精一杯の別れのかたち。


お久しぶりです。
久しぶりのnoteへの投稿ですね。
3月になった今日だからこそ、ここに残しておきたいことがあって、ここに来ました。

この季節になると、必ず思い出すことがあります。  それは、ある子が教えてくれたことです。
その子からの教えは、
子どものそばで別れを見送る機会があるすべてのひとにぜひ、読んでいただきたいと思います。




この仕事柄、3月という季節は多くの別れを経験します。
家庭引き取りや措置変更となった子どもたち、
実習生さん、退職される職員さん、ボランティアの方々、幼稚園や小学校の先生、地域保護者の方、
児童相談所や関係機関のワーカーさんなど
お世話になった方達とのお別れがあります。

私たちおとなは、今までのお礼や出会えたことへの感謝を伝えられるし、
ご縁があればまた繋がりを持ち関係を続けることもできます。

「ここで、この関係が全て終わる。」と思い詰めるよりも
いつかまた会える日を視野に入れて
お互いの門出を見送れる、そんな別れを持てるかもしれません。


でも、果たして施設の子どもたちにとって
大切な人との別れとは
どのように映っているのでしょうか。



施設で暮らすことになった子どもたちの多くは
「納得する別れを経験する機会すら与えられないまま
引き別れた」
そんな経験を持っています。

気づいたら、いなくなっていた。
知らない間に、会えなくなっていた。


なんで、お父さんと会えなくなったのか、
どうして、お母さんは死んだのか
なんで、前に通ってた小学校に行けなくなったのか
どうして、私はここにいるのか


その子が分かるような説明もされぬまま、
会いたかった人と突然会えなくなった経験を重ね
施設に入所することになった子ども達が多いのです。


「もしかしたら、ぼくが、
わたしが、悪い子だったからかもしれない」

そんな事実とは違う責任感を
誰にも見つからずひっそり心の中で抱え続ける子もいます。

だからこそ、私や現場の大人は願います。
子どもたちに「ちゃんとした別れ」を
経験させたい、と。

別れの日にちを伝え、理由も話し、
お別れの日に向けて思い出を振り返り
別れの日には「またね」と目を見て
手を振り合える。
これは永遠の別れではないことを、
また会える別れであることを、
私たちは子どもたちに伝えたい。
そう、願ってしまっていました。


けれど、
突然の別れしか経験してこなかった子どもたちは
私たちおとなのように
目の前の別れに前向きに手を振れるのだろうか。

永遠の別れを嫌というほど経験してきたた子どもたちは
一体どうしたら
またね、を信じて
別れる人の後ろ姿を見送れるだろうか。

【大事な出会いだったからこそ
大事にお別れの瞬間を扱ってもらいたい。】

私たちの願う「理想の別れの形」は
あくまでも、私たち大人の願う形であり
子ども達には、子ども達なりの
「精一杯の別れの形」があること。

もしかしたら、それは
時に「そっけなく」見えたり「別れの場にふさわしくない」ような言動に見えることもあること。

それを念頭に私たち大人は、その子の気持ちに思いを馳せ、その子が別れの気持ちにどう整理をついていけるかを見守ることを何よりも大切していく必要があるのだと、気付かされたのです。




ある子がいました。
その子はある3月にいっぺんに身近な存在である4人との別れを経験することになりました。
仲の良かったお友達、そして
大好きだった職員との別れの日。

他のおとなや子ども達が総出で見送りをする中
周りがどんなに声をかけても、導いても、
その子だけは決して見送りに来ることもなく
別れの空間に背を向け、
1人テレビを見てその時間を過ごしていました。


はたからみたら、
この子は、非常識な子に映るかもしれません。
薄情な子に映るかもしれません。

けれど、この子が今までどんな別れをしてきたのか
私たちおとなは考えなくてはならないのです。

無慈悲な別れを嫌というほど経験してきたこの子にとって
この別れが今までの別れのように辛く
向き合うことすらできなかったのだとしたら。
手を振ったら、
別れを認めてしまう気がして
別れの空間にそこに居ることすら怖かったのだとしたら。
バイバイさえしなければ、
いまこの別れを認めさえしなければ、
またいつか会える。
そのいつかが、くるかもしれない。
そんな希望を、手離したくなかったのだとしたら。


「お別れの日だから、こうしようね。」
「最後の挨拶だから、こういおうね。」

別れという瞬間に"ちゃんと"きちんと"
向き合わせようと大人の決めた別れの形や色を子ども達に示すのは、
もしかしたら、おとなのエゴなのかもしれません。

【その子はいま、
その子なりに精一杯の別れの向き合い方をしている】
私は、そう思うのです。


私たちおとなにできることは、
大人同士の別れの仕方を見せること、
そして別れの機会があることを子ども達に教えること。
ただこの2つだけで、本当はいいのだと思います。
 
この別れを
その子がどんな形にしようか
何色に塗ろうか、もしくは塗らないでおくか
それはおとなではなく、その子が決めることなのです。


子ども達は、私たちおとなの知らないところで
その子のペースで、その別れとどう向き合うか形や色を決めていきます。

その形や色が決まっていくのにかかる時間は
その子それぞれで。

1週間後に決める子もいるでしょう、
3ヶ月後に「やっぱり塗るのはやめよう」と決める子もいると思います。
もしかしたら、1年経ってやっと、その別れに触れることができ、おとなの知らない間に、机の奥にそっと伏せるかもしれません。

私たち職員が大事に扱うべきは
大切な人との別れの日に見られるその子の姿そのものと、
別れの日以降に見られる
その子の姿そのもの。
その子の心、そのものなのだと思います。


お別れは、今日だけで完結するものではなく
時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり
形が決まっていくもの。
色をつけていくもの。

そばにいる私たちは焦ることなく、せかすことなく、
その子のその日を、そばで見届ける。
それが、その子と共に別れを経験した私たちにできる、最大のことなのだと思うのです。

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