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啄木

お久しぶりです。
僕にとって大変な4月25日という尾崎豊の命日を目前にして、ヘトヘトになっています。
今夜はちょっと息抜きに文章を書きますね。

あ、僕のnoteをフォローしてくれてたAさんという方、「A」とかテキトーなアカウント名つけてる変な人なんかなーと思ってたら、あのお方ですやん!!笑 すごいお方ですやん!!笑
言ってくださいよ笑


さてさて、今日4月13日は『一握の砂』の作者、石川啄木の命日です。
尾崎豊と同じく26歳でこの世を去った天才的詩人です。

尾崎豊の父、健一さんは短歌に若いころから短歌にのめり込んでいた方で、尾崎豊自身も石川啄木らに傾倒して、小さい頃から短歌をつくっています。
ここで、尾崎豊が小学5年生のときに詠んだ驚異的な短歌を紹介します。

父のあと 追いつつ下る 山道に 木の葉洩る陽の かすかにさせり

うーん、小学5年生の出来とは思えないですね…。素晴らしい。

トップの写真は、「矢車草」という花です。
ここから、啄木の歌を紹介します。

函館の青柳町こそかなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花

矢車の花が周囲に咲いていて、友だちと文学について、愛の在り方について語っていたころのことを懐かしんでいるんですね。いいですね。

不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心

これ、お気づきですか。
『校舎の影 芝生の上 吸い込まれる空』
尾崎豊、最高傑作の一つ『卒業』の歌詞です。
明らかに啄木から影響を受けているように思います。
尾崎豊の歌詞が非常に文学的なのは、もちろん彼の生まれ持っての才能と努力が一番の所以なんですが、参考にしてきた、学んできた題材が石川啄木とか三島由紀夫とか、死してなおその名を輝かせる一流のアーティストにあるところも大きいと思います。
やっぱり、本当に良いものに触れなくちゃいけません。
真に力をもった良いものに触れなければ、粗悪な作品群が”良い”なんて思っちゃいますからね…。

あと二つ、有名なものですが僕が好きなものを紹介します。

はたらけど
はたらけど猶なほわが生活くらし楽にならざり
ぢっと手を見る

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ

普遍的かつ繊細な感性をもった短歌は、やっぱり尾崎豊的。

あと、今日は紹介ばっかりですみませんが、尾崎豊の母、絹江さんが遺した短歌も胸アツなので二つ紹介します。

若者は 拳ふりあげ 共に歌う ロックコンサート 我もその一人
じんじんと ドラムの音は 身に響く 絶叫の如し 吾子の歌声

尾崎豊はお母さん大好きでしたからね。
いや、立派な方は皆お母さん大好きなんですよ。
高倉健なんてお母さんの遺骨にかぶりついてますからね。
わかってらっしゃると思いますけど、マザコンと親思いは全然違いますよ。
尾崎豊はお母さんがこんな歌を詠んでくれたこと嬉しかったと思います。

絹江さんは1991年12月29日に亡くなって、尾崎豊は1992年4月25日に後を追うように亡くなっています。
個人事務所の設立なんかを経てズタズタになっていたところの母の死は尾崎豊に相当な精神的な打撃を与えたと思います。

ああ、早く4月25日を迎えてお休みモードに入りたいです。しんどい…。
いや、協力してくださってるアーティストの方々もとってもしんどい思いされてるのに僕が弱音吐いちゃいけませんね。ごめんなさい。

では最後に。

『啄木の 死を想う夜 風の音 御前も立てと 歌聖の声か』


それではまた。


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