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正解はひとつではないという信念

私が学生だったころ、特に大学受験に向けて塾に行ったり、予備校に通ったりしていたときは「いかに正解を導くか」を徹底的に教え込まれました。パターン練習とでもいいましょうか。授業があって、最後に小テストをして内容を確認。次の授業の冒頭で前回の復習テストがあって、授業をして、その後に小テスト…以下略。このくり返しによって「正解を導く」方程式を身体で覚えていきました。

個人的には数学が得意。一方で国語は苦手でした。数学は原則、答えは「ひとつ」ですが国語は表現次第では答えを無数に出すことができます。「正解を導く」ことに慣れていた私は、機転が効かず柔軟性も乏しかったので、正解が複数ある(ように表面的には見える)国語が苦手、というか忌避していました。この問題は「選択式問題」に移行する過程で徐々になくなり、国語だけではなく英語も同様に、「正解を導く」テクニックを身につけて大学受験をなんとか(といっても一浪で)クリアしました。

このように正解主義に取りつかれていた私。ひとつの正解を探すという「常識」にがんじがらめになっていました。だから?なのでしょう。社会人になって苦労したのは「なかなか一歩が踏み出せない」ことからの脱却。ことを起こす前、正解はどこにあるんだろうか?という、今思えばとてつもなく傲慢な態度で仕事をしていたので行動を起こすことができませんでした

話は少しそれますが、私は幼いころピアノを習っていました。習い始めて早々に、飽きてしまってまったく練習をしなくなったので技術的には素人同然レベルでしたが、音楽自体は好きで、特にジャズのリズムが好きでした。ジャズが流れると心地よい気分になるのはいまも変わりません。シナリオがあってないような、アドリブをきかせながら演奏する自由な感じも大好きで、聴衆をノリノリにさせてくれることも、ジャズが好きな理由だと思います。

反対に、オーケストラは基本的には楽譜にそって演奏されるものと個人的には解釈しています。もちろん多少の、音の強弱、テンポの変化はあると思うのですが、指揮者のディレクションのもと、演者全員で「正解」を導き出すイメージ。もちろんオーケストラを聴くことも好きですが、ジャズとはその性質を異にするものと理解しています。

話を戻すと、VUCAと呼ばれる変化が激しく、不確かで複雑で、曖昧な世の中に生きる私たちは、決まったゴールに向かって正解を歩き続ける「オーケストラ」ではなく、どこに正解があるかわからない中で答えを探す「ジャズ」のような生き方や働き方が向いているように感じます。

ベータ版でもいいので、とりあえず一歩踏み出す。正解はたった一つとは限りません。とにかく行動してみて、いろんな人の話や、情報をえて柔軟に修正しながら、正解主義というかつて私が信じていた固定観念から離れて、修正主義へ移行していくことが大切だと思っています。

いまコンサルタントとして関わっているいくつかのスポーツクラブでは、このような考えのもと、プロセスを公開し、ファンの反応をみながら商品やサービスを修正しています。試作品でもどんどんリリースして、ファンと共創するくらいの気持ちで。自分だけのこだわりを伝えつつ、自分の内面から沸き起こる衝動や直観を起点にして、恐れず厭わずガンガン行動しています。結果、失敗も多いですが、成果を出す確度は徐々に上がっていくものです。

久保大輔




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