作っているわけでもないから。)自分はなぜここにいるのか、他ならぬ自分自身が納得していない。 

「ホワイトカラーとはそんなものだよ」「組織とはそんなものだよ」
本当にそうなのか? もし万が一、それが"真実"だったとしても、そんな"真実"は願い下げだ。自分は断固としてこの苦痛のほうと一緒に居たい

思考停止して消費するだけの生き方は、ラクだが楽しくはない。思考停止とは自分を失うことだ。誰かに決めてもらい、作ってもらい、面倒を見てもらうだけだとしたら。「自分の手に実感が無い虚しさ」は耐え難い。

行動を起こすとは、すなわち「わたしはこう思う/こうする」と言って世界へ介入することだ。そこから新たな「劇」が幕をあけ、ほんの僅かかも知れないが、世界が変わる。それが自分の経験となる。

経験は世界に介入した者にしか、勝負に身を晒した者にしか入らない。誰かの仕事を消費するだけの人には永遠に手に入らない。経験は経験者だけのものだ。だれにも盗めない。だれにも奪えない。(継承はできる。)

あたりまえの結論に至る。「生産者たれ」

世間の尺度でいう凄いモノやコトを生産しなくてもよいのだ。自分の実感に嘘をつくのをやめることから始めればよい。

軋轢が生まれる。
疑問が生まれる。
考えるべきことが生じる。
やるべきことが生じる。 

そこに生きている実感が湧かないか?




さいごに(なぜ自分はこの著者の本を読みたいのか?)

  1. ガチンコ(真剣勝負)だから
    自分に嘘をついていない。「出来レース」にしない。「思考停止によるラク」をしようとしない。それが伝わってくるから。

  2. 現実の面倒を見ようとしているから
    決して思い通りにならないのに、現実を見捨てないから。(仮に見捨てたとしても売れるだろうに……)

個別の内容も素晴らしいのだが、それ以上にこの「姿勢」を見習うことに価値があると思って、毎回読んでいる。




付録1:印象的だったところ(ぜひ本書を手に取ってほしいので一部を列挙する)

単に準備不足の雑な仕事でも、「アジャイル」というエクスキューズを添えると、それらしく聞こえてしまう(アジャイルという言葉を言い訳に使うのはやめよう)。

本書P46

答えるべき「問い」が不在のまま進めてきたしわ寄せは、それをいざだれかに届けようとした時に思うように届けられず、きっちりとあらわになってくる。

本書P48

親の顔より見た状況。「だから私は、アジャイルという言葉を会社でよびかけるのをやめた」のだ。

「失敗」という判が、企画にだけでなく、担当した人にも押されてしまう。失敗を経験した当事者たちがその経験を活かし、別のテーマに改めて携わるということが極めて少ない。

本書P54

学びを投資に対するリターンとして認識できていないことによる悲劇だ。また、「人事評価しなきゃ」「誰かに責任取らせなきゃ」という手段が目的化していることによる悲劇でもある。これ、誰が得するのだろうか? 組織も顧客も社会も損しかしていない。

これは仕事の上手下手ではなくて、(中略)性質として捉えたほうが良い。どんな人、どんなチーム、組織にも起こりえることだ。

本書P88

これも、人やチームの性質として捉えたほうがいい。必ず迎えてしまう状況だから、そのときを迎えたときに別の判断が取れるように仕組みをつくっておくことが最善の手だ。

本書P91

人間の性(さが)を認めるという現実的な考え方。「なんで出来ないんだ」「もっと頑張れよ」と思考停止するのではなく、自然(人間という生物)の性質を理解し、知恵を絞って対処する姿勢を見習おう。

極端な言い方をすると、「やることなすことすべて誤りだった」ということがありえるんだ。反応を得ることで、私たちははじめて自分たちの見方や方向性が誤りであったことを学ぶ。

本書P112

どんなに賢い人がどんなに思慮を重ねても、それでも限界はあるということ。この自覚があればこそ「理解を正す」ことができる。さもなくば「検証」が意味のない出来レースになつてしまう。

つまり、マイクロマネジメントを捨てるに1つの質問だけあればいい。「本当にマネージャーは、この不確実性を乗り越えるすべと経験を持っているのか?」

本書P124

この1つの質問に「正直に答えられるかどうか」も同時に問われている。「持っている"ことにしている"」という悲劇は、確かにある。

ゆえに、このSECIモデルをまず自分1人で回すことから始めるのだ。1人で始めるだけであれば、ずいぶんハードルが下がる。

本書P149

『組織を芯からアジャイルにする』でもそうだったが、「1人から始める」というのは強力な戦術だ。集団ではうまくいかなくて心を折られても、(活動を止めるのではなく1人で始めたところまで撤退できるのだから。       「帰ろう、帰ればまた来られるから」

勇気とは、あくまで自分の中に「頼り」を作ることで醸成される。何の頼りもなく、とにかくえいやで挑むのは、勇気とは呼べない。それは無謀というものだ。

本書P174

勇気と無謀の違いの説明が鮮やかだ。敷衍すると、他者に勇気を求めるときに決して「頼りが無い状態」にしてはいけないという戒めにも思えた。

ほかの部署やチームの塩対応から相手を否定するのではなく、相手の言葉や反応から「何に基づいて動いているのか」に目をむけよう。

本書P176

まず第一に、相手への「関心」を持つこと。

本書P180

何も全てを受け入れられなくてもいい。ただ「理解」することが要だ。

本書P199

百遍復唱して無意識に刻みたい。無理に相手に賛同しなくてもよい。せめて理解するだけでもよいのだと。少しは心が楽になる。

組織の中で強固な「常識」にまで固められた効率重視の方針と最適化は、まず思考停止を生み、そして無関心、他責、面従腹背へと連鎖する。

本書P186

連鎖した先で、また思考停止がさらに強化されるところも恐ろしい。終章に来て、最も根源的な「これまでの仕事」の宿痾が示される。

無関心さが勝る集団においては、たいていの場合、互いに共通で理解できる領域、つまり「コンテキスト」が存在していない。

本書P193

コンテキストとは「con 共通の」「text テキスト」なのだから、自分(ら)だけの常識は相手とのコンテキストとは言えない。コンテキストという概念を導入すること自体が、相手に関心を持つマインドを誘発してくれる。


著者自身が本書を解説するスライド(100枚!)を公開してくれている。



付録2:浮かんだ疑問(これから調べたり考えたりしてみる)

現代は「事業環境が変わった」「昨日の延長に乗っていればいい」事業環境ではなくなった、とある。私は2000年代以前の事業環境を肌で知らないが、果たして過去はずっとそういう事業環境だったのだろうかと疑問に思った。

好景気の頃、「予定通りにしていれば会社は潰れない」は事実だったかもしれない。しかし「予定通りに価値がある」時代など存在したのだろうか? 問題が露呈しにくかっただけで、問題には違いなかったのでは?

価値を探索することの重要性は、昔も今も変わらないと思う。「従来のやりかた」(人間の外部にあるものに依存し、固定的で探索と適応に欠けるやりかた)は、もしかして「特定時期の流行」ではないかとの仮説を持った。

スクラムの源流になった論文『The New New Product Development Game』が1986年であることを鑑みると、それより後(90年代のバブル崩壊~現在)か? 統制主義(理性主義・社会主義)は人類の歴史上、何度か流行しているから、そのサイクルがここ30~40年で日本に来たのか? 自分の好きな江戸時代の話を読むと、役人は計画主義だが商人は随分と融通無碍に商売をしている。「これまでの仕事」がずっと昔からの伝統とは思えないのだ


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