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自分の居場所が見つからない人たちの物語 岩井俊二監督作『キリエのうた』

 ある世代は、デジャヴを感じるかもしれない。アイナ・ジ・エンドを主演に迎えた、岩井俊二監督の新作映画『キリエのうた』が、10月13日より劇場公開されている。

 2023年6月に解散したガールズグループ「BiSH」のメンバーだったアイナにとって、初の映画主演作。他人とはうまく会話できないが、歌を歌うときだけは自分の感情を素直に表現できるという風変わりな女の子の役だ。棲む家もなく、家族もいない彼女は「キリエ」と名乗り、路上で歌を歌い続ける。歌を歌うことだけが、彼女にとっての居場所だった。

 キリエの歌声に惚れ、イツコという名の若い女性(広瀬すず)がマネージャーを引き受ける。イツコに連れられ、都内の男性宅を転々としつつ、路上ライブを重ねていくキリエ。やがて、風琴(村上虹郎)ら音楽仲間が彼女の歌に惹き寄せられるように集まる。風琴らは他のミュージシャンたちにも呼び掛けて、路上フェスを開くことを企画する。音楽を介した「幻の共和国」が路上に出現することになる。

 女性ミュージシャンをフィーチャリングした岩井俊二監督の音楽ドラマとして、CHARA、三上博史、伊藤歩らが出演した『スワロウテイル』(96年)が思い出される。無国籍な街「円都」に、CHARAのスウィートボイスが響き渡った。TVドラマ『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(93年)で岩井監督は注目を浴び、初の長編映画『Love Letter』(95年)は日本だけでなく、アジア各国で予想を上回る大ヒットを記録した。なかでも韓国映画界に、岩井作品が与えた影響は計り知れない。そんな岩井監督が時代の寵児として祭り上げられたビッグバジェットの作品が、『スワロウテイル』だった。

 バブル時代の余韻を漂わせていた『スワロウテイル』が、キャストを一新して令和時代に帰ってきたー。『キリエのうた』が始まってしばらくは、そんな気がしていた。小林武史が音楽プロデューサーを務めていることも、そう感じた要因のひとつだったかもしれない。このデジャブな感覚は、はたして哀しい予感だろうか、それとも幸せの予感なのだろうか。

 どこか既視感のする『キリエのうた』だが、ファンタジックでおおらかさが感じられた『スワロウテイル』に比べると、もっと現実的で、シリアスな物語となっている。キリエはなぜ普通にしゃべることができなくなってしまったのか。イツコが男たちを手玉に取り、犯罪まがいの行為に関わるようになった理由も、物語の進行と共に明かされていくことになる。キリエもイツコも、自分の居場所を懸命に見つけようとする。ふたりの孤独さが、ふたりを強く結びつけていく。

 岩井俊二監督は、蒼井優と鈴木杏が共演した『花とアリス』(04年)などのシスターフッドものも好んで撮ってきたが、今回のキリエとイツコの関係性は、やはりこれまでになく切実なものを感じさせる。物語は2011年から2024年までの13年間にわたり、上映時間は178分におよぶ。バブル経済の崩壊から30年、この国は復興するどころか、ますます生きづらさを抱える人たちが増える一方だ。

 キリエはギターケースを載せたアンプ機材を引きずりながら、路上ライブへと向かう。重そうな黒塗りの機材は、まるで棺のように見える。キリエは忘れられない過去、亡くなった人たちの想いを背負って、歌を歌い続ける。キリエにとっては歌を歌うことが生きることであり、社会とつながることができる唯一の手段でもある。

 路上の歌姫として脚光を浴びるようになるキリエだが、決してカリスマ的な存在ではない。不器用で傷つきやすく、誠実に歌を歌うことでしか自分の存在を証明することができない。時代設定などを気にしなければ、岩井俊二監督のもうひとつの音楽もの『リリイ・シュシュのすべて』(01年)の歌姫・リリイの誕生譚のようにも思える。

歌を歌うキリエは、巫女のような存在

 岩井監督が生み出し、アイナ・ジ・エンドが演じることで具現化したスクリーン上の架空のキャラクターであるキリエだが、現代社会を生きる私たちにも少し似ている。

 パソコンに向き合っているときに、いちばん自分らしさを感じる人もいるのではないだろうか。スポーツやゲームに熱中しているときに、解放感を感じる人もいるだろう。仕事を失い、生き甲斐まで奪われたと感じる人もいるに違いない。

 自分がいちばん自分らしくいられる場所、自分が持てる能力を気持ちよく発揮できる環境が、その人にとってのベストの居場所となる。キリエにとっては、機材のそろったスタジオやステージもいいが、やはり自由に歌を歌うことができる路上こそが、いちばん自分らしくいられる場所のようだ。

 自分の居場所を求め、自分を愛してくれた人たちを想い、キリエは歌う。キリエが歌う場所が、今を生きるキリエの居場所となる。やがて、キリエが歌う歌そのものが、キリエ自身となっていく。キリエが魂を込めて歌っている間だけ、この世とあの世との距離もほんのちょっとだけ縮んでゆく。歌を歌うキリエは、巫女のような存在でもある。そしてキリエの歌を全身に浴びることで、客席にいる私たちの魂も少しだけ浄化されたような気がする。

 キリエと一心同体化してみせたアイナ・ジ・エンドは、主題歌「キリエ 憐れみの賛歌」を含む劇中曲6曲を手掛けた。演技キャリアとしては、2022年8月に上演されたブロードウェイミュージカル『ジャニス』で、伝説の歌姫ジャニス・ジョプリンを演じたことが特筆される。当時のアイナは27歳。ベトナム戦争が時代に大きな影を落とした1960年代に花火のような輝きを放ったジャニスも、27歳の若さで命と引き換えにロックシーンの伝説となった。

 失なわれた命やダメになってしまった夢を、キリエが弔うように歌うこの物語は、哀しい予感のまま終わるのだろうか。それとも幸せの予感を与えてくれるのだろうか。

 おそらく、ある世代にはデジャヴを覚える物語が、アイナと同世代かそれよりも若い世代には福音のように感じられるに違いない。もちろん、この映画を観てどう感じるかは、キリエの物語を最後まで見届けたあなた次第だ。

 私は思う。歌を歌うことも、歌を聴くことも、そして映画を撮ることも、映画を観ることも、すべては人間が人間らしく生きることを肯定する行為なのだと。この映画のヒロインは13年かかって、ようやく生きる力を身につけたのだと。

 映画『キリエのうた』
原作・脚本・監督/岩井俊二 音楽/小林武史 
出演/アイナ・ジ・エンド、松村北斗、黒木華、広瀬すず
配給/東映 10月13日より全国ロードショー
(c)2023 Kyrie Film Band 
https://kyrie-movie.com  

 


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