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12月の「明」と「暗」

息子は大阪市内から実家のある生駒(奈良県)に帰ってくると、「街がなんか暗い」と言っている。生駒は大阪市内から電車で約30分の距離に位置するベッドタウンで、私自身はそんなに「暗い」と感じたことはありません。確かに比べると、ビルも多くなく街灯や店の数も少ないため、大阪の中心部と比較すれば「暗い」とは思うが、普段生活しているお互いの町レベルでみて、そんなに大きく違うものだろうか?

大阪市内から奈良へ

ある日、息子の家に寄った際、夜遅くなったので車で送ってもらうことになり、街の「明るさの違い」を確かめるため、窓から街の夜景を眺めていました。高速の東大阪線を使ったので、途中、阪奈トンネルを通るため単純に比較はできないが、奈良側に入って明らかに「暗い」と感じた。

国際宇宙ステーションから見た”関西の夜景”を確認してみたところ、「なるほどね!」と納得。俯瞰で見てこんなに「明るさ」の違いがあれば、街全体でもそうだし、生活視点からでも「暗い」のは当然だろう。

(参照)Gateway to Astronaut Photography of Earth

「明」と「暗」の成り立ち

漢字の「明」と「暗」は、それぞれ「日へん」に「月」と「音」と書きますが、この「日へん」の意味はまったく違います。

「明」はもともと二つの字体があり、今は簡略され使われなくなった「朙」もその一つです。「明」はそのまま「日=太陽」と「月」で成り立ち、文字通り「あかるさ」を表していて、「朙」は「囧=窓」と「月」とで成り立ち、窓から差し込んでいる闇夜に浮かぶ「月のあかるさ」を表している。

一方、「暗」は「日=太陽」と「音」で成り立っているが、この「音」とはなんなのか?実は「音」という字は、「あいまいではっきりしない」ことを表す文字なのです。「日」があっても「音=はっきりしない」ということで、「日暮れ」を表しています。「暗」はまだ光(日)があるので、 はっきりしないけれども、ぼんやりとは見える状態なのです。

漢字の成り立ちから考えると、遥か昔の人にとっては、きっと「月」も、「日」と同様に「あかるさ」の象徴だったのでしょうね。

コールドムーン(寒月)

今、街中はすでにクリスマス仕様になっており、行く先々でイルミネーションが輝き、都会の夜を「明るく」照らしています。都会に住んでる息子も、そんな夜景を存分に楽しんでいることだと思います。

幻想的な都会の夜を演出する人工的な光もいいですが、たまには「暗い」夜空に輝く「月」を観るのもいいのではないでしょうか。

12月の満月を「コールドムーン(寒月)」と呼ぶらしく、今年はクリスマスの二日後の12月27日が満月です。その日は、「クリスマスイルミネーション」にも勝る幻想的な「月」が観れるかもしれません。部屋の窓からのぞいてみられたらいかがでしょう。

コールドムーン(寒月)

ここで一句紹介。
「檸檬抛り上げれば寒の月となる」和田誠
『新選俳句歳時記』(1999・潮出版社)所載

大学の大先輩であり、尊敬するイラストレーターでデザイナーだった「和田誠」さんが詠まれた俳句です。

檸檬を抛り上げる「動き」と、上空で止まった瞬間の「静止」。檸檬の「黄色」と、夜空の「黒」。触れることができる「檸檬」と、けっして触れることができない「夜空に輝く月」。そんな対比が効果的に詠まれています。今の季節にはぴったりの一句です。

12月27日、晴れて欲しいな。

(てべぱ)

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