大切なのは定性の部分
今日はこの対談から。
”「食べていけるだけで幸せ」という基準があって強いよね。”
こんな言葉が出てきて、そうそうそれそれ。と、なりまして。
多分、前にも書いてるんですが、僕は幸せのハードルが低いのです。
月の食費は1万5千円で、ここには交際費も含んでいて。
時期によっては超える事もあるんですが、基本お釣りがくるほどで。
遊興費は、ネットフリックスとアマゾンプライムとニューズピックスで、これらが月に3000円程度。
ざっくり家賃+2万円で僕の生活は完結します。
節約自慢をしたいのではなく、僕はこれで幸せに暮らしていて。
可哀想と思う人がいるかもしれないからもう一度書くけど、僕は幸せで。
この前ご飯に行った友人は、2ヶ月に1度のボードゲーム会合が楽しみって言ってたから、やはり類は友を呼ぶんでしょう。
僕の5倍は稼いでいるはずなんだけど。
幸せの尺度は人それぞれです。
その尺度の事を基準と呼ぶのでしょう。
基準があるといいのは、どこまで落とせるかを決められるからで。
闇雲に上を目指す必要が無く、無闇に不安にならなずにすむ。
幸せを守る為には何が必要なのか、いくら必要なのか。
書き出してみると驚く人もいると思います。
こんなもんかと思うはずなので。
仰天欲深お化けじゃなければ。
賃金が上がらず、物が安い国に生まれ。
サービスの質が高く、便利な時代になり。
その最大公約数が僕の幸せと合致していて。
ラッキーだ、運が良い。
1000円で観きれない程の映画が観れて。
1000円で分かりやすく世の中を解説してくれるニュースが読めて。
1000円払えばお腹も満たされる。
うわ、こいつかわいそうだ。と、思われてもいいんだけど、僕の幸福を舐めるなよと。
これはあくまでも表面的なやつ。
定量で書きやすいからこう書いてるだけで、幸福は定性の部分が大切で。
このお店があり、会いに来てくれる人がいる。
僕にはこれがあるから、月2万でも満たされているのです。
この充足感はお金を払えば再現できる訳ではなく。
それを勘違いした小金持ちが、その力を使って相手を買ってると思うんですが、それで満たされると思ってるのが大きな間違いで。
きっと過去に満たされた経験が無いのでしょう。
だから、やり方が分からず、分かりやすい金の力を使ってしまう。
お金を使えば、それは定量の評価になってしまうので、尺度が金額になる。
5万払ってこの満足度か。
みたいなね。
買った事ないから知らんけど。
でも、多分そんな気がする。
さて、脱線した。
でも、長くなってしまったので、続きはまた明日。
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