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ゲルハルト(初稿)

ゲルハルト・リヒター展、丁度休みがあったので二日目にいった。

心配性の自分が展覧会に行く際、「コロナ感染」を全く考えなかったのだから、季節はアフターコロナに変わったように思う。オミクロン株の実態を周囲で見聞きして許容できるリスクと体が判断するようになったことで、「事後」へ行こうしたのだろう。

自分は長らく肉体的実感、情動を伴う直接的体験こそ美術作品の受容だと信じてきた。今も基本的にはそうだ。だから例えば絵の図像が持つ言語的な意味を調べて、この絵にはこんな「意味」(言語化できる)があります、という理解は、作品そのものを捉えておらず、一段劣るものと思ってきた。(美術史的な理解)

ジャクソン・ポロックの「インディアンレッドの地の壁画」が東京で展示されたとき。ゴーギャンの「我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」を見たとき。マーク・ロスコのオールオーバーを見た時。アンディ・ウォーホールのマリリンモンローを見たとき(ただの写真をもとにしたシルクスクリーンなのに)、自分は上記の状態になった。だからそれらを本物であると信じた。死ぬときに自分はこれらを見たと思い出すだろう。

ゲルハルト・リヒターの「ビルケナウ」も当然そのような作品だと思っていた。
しかし、何かが違う。
あれ?
体にこない。感覚器にこない。覚醒感がこない。どこまでも高揚しながら頭の芯が冷めきっていくあの感覚がない。

それは汚れた収容所の壁のようなコンクリートの画面だ。

でも、確かに強い力と強度を持つ「本物」の作品なのだ。それは、わかるのだが、感覚が伴わないのだ。

本物だけど、自分の体にこない。こんなことはあるのだろうか、と疑問を感じたまま展示をめぐる。オイルオンフォトは体にきて安心するが、これは彼の本質ではないはずだ。やはりビルケナウなのだ。

「自分はリヒターが体ではわからなかった」という経験を持ち帰り、図録を読み、ユリイカの素晴らしい特集で学び、リヒターという作家を理解するところから始めた。この時間は豊かなものになった。

優れた作家・作品は知の結節点、扉となっている。傑作一つを理解するまでにそれらを成立させている知に触れることができる。明らかに自分を超えた作品に向かい、理解しようとする。その過程で目覚める。そのような経験は久しぶりだった。そしてそれこそ自分が美術に求めているものだ。

ビルケナウの現時点の自分の理解は以下の通り。

・幼少期、ナチス政権で育った周りの大人は虐殺者(及び支持者)、自分もその国民、収容所に送られたユダヤ人たちに対して負った十字架

・収容所での死体の隠し撮り写真をもとにぼやけた絵を描く(フォトペインティング)真実には到達できない、直視はできない、という意味と形の一致

・それを完全に覆い隠す(埋葬行為、遠くなる事実)。抽象画の強度は高い。うまい。灰色、赤、緑、黒。抽象的だが、死のイメージが浮かぶのは自然なこと。

・抽象画をさらにデジタルコピーで写し、シャイン(絵の表面に現れた意味を持つ光のようなもの、クオリアのより図像イメージに近い感じか?)だけを抽象画という「肉」から写しとる。
(物質からの解放)(メディアで拡散し薄れてゆく本質)

・そのコピーを十時に切って離すことで、形を持たない十字架を刻み、抽象画と向かい合わせる(永続的な追悼、「鏡と向かい合い」「立ち尽くす」)

会期中にもう一度見てこようと思う。

最後に、作品を自分の側に引き寄せる共感的な理解は低い、という考えもあるが、ドレスデン生まれ、ナチス時代に育ち、西へ脱出したリヒターが強制収容所を描け「なかった」ビルケナウには個人的(私小説的)な重心を感じた。

個人的な痛みの物語が結果として普遍性を持つ。仙台で大学生活を送り、東日本大震災を東京で経験した自分は、そのような物語にやはり弱いようだ。

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