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武相荘ってなんだ。

12月某日。待ちにまった、武相荘へ行く日。
初めてこの場所の存在を知ったのは、数か月前の茶道の先生と生徒達の会話でだった。「ぶあいそう、いいですよねえ」なんて会話をしていたので、うまく頭で変換されず、「不愛想なのはよくないだろう」と心の中で冷静に突っ込みをしていたところ、「武相荘」という場所があるのだと教えてくれた。

「武相荘」(ぶあいそう)は昭和の有名実業家・白洲次郎と文筆家・白洲正子の夫妻が暮らした旧宅。昭和初期に移築された茅葺屋根の農家(主屋)をはじめレトロな建築が立ち並び、町田市の指定文化財(町田市指定史跡)となっています。

武相荘(旧白洲邸)庭園 ― 白洲次郎・正子ゆかり…東京都町田市の庭園。 | 庭園情報メディア【おにわさん】 (oniwa.garden)

公式HPによると、白洲次郎は、昭和十八年(1943)に鶴川に引越してきて、当時から住まいに「武相荘」と名付け悦にいっていたそうだ。武蔵と相模の境にあるこの地に因んで、また彼独特の一捻りしたいという気持から無愛想をかけて名づけたそう。なんと粋なこと。

昔から私の実家には、白洲正子の本がたくさんあった。母親が好きで買い集めていたらしい。本をたくさん読む子どもではなかったので、白洲正子という人の本があるなあくらいで、手に取ったことはなかった。

武相荘にはカフェ&ギャラリーがあり、到着してひとまずそこで昼食を取ることにした。
土日の都内のレストランの混み具合を知っているので、ビクビクしながら入店すると、結構空いていた。13時過ぎということもあるが、県境に位置するここ武相荘はどうやら土日でも混まないらしい。木造建築の、温かみのある店内には、白洲次郎が好きだった絵などが飾られていた。白洲次郎の前情報一切なくやってきてしまったので、白洲次郎を思い浮かべて感傷に耽るというような楽しみ方はできなかったが、ファンならば、もっともっと深い楽しみ方ができたのだろうなと思った。

メニュー表に目を通す。困った、どれも魅力的すぎる。腹部の調子がよろしくなかったこともあり、お腹に優しそうな「親子丼」に惹かれたが、一番人気のメニューは「カレー」と言うもんだから、カレーを選択した。友人と私で、海老カレーとチキンカレーを注文し、半々こにした。

程なくして到着した。お米は花形になっていて可愛らしい。お米の皿には、千切りキャベツが載っている。珍しいなと思っていると、店員さんが、「白洲家で実際に食べられていたカレーです。次郎さんは生野菜を好まなかったのですが、カレーと一緒であれば食べられたので、いつもカレーを食べるときにはキャベツが添えられていたそうです」と説明してくれた。

そこでふと思ったのは「実家のご飯に似ている」ということだった。昔から、実家では食卓に高確率で生野菜が提供されていた。味のついた、火が通ったおかずとともに、スライスされたきゅうり、トマト、千切りキャベツ、ちぎったレタス等の生野菜が並んだ。実家の料理長である母親は、「味が濃かったりするといけないから、これで緩和してっ」とお茶目な感じで言っていたことを思い出す。そのおかげか、小さい頃から野菜は大好きで、毎食野菜を食べないと体がおかしくなる感覚がするのも、実家での食生活が身に染み付いていたからではないかと思う。特に、夜ご飯では野菜がたっぷりでてくるため、お米を食べる隙がなかった。焼肉に白飯、よりも焼肉に野菜、の方が自分の舌にしっくりくるのだ。図らずもこれまで激太りしたという経験がないのは、実家のご飯のおかげかもしれない。

というわけで一口口に運んでみる。少々スパイシーな感じ。美味しい。キャベツにもよく合う。ルーとキャベツを一緒に食べると、実家で塩辛い焼き魚と野菜を一緒に食べ合わせたことが急に思い出される。懐かしすぎる。カレーを食べながら思わず微笑む。

食後は白洲夫妻の生活していた茅葺き屋根のお家の展示を見に行った。白洲正子の書斎にはたくさんの本が並んだり、積み重なっていた。人とは比べ物にならないくらいの読書量と思考力があったことが、その光景を見てはっきり想像できた。また、なんとなく家の中の雰囲気が、祖父母の家に似ていて落ち着きを覚えた。

見学した後は再びカフェに戻り、どら焼きを食べた。パンケーキのような甘さとしっとりさを備えたどら焼きの生地は最高に美味しかった。居心地があまりに良く、気づけば閉店時間まで会話に花を咲かせていた。

白洲正子の本を読めばまた何か色々とアイディアが浮かんでくるのかもしれない。年末に実家に帰省したら、早速母親から本を借りて読んでみよう。


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