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Diddy-Wah-Diddy


Ain't goin' to town
Ain't goin' to city
Goin' on down
To Diddy-Wah-Diddy
(町でもない
都会でもない
向かっているのは
そう、ディディ・ワ・ディディだ)

Rick Bragg, "Eva's Man," p. 16

 1950年代後半のアラバマで、チャーリー・バンドラムが赤ん坊の孫サムをあやして歌を口ずさんでいる。ノン・フィクション作家リッグ・ブラーグが、自身の家族を題材に20世紀前半の南部の貧しい白人の暮らしぶりについて書いた”Ava's Man”という本の一シーンだ。
 1956年にアフリカンアメリカンの歌手ボー・ディドリーが発表した曲"Diddy Wah Diddy"の冒頭に似ている。

I gotta gal down in Diddy Wah Diddy
Ain't no town an it ain't no city
(ディディ・ワ・ディディに彼女がいる
町でも都会でもなく)

Bo Diddley, "Diddy Wah Diddy"

単語がいくつか変わり、順序が逆転している。曖昧な記憶をもとにディドリーの曲を口ずさんでいるのか替え歌なのかわからないが、全く無関係ではないだろう。
 チャーリーの子守唄とディドリーの曲の両方に出てくるディディ・ワ・ディディとは、アフリカン・アメリカンの民話に出てくる架空の場所だ。人類学者・作家であるゾラ・ニール・ハーストンが1930年代にフロリダで行った聞き取りをもとにしたテキストが残っている。

If a traveler gets hungry all he needs to do is to sit down on the curbstone and wait and soon he will hear something hollering "Eat Me!" ”Eat Me!" and a big baked chicken will come along with a knife and fork stuck in its sides … It is said, "Everybody would live in Diddy-Wah-Diddy if it wasn't so hard to find and so hard to get to after you even know the way."
(ここを訪れて腹がすけば、縁石に座って待っているだけでいい。すぐに「わたしを食べて!」「わたしを食べて」という叫び声とともに、横にナイフとフォークを突き刺した大きな鳥の丸焼きが運ばれてくる。…ひとのいうことには「見つけるのがこんなに難しくなくて、道がわかってもたどり着くのがこんなに難しいんじゃなければ、みんなディディ・ワ・ディディに住んだだろう」。)

Mark Kurlansky, "The Food of a Younger Land," 123-135

とにかく食べ物にあふれていて、誰もがそこに行くことを思いこがれる場所、それがディディ・ワ・ディディだ。
 チャーリーの子守唄が興味深いのは、貧しい白人とアフリカン・アメリカンの人びとがディディ・ワ・ディディの物語を共有していることを示しているからだ。南部文化研究の中心地の一つ、ミシシッピ大学南部文化研究所の所長を長く務めたチャールズ・レーガン・ウィルソンは、「白人と黒人は早くから互いのお話や歌を聞いてきたのであり、それが人種を超えた交流の基礎になり、南部文化に影響を与えた」と指摘し、これを「南部的混淆」(the southern mix)と呼んでいる("The American South: A Very Short Introduction," p. 87)。アメリカ南部の歴史を語る際、奴隷制や人種差別を抜きにすることはできない。しかし、全てを人種対立の図式で見てしまうと捉え損なうものがあるかもしれない。チャーリーの子守唄は南部的混淆の好例と言えるだろう。

友人宅で開かれた誕生パーティで用意された食事。バーベキューされた牛肉と鶏肉にからあげまである。ディディ・ワ・ディディもこんなところにちがいない

今回扱った表現

Diddy-Wah-Diddy:アフリカンアメリカンの口承伝統に起源を持つ想像上の土地。食べ物が溢れていて、誰もが憧れる。

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