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わたしのこと。#3 薫堂さんハービーさんとの出逢いのはなし。

いつの時代も恩師に恵まれている。わたしの話を聞き、理解し、導き、寄り添ってくれるひとのことだ。わたしは拠り所とするひとを見つけるのが上手い。保育園、小学校、中学、高校と、いつを切り取っても必ずひとりはいてくれて、わたしを助けてくれた。わたしは多くの人に心を開かないが、心を許しているひととはとことん近い。何かをして欲しいと望むわけではないが、わりと何でも話してきた。
大学だけはあんまり好きになれなくて、滞在時間も短く、そこまでの関係はつくれなかった。人数が多すぎて、まるでマシンのように不特定多数に向かって授業する感じに馴染めなかった。去年のこの時間も来年のこの時間も、おなじ資料を見ておなじことをおなじように話すのだろう、と思うと興味が失せた。もちろんそうじゃない先生もいたのだろうが、何しろ学校に行く時間が短く出会いがなかった。
大学時代は習い事に明け暮れていた。週に3回から多くて5回くらいは地元のダンススタジオに通い、レッスンを受けていた。夜中にはせっせと衣装を縫い、ステージにも結構立った。青春はすべて捧げたと思っている。
大学は4年生のときに焦ってほとんどの単位を取った。その頃にはすでに同級生たちは単位を取り終わっており、知った顔も少なかった。1、2年生に交ざって受けた授業もあって、なかなかに浮いた。やっと長い時間いるようになったが、孤独な時間が多かった。単位はギリギリ卒業に足りた。間に合ってよかった。やればできる。

大人になってもからも、わたしはときおり、プレゼントのような出逢いをすることがある。小山薫堂さんやハービー・山口さんとの出逢いもそうだ。ふとしたタイミングでそれらはやってくる。
元を辿れば(どこまで辿ればいいのかわからないが。すべては繋がっているので。)、ラジオディレクターの栗田さん(通称ぎゅうひどの)がわたしを見つけてくれたところから始まる。
ちょうどナレーターを探していてわたしの所属事務所のHPに辿り着き、新番組のナレーターとしてキャスティングしてくれたのだ。まったくのはじめましてで、面識すらなかった。そこからしてミラクルだ。
小山薫堂さんの番組でご指名いただいたのですが、どうしますか?と事務所から連絡をもらったとき、正直、なぜ!?と思った。
急にわたしに?why?
失礼ながらわたしはその時薫堂さんのことをよく知らず、調べたら「おくりびと」の脚本を書き、くまモンの生みの親ということだった。わぉ。
ますます、なぜなの…?
わたしはミーハーなところがあまりない人間なので、スタジオまでご挨拶に行ったときも慌てて前日に「おくりびと」を観て、「はじめまして、花澄です。きのうおくりびと観ました!おもしろかったです!」と言った。「え、いま!?(公開から何年も経っていた)ぼく、結構巨匠なんだけどな…!」と言って笑われた。
「すべては恋からはじまる」というFM軽井沢の番組だったが、そのあとも何本かテレビ、ラジオでナレーションさせていただいている。
ぎゅうひどののファインプレーには大感謝している。見つけてくれて、本当にありがとう。あなたのおかげです。

「原宿ブックカフェ」の打ち上げにて。
薫堂さん、ハービーさん、内田わくわくさんと。

薫堂さんとハービーさんは親交が深く、番組にゲスト出演することがよくある。ハービーさんとの出会いはBSフジ「原宿ブックカフェ」という番組でだった。本と珈琲を題材にした番組で、わたしは「文壇レシピ」というコーナーを主に担当していた。本に出てくる料理を実際に作ってみる、というもので、国内外の小説、エッセイ、絵本で食べ物が出てくるシーンを静かに朗読していくあいだに、映像の中では本当に料理ができていって、それが最終的には原宿にあるカフェネスカフェ(ネスレの提供番組だった)で実際に食べられるよというステキなコーナーだった。
他にも様々なコーナーがあったがわたしはナレーターとして入っていたので、スタジオ録音ばかり、薫堂さんはじめ出演キャストのみなさんと直接お会いすることはなく、いつもオンエアを見ている中でハービーさんを知った。世の中に疎いので、ごめんなさい、ハービーさんのこともそれまで知らなかった。(もちろんハービーさんと認識せずに写真だけを知っていることはあったが)
面白いおじさんがいるな、と思った。
それからハービーさんのコーナーができて、何度か見ているうちに、人柄に惹かれていった。なんてすてきなひとなんだろう。

薫堂さんの誕生日パーティーにて。

薫堂さんが50歳になったある年、大きな誕生日会がサプライズで開かれた。ナレーション終わりに番組スタッフのみなさんとお邪魔し、そこで初めて実物を目撃できた!
あ!ハービーさんだ!!
会場にはたくさんの著名な方もいらしていたが、わたしは一目散にハービーさんのところに駆け寄った。ミーハーでもないわたしが飛んでいくなんて、相当珍しい。嬉しそうに話している写真が残っている。
今度収録するとき見に行ってもいいですか?と目を輝かせながら聞いた覚えがある。
それからわりとすぐの収録を見学しにいった。

その頃のわたしは、カメラも持っていなかった。
それどころかわたしはライカすらも知らなかった。

2014年の話である。

ふふ、まだまだぜんぜん辿り着かないでしょう…?
長くなってきたので、一旦ここで。

こんなわたしがとうとう写真集まで作ったのだから
人生何が起こるかわからない。
花澄写真集「Scent of a...」はこちらから。


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