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【め #10】「目が悪いは全く言い訳にならない」

濱野 昌幸さん(後編)


前編から続く)

 中学から盲学校に戻った濱野さんは、一般の小学校に通って「先生の話を聞く専門」で勉強に苦労したことで力がついたのか、授業を一生懸命聞いて「学校の先生が一度言ったら覚えられる子」になっていた。当然成績もよく、先生からは、遠く離れた東京の筑波大学付属視覚特別支援学校への進学を勧められた。

 富山から上京しての寄宿舎生活。「東京に来たら、自分より頭のいい子はたくさんいて、みんなしっかりしてる」。さらに、「富山の寄宿舎の門限は17時で、遊びに行く先もなかった」濱野さんにとって、「門限が22時で、10分~15分で池袋があるなんて、楽しくて仕方がなかった」。「世の中とはこんなものだったのかと気づいた」。


 視覚障害者として盲学校と地元の小学校、そして地方と都会を経験した濱野さんは話された。「“眼が見えない故にできなくて当たり前”はありがたい世界だけど、その世界に慣れ切ってしまうと、“甘えられる”ように育ってしまうし、刺激もない。東京に出てきたことで、その世界から抜け出すことができた」。与えられた環境に安住せず殻を破る必要性は、視覚障害者に限らない教訓だろう。


 そんな濱野さんの考え方は、職業選択にも反映されている。視覚障害のある方は盲学校に通い鍼灸マッサージの資格を取得するケースが多い中で、現在、濱野さんは「全盲の人はほぼいない」理学療法士としてデイサービスに勤務されている。

 ただし、仕事で使うソフトウェアなど視覚障害者にとって必ずしも最適な執務環境ではない。それでも「人と同じ給料をもらうのなら同じことをしないといけない」と、弱視向けのルーペを手放さず、これまで無駄なく動く工夫を培ってきた。

 職場で「眼が悪いことは公表している」が、誤解を恐れず言えば「眼が見えるふりをしている」。だって、「お金を払って施術を受ける人からすれば、(眼が見えない人よりも)眼が見える人から受けたいと思うでしょう」。

 だからこそ“眼が見える”と同等になる努力をされている。例えば、足を怪我しても引き続きマニュアルで車を運転されたい患者さんがいた。濱野さんは法的に運転できないし、したこともないが、それでも諦めない。夜中に誰もいない広い場所でお父様に付き添ってもらい、実際に自分の足でクラッチ操作してマニュアル運転をした。「実際に経験しないと、右足や左足の使い方を説明できないでしょう」。同じ富山県内にいる理学療法士は300名。そのうち視覚障害のある者は濱野さんを入れて3名しかいない。「それなりのことをしないと相手にしてもらえない」という言葉に濱野さんの強烈な覚悟を感じた。

 それには、一緒に就職した晴眼者の先輩の言葉も影響している。「君は目が見えないなら手で触れるものをやればいいじゃん、でも手で触れるものは絶対に頑張らないとダメだよ」と言われた。理学療法士としての手技を教えてくれたことはもちろん、特別扱いせず「甘えちゃダメだと教えてくれた」ことがありがたかった。


 「なんか変な印象を与えちゃうかもしれないけど、趣味はパチンコ、特技はパチスロって言ってるんです」。変な印象どころか、どうやってやるの?と感じてしまったことが、既に私の偏見だった。「練習すればできるんですよ。目が悪いは全く言い訳にならない。面白いと思ったら突き詰めてやる性格もあるんだと思いますけどね」と声が笑った。

 最後に「どれだけ頑張っても、目が見える人には勝てない。それをわかってることも大事。」とおっしゃった。でも、私にはその後に「でも諦めませんからね」とニヤリとおっしゃったようにも聞こえた。



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