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【あし #10】自分の人生経験を詰め込んだプロジェクト

豆塚 エリさん(後編)


前編から続く)


 家庭環境から飛び降り自殺を図るまでに追い込まれ車いす生活になった豆塚さんが、それを機に手に入れた“自立に向けた伴走支援を受けることができる世界”とは、どんなものだったのか。

 豆塚さんのお母様は、在日コリアン故に「日本国籍である子供に期待をかけた」。医者か弁護士になるように言われた豆塚さんは、「数学が苦手だったから弁護士、大学の志望欄には法学部と書いた」。学校の先生も、行きたい学部を伝えても、偏差値でランクが上の方を勧められ、なかなか「本人の意思は大事にされなかった」。

 しかし、頸椎を損傷して入院した病院で初めて、何も言わず「豆塚さんはどうしたいの?」と聞かれた。ソーシャルワーカーが「自分らしく生きるための将来設計を、あくまで本人が考えながら支えてくれ、それに無理がなかった」。それまで「(自分の)人生は他人事だったのが、自分事になった」。本を読むことが好きだし、文章を書くことも好き。だから文学部に行きたかったんだ。そんな当たり前の、「自分の正直な気持ちに向き合え、気が楽になった」。

 その後、高校には戻れず、高卒認定試験に合格するも、お金もなく大学に行く夢は叶わなかった。それでも、福祉に触れて「障害があろうが自分のことを自分で決めることができれば前向きになれる」と気付き、豆塚さんの心の中に自立に向けた伴走支援の重要性が深く刻まれた。


 しかし、「どうしようもなくただ押し出されるように」出た社会は、甘くなかった。「就活をしても武器がない」。障害者スポーツをすれば目立つのでは?と言われ、運動が苦手なのにマラソンに挑戦したこともあった。職業訓練に通って自身の得意を見つけて働くも「体がついてこずに壊してしまった」。就職を斡旋してもらっても常に車いすが足かせになった。そんな苦難の先は「フリーランスになるしかなかった」。

 そうした中でも、昔から好きだった文章を書くことで、作家の新人賞の最終候補に残り、そこからテレビ局のコメンテーターの仕事が来たりと知名度が上がり、2022年には自身の著書まで出すことができた。

 でも、豆塚さんの表情は険しい。「これは本当に運が良かっただけ。普通の障害者にはできない」。令和5年の雇用障害者数は約64万人で、障害者人口のたった6%。女性に限ると数字はさらに下がる。自身の経験も踏まえ、豆塚さんにとって、障害者の就労への壁は「解決しないといけない課題」になった。


 そうした想いを持ちながら、豆塚さんが当事者として自身のことを発信していった先が、働く×障害がテーマのコラムサイト『パラちゃんねるカフェ』だった。発信すると、共感してくれる人が周囲に集まってくれ、そんな周りの環境が自分にとって心地良かった。

 さらに、並行して『パラちゃんねるカフェ』を主催する、キャリアコンサルタントの中塚さんと対話を繰り返す中で、どうしたら自分の想いが伝わるかを考えるライティング自体が、自分と向き合い、自己理解にもつながることに気付いていった。


 こうした豆塚さんの経験のすべてが、障害や病気によって安定して働くことが難しい方々の自立を伴走していくためのオンラインライタースクールの開校というアイデアに結実した。昨年末に中塚さんや周りの仲間たちと一緒に特定非営利活動法人こんぺいとう企画を立ち上げ、現在は今年6月中旬の開校に向けたクラウドファンディングを実施中だ。
その後は、オンラインライタースクールで学んだ卒業生が実績を積む場として地元大分県の観光案内メディアサイトの開設、さらには就労継続支援B型事業所としての運用も目指している。


 自身が障害を抱えたことで気付くことができた、自立への伴走支援の重要性。障害を負ってから直面した就労への壁。どうしたら自分の想いが伝わるかを考えるライティングが自分と向き合うことにつながることへの気づき。
そんな自身の経験を余すことなく社会に活かそうとする豆塚さんの挑戦を皆で応援しよう。



▷特定非営利活動法人こんぺいとう企画



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