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音楽をつくるということ / 対談 with 今井了介 # 1

平良 真人( @TylerMasato ) の対談シリーズ。
今回のお相手は音楽プロデューサー今井了介さん( @ryosukeimai )。

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今井了介(いまいりょうすけ)
音楽プロデューサー・作曲家。
1999年 DOUBLEの「 Shake 」のヒット以降、安室奈美恵「 Hero 」、
TEE / Che'Nelle「 ベイビー・アイラブユー 」など多くのアーティストの楽曲・プロデュースを手がける。
2019年には楽曲「 Hero 」でJASRAC賞金賞を受賞。
 またW杯ラグビーNHK公式テーマソング Little Glee Monster「 ECHO 」の作詞・作曲・Prod.も手掛けた。

安室奈美恵さんの「 Hero 」をはじめ数々のアーティストの楽曲を手掛けて来られた今井さんにプロデューサーへの道のりと拘りをお伺いします。

レコード会社で働く所からスタートした音楽活動

平良真人(以下、平良):いつ頃から音楽家になろうと思っていたのですか? 

今井了介氏(以下、今井氏):
もともとはアート系のクリエイティブがやりたくて大学まで辞めたのですが、若さと行きすぎたこだわりが邪魔をして社会に馴染むクリエイターになれなかったんです。このまま絵で生計を立てることは難しいと思い20歳の時に音楽家になると決めました。

平良:そこで音楽に決めた理由はあるんですか?

今井氏:
両親も音楽を仕事にしており小さい頃から音楽に触れていたからなんとなくできそうだなという若者の大いなる勘違いと、印税など権利が保障されているビジネスの方が長い目で見た時に良さそうだなと思いました。

平良:アートより音楽の方が食べていけそうだなと。

今井氏:
90年代初期で音楽業界がとても潤っていた時期だったことと、当時流行っていたJ-POPの中には僕の好きな音楽は無くて、新しいカルチャーやポップスを作れたら良いなという思いもありました。

平良:突然、音楽業界に行くと決めて最初は何から始めたんですか?

今井氏:
まず最初はEMIミュージック・ジャパン( 当時の東芝EMI )にバイトで入りました。音楽制作のマナーや音楽著作および権利について何も知らなかったので、まずは学びたいと 2 年半くらい働きました。
音楽家になりたいと思った時に、音楽事務所に入る・作家に弟子入りする・バンドを始める・音楽系の専門学校に行くなど沢山の選択肢がある中で、まず最初にレコード会社で働くという選択をした若かりし頃の自分は褒めてあげたいと思いますね。

平良:まず働く選択が結果として良かったということですね。レコード会社ではどんなことをされていたのですか?

今井氏:
最初はスタジオを抑えたりケータリングの準備をしたり宣伝のお手伝いをしたりと所謂アシスタント業務から始まりました。その後、僕が打ち込みができることがわかるとミュージシャンやエンジニアさんに可愛がっていただいけるようになり、次第に音楽を作る作業に関われるようになりました。

当時はデジタルテープの時代で、例えば、8トラック分の歌を 1 番のサビから 2 番のサビにコピーするだけでも 1 時間近く掛かる。ドラム 1 小節をループする作業も難しくてレコーディングアシスタントの子からしたら地獄のような作業だったわけです。そんな中で僕は打ち込みができたからサンプルしてループしてすぐに出しますよ!みたいに言うと重宝されるようになりました。Pro Toolsを個人で所有した作曲家としてはかなり早い方で、今思えば可愛がってもらえていたのか便利に使われていたのかは分からないですけどね(笑)。

そんな風にして音楽制作の現場で制作の内側をディープに見て、会社に戻ればギャラの仕組みや権利配分を学びました。同時に少しづつ自分が作った曲も使われるようにもなっていき、信頼ある大企業で働いている間にローンで機材を一通り買い揃え、音楽が作れる環境に引っ越したりと着々と準備を済ませていきました。その後、23歳の時に本格的に独立しました。

平良:資金面も含めてレコード会社で働いたことがその後の活動にとても活きているということですね。

今井氏:
独立することも応援してくれるような本当に素敵な上司に恵まれて感謝しかないですね。
現場で叩きこまれることは、学校で学ぶよりもリアルさとスピード感があったと思います。2 年半の間で本当に色んなことを学ばせてもらった感覚があるので、同じように音楽家になりたい人がいたら、僕は専門学校に通うよりも現場で働くことをオススメします。

平良:独立することに不安は無かったですか?

今井氏:
当時は待遇も良くしていただいて 23 歳の若者にしては給与面でも恵まれていたと思うので、それが全部無くなることの不安はもちろんありましたけど、それよりも音楽を作ることに 100 %専念できる喜びや期待感の方が大きかったですね。

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最初のヒット曲「 Shake 」

平良:23 歳で独立されてから、どんな過程を経て音楽で生きていけるなと確信を持てるようになったのですか?

今井氏:
独立後ヒップホップの老舗レーベルであるファイルレコードの佐藤社長と引き合わせていただいて自分の音楽のスタイルを確立していったのですが、セールスとしてはある程度数字が出ても、お茶の間への浸透度や新しいトレンドを作るまでは、まだまだ程遠くて…。
そんな中で最初の大きなヒットは DOUBLE という女の子 2 人組の「 Shake 」という曲でした。それが 24 歳の時に書き 25 歳でリリースされましたね。

平良:その時に確立されていた音楽のスタイルはどんなものだったのですか?

今井氏:
日本の歌謡曲はメロディが強くメロディに集約された情緒感があって、リズムやアレンジは比較的後回しになりがちな傾向があって、僕は洋楽と並べても世界的なトレンドと同じ位置にいるような楽曲をポップスとして作りたいなってずっと思っていました。それに成功して市民権を得た曲が「 Shake 」だったのかなと思います。

今考えても日本の概存の価値観だとポップス及びシングル曲として売る気があるとは思えない曲なんですよ。要はカラオケでサビを歌って高揚感のある曲になっていない。言葉をリズムの1部であり音の1部と捉えている、日本のメロディに対する情緒感とかけ離れた実験的な曲だったと思います。

平良:今まで売れている音楽の手法を全く使わない楽曲になったんですね。

今井氏:
そうですね。チャレンジな曲ではあったと思います。
CDやレコードを沢山買いクラブに行ったりもしながら、音楽がどんな風に作られ聞く人はどんな風に楽しんでいるのかと毎日知識を積み重ねとことん体感してきたからこそできた楽曲だったと思います。
それにしてもレコード会社のスタッフさん含めよく「 Shake 」をシングル曲にしてくれたなとは思いますね。売れたら日本が変わるかもしれないけど、本当にいけるのか戸惑いながら出された曲だと思います。
結果として聴く人が選んでくれたおかげでラジオでリクエストが入ったりCDが売れたりとヒットに繋がって良かったなと本当に思いました。

平良:世界基準で考えた楽曲が日本の中でも受け入れられることがわかって、そこから次はどんな風に展開していったのですか?

今井氏:
常にトライアンドエラーなのですが、僕はヒップホップが好きですけど、ヒップホップだけを作る人になって受け入れられるとも思えず、ポップスとしてもっと多くの人に受け入れられるような曲を作りたいなと。日本のカラオケカルチャーのど真ん中で進化を問うようなものを作りたいと何年か足掻いた中で生まれたのがTEEの「ベイビー・アイラブユー」。
この曲はお茶の間に浸透して、何年も結婚式で1番使われる曲になり色んな人々の人生に入り込んだ曲になったのかなと思っています。音楽リテラシーの高い人だけじゃなく多くの人に届いた曲という意味では、次のステップに行くチャレンジの結果が出た曲だったのかなと思っています。

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シンガーソングライターと職業作家の違い

平良:
そして、2016年安室奈美恵さんの引退前最後のシングルでもある「 Hero 」は国民的な楽曲になったと思うのですが、「ベイビー・アイラブユー」以降はずっと多くの人の生活に入り込む曲を作りたいというモチベーションだったのですか?自分が作りたいものを作りたいみたいな気持ちもあったりします?

今井氏:
30代前半までは職業アレンジャーや職業作曲家には絶対出せないような曲を作りたいという気持ちは結構強かったのですが、今は、マニアックさやエッジを立たせて人々の耳を奪い去るようなものよりも、多くの人に受け入れられる曲を作ることに気持ちは向いているかもしれないですね。
もともとサウンドプロダクションは若い人により向いている作業だと思っていて、ビートやサウンドプロデュースみたいなものは多少粗削りでもその時代を生きている若い子たちのリアルな耳には勝てないと思っています。トレンドに沿った時代にフィットする楽曲を自然に作ることができる若い感性は強いです。

平良:学んで出すか自然に出せるかの違いですよね。

今井氏:
最近の曲はオートチューン(フワーン、モワーン、みたいな加工声)を当たり前にピッチ調整で使っているので、若い子達はカラオケで加工したような声で歌える。僕らの世代はそんな風に歌えないんですよ。
知識上や日々生活している時にはそれほど違いを感じていなくても、圧倒的なジェネレーションギャップが自然と生まれているんですよね。

僕はあいみょんも好きなのですが、「 死ねー!」みたいな曲って職業作家は絶対に書かない曲なんです。シンガーソングライターみたいに自分の思いをそのまま出すことができる人しか書けない。自分で自分の曲を書く方は職業作家よりはるかに高い次元で面白い言葉選びや独特の世界観を生み出すことができると思うんですけど、僕らのようなプロの音楽家はより大衆に響くものを経験値によって生み出しているのかなと思いますね。

歌った時に心の琴線に触れるようなメロディを紡いだり、詞を書いたりするには熟練も結構大事で、12 個の音の組み合わせをどう組み立てていくかのような数学的要素も踏まえつつ、言葉の乗せ方や選び方が経験によって洗練されていき、結果として国民的ヒットに繋がるような間口の広い曲が出来上がるのだと思っています。

平良:今はどちらかと言うと、DOUBLEの「 Shake 」みたいな新しいサウンドではなくて、多くの人に聞いてもらうための曲作りをしているんですね。

今井氏:
そこもすごく難しくて、日本人が好きな曲とワールドワイドに売れる曲は構造がまた全然違うので、結構脳みそのスイッチ切替はしています。

(つづく)


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