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「ベトナム田舎出身の私が語る」の本を出版いたしました。

2024年2月7日、夢であった日本語で書かれた電子書籍を自らの手で完成させ、Amazon Kindleで出版することができました。こちら執筆を始めたのは2023年6月で、背景には私の幼少期がある1990年代のベトナムが息づいています。当時、私たちの国は経済的停滞という大きな挑戦に直面していました。
しかし、この本を通じて、そうした厳しい時代を直接描くのではなく、私の鮮やかな思い出を借りて、読者の皆さんに新たな視角をお届けしたいと思います。インターネットのない時代を過ごした子供たちの日常生活、家族との強い絆、近所の人々との心温まる交流、学生時代の純粋な冒険、魂に深く刻まれた記憶、そして親として直面した複雑な課題についてリアルに語ります。これらのことは時に流れと共に変化していくものですが、家族愛や文化の断片がどのように私たちの心に生き続けているかを示しています。
この書籍は、ベトナムへの愛情を持つ日本の読者の方々に、心からの招待として捧げられます。過ぎ去った時代のベトナムを探求し、その感触を共に感じ取るためのものです。1990年代を生きた子供の眼差しを通じて語られるこの物語は、その時代の生き生きとした雰囲気を感じていただけます。

この本をお手に取りいただきますと、私の視点を通して、ベトナム人独自の特性や、私たちの国民性の深い層に宿る意義を、日本の皆様に優しく伝える機会を得られたら幸いです。田舎生活の自然とのふれあい、家族との絆の深さ、近隣の方々との温かいつながりを大切にする心。これらを感じていただければ、この本の目的の一つです。これらの価値観は、現代のベトナムにおいても大切にされ、称賛される美徳として受け継がれています。また、ベトナムの伝統的な行事を含む、文化の魅力あふれる側面を、物語を通じて優しくご紹介できればと思っています。


以下に、本書から選んだ一部をご紹介いたします。

こちらは、子どもの頃、家の前に広がる蓮池で蓮を摘むことを楽しんでいた日々の思い出を綴ったものです。

家の前には、壮大な蓮の池が広がっています。これは、地元で名高いチャウ池(Đầm Ao Châu)の一部であり、詩情あふれる風景の一片です。夏が訪れると、地元の友人や親戚と共に、蓮の葉を摘んで帽子に変えたり、蓮根を収穫し美味なる料理に仕立てたりしていました。子供たちは池辺に立つ蓮の木を丁寧に収穫し、手の届かぬ中央には大きな蓮の花を咲かせていました。ボートがないため、近所の仲間たちは池の中央に足を踏み入れ、蓮を摘む冒険をしていました。しかし、その周囲には水面下に潜むお化けの伝説があり、彼らが溺れると、ただ頭だけが水面に浮かぶという恐怖の話が伝わっていました。それ故に、私は長らく池の中央へと踏み出せずにいました。しかしながら、蓮が実を結ぶ季節になると、その魅力に引かれ、恐怖心は徐々に薄れていきました。勇気を振り絞り、胸まで浸かりながら、大きな蓮の花を求めて池の中央に足を踏み入れたのです。また、夏の日々には、母の古いかごを使って小さな魚を捕まえ、家に持ち帰って育てる楽しみを見つけました。肌は太陽に焼け、時には風邪をひいて熱を出すこともありましたが、それでも、お化け以外の恐怖を払いのけ、好奇心を胸に秘め、忙しい夏の日々は、蓮の葉や花、実、そして小さな魚といった、数々の興味深い発見と喜びをもたらしてくれました。

ベトナム田舎出身の私が語る

こちらは、当時、テレビが珍しい存在であり、それを視聴することが特別な贅沢と考えられていた時代の様子をお伝えする文章です

当時は、テレビを持つことは裕福な家庭の特権でした。彩り豊かな映像を映し出すカラーテレビは、まるで夢のような存在。5、6歳の私にとって、自宅にテレビがないことは、隣のおじいさんの家で映画を見る特別な機会を意味していました。その頃、テレビで上映される映画は極めて限られており、1日にわずか1、2本しか放送されませんでした。映画は私たちの小さな社会で共有される貴重な宝物で、子供から大人まで、私たちは心を寄せ合いながら同じ画面に見入りました。テレビで映画の放映時間が近づくと、子供から大人まで全員がわくわくと準備を始めました。お風呂や洗濯を急いで済ませ、食事も早々に終わらせて、皆で映画を楽しむ特別な時間を過ごすために集まりました。

特に記憶に残っているのは、中国の「西遊記」(Tây Du Ký)。この映画は、私が初めて目にした映画であり、私の心に深く刻まれた一作です。この映画は、私だけでなく、周りのすべての人々にとっても待ち望まれた一大イベント。ベトナム人、特に若い世代にとって、この映画はまさに古典的な名作として認識されています。映画に描かれた神秘的で魔法あふれる世界は、私のような子供たちにとって、夢と冒険の扉を開いてくれました。当時のベトナムには、そうしたスリリングで魔法のような映画を制作する技術はなく、中国の映画は私たちの貴重な視聴時間を豊かに彩ってくれました。

ベトナム田舎出身の私が語る

また、以下の文章では、従妹と共に過ごした日々の思い出の一部について以下のように綴っています。

親戚の男の子たちに囲まれ、私と同い年の女の子は一人だけでした。彼女との遊びあいは、運命的なものだったかのように感じ、私たちは頻繁に一緒に時間を過ごしていました。彼女の家は、私の家からほんの1キロも遠くない距離にありながら、その道のりはまるで冒険の旅のようでした。狭く曲がりくねった道を進み、深く幽玄な森を抜けるたびに、私の心はドキドキと高鳴り、赤ずきんちゃんのようなワクワクと不安が交錯していました。森の中では、小鳥のさえずりが耳に心地よく、木々の葉のざわめきが風と共に響いていました。そして、細い小道を進むと、小川に沿った道が続き、その小川のせせらぎが、まるで物語の中に迷い込んだような感覚を与えてくれました。
その小川には、溺れて亡くなった霊が現れるという噂や、ある木に自殺者が首を吊ったという伝説がありました。そのため、その木は誰も切る勇気を持てず、今も静かにそびえ立っています。晴れた日や、寂しいさを感じた時だけ、私は勇気を振り絞って彼女の家へと向かいました。

ベトナム田舎出身の私が語る


この電子書籍を通じて、ベトナムの日常生活を地元民の視点からお伝えできれば幸いです。。もし読み終わった後に、何か心に響くものがあったり、あるいは私の故郷であるベトナムについてもっと深く知りたいとお感じになったならば、どうぞお気軽にコメントやご感想をお寄せくださいませ。皆様からのご意見をお待ちしております。
(thanhhangk56dongphuong@gmail.com)

この本のページをめくるたび、新たな何かを見つけ、リラックスした瞬間を過ごしていただけたら嬉しいです。この本を通じて、皆様がベトナムについてより理解し、その美しさを楽しむことができることを、心から願っています。もちろん、ベトナムに長くお住まいの方にとっては、この地の深い理解と豊富な経験をお持ちですので、本の内容に新鮮な発見や驚きがないかもしれませんが、ベトナムに興味を持つ他の日本の方々にも、この本をお勧めいただければ幸いです。

以上、最後まで読んでいただきありがとうございます。




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