洸村静樹
美術、小説、音楽などに関する随筆
公募に応募した短編など
主にスマホで撮った写真
20代の作が中心。甘さも含めて若さゆえの良さもあり残しておくことにした。今書いている小説とは随分違うが、色彩のようなものは共通しているかもしれない。
文章は音楽と似たところがあり、集中力が途切れるとミストーンが生まれる。表現したい内容と言葉のずれ。例えば落ち着いた内容を書きたいなら「ちょっと」「さっき」と言った平すぎる言葉はミストーンになる。自分が下読みなら最初の3ページでここをチェックする。作者の文章に対する意識がわかるので。 作品には声がある。ザ・スミスにはザ・スミスの、オアシスにはオアシスの音があるのと同じだ。その言葉は作品の声からズレていないか。 そんな訳で、自分の推敲にはトーンの調整という工程がある。神経を使
変らしい。思えばあんなに便利なインフラをビッグデータおよび広告係を担うことでタダでつかえていたのがおかしな話だったのかもしれない。 有料にしたら広告係である無料民がいなくなるので、広告インフラとしての機能を失い、サービスは終わるのだろうなと思う。また課金されて出てくる情報は、金で方向付けられたものになるだろう。今でさえイーロン・マスクのナルシスティックな広告にうんざりしているというのに。 黎明期のインターネットにあった自由/無料/平等の幻想が終わったのかなと思う。 自分の
それはいつも左である。右目が悪いせいか、左目に負荷がかかり、それが耳にいき、肩に行き……を繰り返して左側の筋が全部石のようになり、寝ても治らない眼精疲労から、耳の聞こえの悪さへ向かう……を周期的に繰り返している。一番ひどい時は左耳が突発難聴直前まで行った。(その時はストレス源の会社を転職した) この数ヶ月、しばらく大丈夫だったがまたきた。 薬で誤魔化しながらストレス源の仕事を進め、マッサージ、ヨガなどでできるだけ体を緩め、ストレスがないところまで切り抜ける。止まるとさらに
ふと思う。「詩」の言葉が苦手になってきてるかもしれない。 言外の意味があったり、言語化できない意味・強度を含んでいたり。シニフィエとシニフィアンが常に一致していたり。濃密な描写、流麗な流れ、適切な修辞。意外な意味のジャンプ。 一般に評価される要素、というよりそのバトルこそが詩/一部純文学であり、そのような言葉に恍惚としたことは僕も当然何度もある。目指してもいた。 しかし小説を書き始めて3年ほどたつと、ただ現実を正確な言葉で写し取ることのほうが自分にとって美しい行為なので
いつからだろう、アイスコーヒーが好きになった。ホットより頭がシャキっとする気がする。季節は問わない。北海道人は真冬にアイスを食べるが、それに近い。ガムシロは基本的に入れないが、たまに使いたくなる。クリームは不要。 家でアイスコーヒーを淹れることはない。店で頼むのが好きなのだ。 ではあるが、こないだふと仕事中にアイスコーヒーが飲みたくなり作成した。 家には象印のコーヒーメーカーがあり、それを愛用している。 昔は兎の印がついた琺瑯のポットでコーヒー蒸らし、垂らし、膨らませて、落
ゲルハルト・リヒター展、丁度休みがあったので二日目にいった。 心配性の自分が展覧会に行く際、「コロナ感染」を全く考えなかったのだから、季節はアフターコロナに変わったように思う。オミクロン株の実態を周囲で見聞きして許容できるリスクと体が判断するようになったことで、「事後」へ行こうしたのだろう。 自分は長らく肉体的実感、情動を伴う直接的体験こそ美術作品の受容だと信じてきた。今も基本的にはそうだ。だから例えば絵の図像が持つ言語的な意味を調べて、この絵にはこんな「意味」(言語化で
第五回仙台短編文学賞に入賞した。プレスアート賞。いつものように電話が来て(薬局にいた)、今回は新聞に記事が載り、4月5日発売のKappo仙台闊歩で作品とインタヴューが発表されるそうである。授賞式に仙台へいくことになった。 2019年に小説らしきものを書き始め、3年目。高校生ならもう卒業だ。地元大会二位でインターハイまでは行った、くらいだろうか。いわば湘北である。 一区切りなので自分の活動を振り返ってみる。テーマは仙台時代にうまれて時間の経過とともに小説と言う形でしか表現で
短編の文学賞に出した。短編は小さなテーマを、短い時間軸で、技巧を凝らして書き抜く「引き算」のセンスが必要とされる。 このため、自分は神の不在を前提として、信仰と創作をテーマに、旧石器時代から令和までの時間軸で、神の通史的視点、内的視点の二部構成で書いた。足し算どころか掛け算である。自分はそのようなオブセッションを抱えた過剰な作家である。 個人の震災を「記録文学」として一度描いた後の客観的な視点で、「小説」として書いたのだと思う。物語構造自体が謎として機能するので、読者は東