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『ムーンライト・シャドウ』

生きていく力を本気で手渡してくれる小説には、なかなか出会えない。

吉本ばななさんの『キッチン』を読んだ。収録されていた『ムーンライト・シャドウ』も読んだ。SOAS時代の先生に頼まれたインタビューの翻訳をしていたら、話に出てきて、吉本ばななさんの作品は"quite funny"だというから、どんなのだと思って読んでみたのだ。

ついに、という感じだった。学生時代から書店の平積みで何度も目にしながら、何となく手が伸びていなかった本だ。ウィットに富んだ、フェミニズム的なものを勝手に想像していた。kindleキャンペーンでたったの142円だった。この世界は言葉を安売りしすぎじゃなかろうか。でもそんな金額で人の人生を救ってしまったりするんだから、文学というのは本当に侮れない。

『キッチン』は、やっぱり、紛れもない名作だった。日常に溶け込む、名作の顔をしていない名作だった。サラサラとしているのに、あまりにも名作だから、みんなが読むもので当然ながら名作になってしまう、という名作だ。でも私は『ムーンライト・シャドウ』の方にもやられてしまった。

話の筋を言ってしまえばあっけない。
恋人を事故を亡くした女性が、亡くなった恋人の幻を見て、さまざまな心の変遷を経て、絶望の中に光を見出す、という話だ。何という王道のストーリーだろうか。まるで『黄泉がえり』だ。

それなのに、これが全くもって普通ではなかった。この読みやすい青春小説のような物語の中には、人生のあらゆる苦しみと生きづらさに寄り添い、一歩を踏み出すための糸口になる微妙な言葉が山積みになっていた。平たく言えば、この小説に救ってもらう人であるために、恋人を亡くしている必要はないし、苦しみも悲しみも、それぞれの人が自分にしか分からないものを抱いていれば、それでいいのだ。

「感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい。多少の工夫で人は自分の思うように生きることができるに違いない」という信念を、日々苦しく切ない思いをしていることでいつしか乾燥してしまって、外部からのうるおいを求めている、そんな心を持つ人に届けたい。

吉本ばなな『キッチン』文庫版あとがきより


これが執筆当時のかたくなな考えだったと、吉本さんは言う。

届いてますよ、と思うと、何だかものすごく涙が出た。別に自分の感受性が強いだとか、そういうことは言いたくないけれど、私が生きづらい性格をしているのは確かだ。昔からずっとそうだった。誰かに本当の意味で理解されたと感じたことは、この人生で二回くらいしかない。そのうち一人はもういない。

でもみんな、案外そんなものではないかと思うから、そういうみんなに彼女の言葉が人気の小説として届くというのは偉大なことだ。まだ知らない人も、142円で読めるのだから凄まじいことだ。

ここ最近、私は正直人生に参っている。もういい加減にしてくれ、と思っている。たぶん傍から見れば、あらかた幸せだ。幸せを絵に描いたように見えてもおかしくない。この世界の状況を鑑みれば、この上なく幸運で幸せだと言っても言い過ぎではないと思う。だからもう、もはやどんな言葉も慰めにならないのだけれど、そんな私でも見捨てずに癒してくれる物語があった。ふと思い返せば、新海誠監督の短編映画にでもなりそうな雰囲気だった。うん、まさにそんな感じで、優しい女の人が、夜明けに確かな言葉をくれた。

あとがきには続きがある。

そういう感じ方が存在することを小説を通してでも知れば、自殺しようとする人がたとえ数時間でも、ふみとどまってくれるかもしれない。

私はもちろん自殺だなんて考えてもいない。だからこんな苦しみは笑える話で、もっと深刻に、明日もないような苦しみの中にいる子たちが、言葉の魔法に触れる方法があったらいいと、切に思う。


吉本ばななさん。そんな名前だから、本当にquite funnyだと思ってたんだ。ずっと分からなかったじゃない。面白おかしい小説を書く人だと思っていた。
私が生まれる前から存在していた物語に、たったの142 円で、私はちょっと救われてしまった。

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