“恩恵を次世代につなぐ「誇り」を共有したい” てのしま 林亮平
地域の多様な食文化を“現代の日本料理”に編集
ー:日頃、どんな思いでお料理を提供されていますか?
日本料理って、若い方たちにとって、ちょっとハードルが高くないですか? デートのお店を選ぶ時、日本料理店はなかなか候補に入らない。母国の料理にもかかわらず、です。それはどうしてだろうと、ずっと疑問に感じていました。
理由として、日本料理が『形式』や『型』を重視することにあるような気がしています。形式ばっていて面白みがない、堅苦しいし緊張する、そんな風に思われているんじゃないかと。だから僕は、今の若い方たちが気軽に楽しめる『現代の日本料理』を提供したいと思っています。
―:新しい料理ということでしょうか?
新しさは必要ですが、何でも有りということではありません。長い年月をかけて受け継がれてきた技や、日本の精神文化は大切にしていきたい。特に惹かれるのは、食の民藝ともいうべき土着の食文化や郷土料理です。
たとえば、日本料理において昆布と鰹の一番出汁が最上かつ万能だとされていますが、僕は必ずしもそうではないと思っています。九州では焼きあご出汁、瀬戸内ではいりこ出汁といったように、もともと日本人は地域によって様々な出汁に親しんできました。お客様にもその面白さを感じていただきたいと、店では料理に合わせて4~5種類の出汁を引き分けています。
北海道のいか飯なんかも、いかをおいしく食べる工夫がぎっしりと詰まっていながら、そぎ落とされていて一切の無駄がありません。僕はそれを日本料理のフィルターを通すことで、郷土料理を再構築する。そして、現代的で世界に通用する日本料理をつくりたいと思っています。
―:地域の珍しい魚を使われるのも、そんな理由なんですね。
今の流通にのっていないため「未利用魚」などと言われている魚も、地域では昔から食べられてきたものが多く、実はおいしくて、面白いんです。
最近、「多様性」という言葉をよく聞きますが、日本の食文化はもともとすごく多様。だからこそ豊かで、どこに行ってもおいしいものが食べられるんだと思います。
食べ物の生産を通じて、人は『誇り』をつないできた
―:地方にもよく行かれるようですが、どんな目的でなのでしょうか?
僕は人に会うのが好きなんです。行く度に新しい出会いや学びがあるので、よく生産者に会いに行きます。
そこで感じるのは、今すでに農業や漁業が危機的状況にあるということです。高齢者ばかりで、担い手が圧倒的に不足している。おいしい、おいしくない、以前の問題で、この5~10年で日本の食料供給そのものが立ち行かなくなるのではないかという危機感を覚えます。
まっとうな生産者がきちんと利益を得られる社会であってほしいのですが、現実は必ずしもそうではありません。僕たちに何ができるのか、何をしたらいいのか、ずっと考えています。
―:担い手が不足すると、知恵や技術の継承も難しくなりますね。
Chefs for the Blueの活動で訪れた真昆布の産地・函館で、かつて漁師の養成学校の先生をしていた方がこんなことをおっしゃっていました。
「山の小川は毛細血管のようなもので、山からの養分を運び、海を育んでいる。昔の漁師はその大切さを知っていたから、漁に出られない日は山に入って手入れを行っていた」と。
ところが戦後、多くの漁師が山を手放したため山や小川は放置された。海に流れ込む養分も減り、真昆布は以前のように育たなくなったそうです。
時代の流れの中で、仕方のない選択だったかもしれません。しかし、それによって失われたものがあまりにも大きいことが今になってわかってきたのです。
―:同じようなことが日本各地で起きていたのではないでしょうか。
そうかもしれませんね。失ったものは、貴重な海の資源だけではないような気がしています。それは、その地に生きる者としての誇り、作り手としての誇り。
地方に行くと野菜や魚をいただくことが多いのですが、お金を払おうとするとすごく怒られるんです。なぜなら彼らが分け合っているのはお金に換算できるものではなく、『生き方』であり『誇り』だからです。自分の誇りを物々交換している。
食べ物を作るというのは、もともとそういった側面がとても強かったんじゃないかと思います。しかし、その価値基準は時代と共に変わってきてしまいました。
お金はもちろん大事です。でも、水産資源の問題をはじめ、今の日本が抱えている様々な食の課題を考える時、お金の話だけではなく、もう一歩、深いところまで議論していく必要があるのではないかと僕は思っています。
―:それは産地に行き、生産者と話をするからこそ感じられることですね。
東京にいたら、これほど地方が危機的な状況であることはわからないと思います。なぜならモノがあふれているから。ワンクリックで、電話一本でおいしいものが届くから。便利さによって、かえって現実が見えにくくなっていると感じます。
情報はいくらでも得ることができますが、現地に行き、自分の肌で感じて、頭で考えなければ本当のことは何もわからないのです。
生産現場では、正論や理屈が通るとも限りません。一見、無駄に思えることや、非効率なこと、非合理的なことがたくさんある。でもそれを続けてきたのには、ちゃんと理由もあるんです。そもそも命がけの現場は、僕たちが考えるほど生ぬるいものではないんですよね。
気候風土や先人から与えられた恩恵を共有したい
―:ブルーキャンプでも、漁師、仲買人、レストランのシェフなど様々な現場の声を聞く機会がありますね。
学生の皆さんも多様なバックグラウンドや価値観を持っていると思うので、その中で一つの物を作り上げるというのはとても大変だと思います。
でも、苦しいからこそ得るものも大きいはずです。ジャンルも世代も超えて、みんなで考えないと、この海の問題の答えを見つけることはできません。学生さんたちから、僕たち料理人には思いつかないようなアイデアが出てくるかもしれない。それを食べに来てくださる方がワクワクするような日本料理に落とし込めたらいいですね。
―:どんなブルーキャンプにしたいですか?
大事なのは、みんなで腹を割って話をすること、ぶつかり稽古をすることだと思っています。それができれば、必ず想定を超えるものが生まれるはずです。
日本には長い年月をかけて蓄積された文化や価値観、守られてきた豊かな自然があります。僕たちは少なからずその恩恵を受けて生きている。次の世代に継承するのは当然のことだと思っています。
海洋資源の問題も、決して単独で解決することはできず、気候風土、歴史、文化、すべてつながっています。ブルーキャンプを通じて、与えられた恩恵を共に感じ、そのバトンをつないでいく者としての『誇り』を皆さんと共有できたらうれしいですね。
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