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Tokoshie とこしえ

母が亡くなったのは、わたしが40歳のとき。5月14日の、母の日だった。

生まれた瞬間から40年間、真正面から母と向き合い続けたので、死んだ日は心穏やかだった。

「母親」という役割は、この世界において”絶対”である傾向がある。
自己犠牲の鏡みたいだった母もまた、その役割を全うしようとしたうちのひとりだった。

もうすこし高い次元からみると、母だからといって愛する義務はないし、血がつながっていなくても、母の愛を注ぎ合うことはあるし、母親の役割に縛られる必要はないと思う。

わたしたちは、母親である前に、ひとりの存在であって、それは自由であっていい。

それで子育てを放棄してもよいのかといえば、それもまた違う。

自由でありながら、その役割を全うしながら、なお母という役割を越えた場所で、子どもたちや、この地球に存在するすべての生命を愛するということ。

それは太古からいのちを繋ぐ上で延々と受け継がれてきた存在であり、この先も地球が滅びるまで永遠に続く。

この人間の世界で、最も尊ばれる愛は?と聞かれたら
多くのひとは、「母の愛」と答えるに違いない。

自分を犠牲にすることなく、果てしなく大きな愛ですべてを受け入れて許してゆくことは、まさに無条件の愛を使わないといけない学びに満ちている。

やわらかな赤が滲んで、向こう岸までずっと続いてゆく光のような、そんな愛を大切にしてゆきたいと思う。





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