見出し画像

日本のポップ・ミュージックにとって、1973年がいかに大事な年であるかについて

どうも。

今日は前からしたいしたいと思っていた、この話をしましょう。

僕、以前にですね。

こういう連載を2020年にやってたんですけど、その時にですね、こう思ってたんです。

1973年って、日本のポップ・ミュージック史上ですごい年だったんだな!

 
これをすごく思ったんです。

 この年を機に、売れるものがガラッと変わるんですよ。何か急にすごくあかぬけるというか。その前の1972年までは演歌をはじめとした湿っぽい歌謡曲、結構チャートの1位になってるんですけど、この年からガラッと変わるんですよ。それはチャートの1位になる曲に象徴されるんですけど、ズバリ

ロックとかフォークがチャートで1位になり始めるような時期なんです!

 
何でこのことが日本のロックの教科書で語られてこなかったのか。それがもう不思議でね。「はっぴいエンドの日本語ロック論争が1971年にあって」とか「全日本フォークジャンボリーで過激派が」みたいな話はよく載ってますよね?でも、それって、日本の音楽ファン全体の中ではすごく少数のところでの話でしかないんですよね、まだ当時は。ヒットチャートにはっぴいエンドが入っていたわけではない(ここ大事)だし、世間全体では全然違う音楽シーンだったわけです。

ただ、それが1973年にガタガタッと変わり始めるんですよ。語ること、結構多いんです。そしてここから、日本のポップ・ミュージックのイメージが急速に変わっていくんです。

 これに気づいたのが3年前で、その時から「50周年にあたる2023年にこれを指摘する内容のものを書いてみたい」という願望がありました。でも、それをいつ書いて良いのかわからず、書きあぐねていたんですね。

 そうしてたんですけど、最高のタイミングを見つけたんですね。それがまさに今!

 なぜなら、50年前のちょうど今頃のオリコンの1位、これだったんですから!

はい。ジュリーの「危険なふたり」。これがジュリーがソロになってから初のシングルの1位。6月の中旬から3週1位になってます。

 これ、今聞いても最高にかっこいいんですよね。イントロがグラムロックのまさにそれで。ホーンとかストリングスが多いのはTレックスとかボウイの当時だって、そこはそんなに変わらないので、そこも良し。ファッションも見てのとおり、すごく当時のロンドンっぽい感じでしょ?

 こういう曲が1位になるようになったのがまさにこの年です。タイガースの時代もジュリー、1位はあるにはありますけど、もっと湿っぽい曲でしたからね。やっぱ、ソロになってからはかなり違います。

 ただ、この年、ロック、フォークで1位になったのはこれだけではありません。これもです。

ガロの「学生街の喫茶店」。これが2月から4月にかけて、なんと7週1位ですよ!フォークでの1位は、この前年に吉田拓郎が「旅の宿」で成し遂げてるのでさしずめ第2号なんですけど、彼らはこの年、本当に大ブームでして

6月にはこの「君の誕生日」という曲も1位になっています。

この2曲はガロの曲ではなく、山上路夫、すぎやまこういちという、タイガースも手がけていたコンビによる曲なんですけど、バロックポップっぽいんですよね。若干湿っぽくはあるんですけど。

このガロがすごく不思議な3人組でして、これらのヒットが出る前は「和製クロスビー・スティルス&ナッシュ」と呼ばれ、フォークだけでなく、かなりハードにロックにもトライしてたんですよね。で、このポップ路線を終えた後にはプログレ・バンドみたいにもなってたり。すごく不思議な変遷をたどったバンドなので、サブスクでのお以外はありますよ。

さらにですね、9月には

チューリップが「心の旅」でオリコン1位になります。

これが音楽どころ、福岡のアーティスト、バンドとして初のオリコン1位。あと、ビートルズに基本軸を置いたタイプのバンドでも初めての1位じゃないかな。

この曲、名曲ではあるんですけど、彼らの真価ってシングルA面だけでは分かりにくいことも確かで


この「心の旅」のB面の「夢中さ君に」なんて、ロックンロールの名曲ですよ。さすがはこの当時の福岡で一番上手いメンバー集めて作ったバンドだけはあります。この当時の日本のバンドには珍しいくらい演奏タイトで。財津・姫野のWヴォーカルだけでなく、安部、吉田、上田のギター、ベース、ドラムのピタッと合ったアンサンブル。見事です。

この3アーティストがチャートの1位ってだけで、日本におけるロックのステータス、相当上がったよなとも思ってたんですけど、さらにもう1曲あったのに気が付きまして



かぐや姫の「神田川」、これも10月から7週1位の大ヒットになってます。正直、これはあんまりカウントしたくなかったのが本音なんですけど、今クレジット確認したら、編曲、木田高介なんですね。ジャックスの元ドラマーですよ。あと、チューリップとかぐや姫は自作曲という意味でも大事だと思います。

こういう曲が、ガロを2曲計算にして計5曲、いきなり1位で出てきたの、すごいですよね。

ただ、これだけじゃないんですよ。

この年の年末には

井上陽水の「氷の世界」が出ているわけですから!

このアルバムは1973年の12月1日に出てるんですけど、1975年までにアルバムの1位に5度返り咲いた、日本初の初めてのミリオンセラー・アルバムになっています!

その当時にはテレビ出てなく、後年の映像なんですけど、これ聞いてもわかるように、この曲、アルバム、めちゃくちゃロックです。正直、フォークでカテゴライズされるのは違和感あるんですけど、これが1974、75年と2年連続でオリコン年間チャートで1位になるような国の状況って、それはすごくかっこいいですよね。

で、まだこれだけじゃないんです。

キャロルがこの年、大ブレイクしてるんですよね。アルバム2枚に、シングル6枚。そのうちの1曲がこれで、この当時20万枚のヒットを記録。2年後の野音での解散まで現象となります。

https://www.youtube.com/watch?v=23_dpfH0f7M

この年、キャロルのメディア露出、すごかったんですよね。TBS、フジテレビ、TVK、そしてNHKでドキュメンタリーまで。これやられたら、確かに気になりますよね。

 そして、まだあります。

荒井由実が「ひこうき雲」でアルバム・デビューですよ!

これが73年の11月にリリースされて、オリコンで9位まで上がってますね。これの前の年に「和製キャロル・キング」と呼ばれた五輪真弓が先にオリコンのアルバム・トップ10に輝いてるんですが、ユーミンが追い抜くのは時間の問題でしたね。

 そのユーミンをデビューの頃にプロデュースしたのが、ティンパン・アレー。はっぴいえんどの残党の細野晴臣や鈴木茂などからなるグループなんですが、そのうちの一人

1973年、今やもう古典的な名作ですね、アルバム「HOSONO HOUSE」を出しています。これ自体はヒットは当時してなく、むしろその次の「トロピカル・ダンディー」が初のオリコン・チャート・ヒットなんですがこのアコースティック・ソウル、やはり時代が早すぎたんでしょうかね。

 ティンパンアレーといえば、この年はユーミン以外にも傑作を出してまして

https://www.youtube.com/watch?v=aV_-qe_fny0


名盤選ではおなじみですね。「扉の冬」を発表した年です。歌い方がこの時すでにローラ・ニーロですけど、だんだんソウル、ディスコ色を上げていくことにもなります。

https://www.youtube.com/watch?v=AnGm1SMgMO0&list=PLfaL0BWERrs85jtDmK5tVVznuTr8r1ctA

はっぴいえんどとお友達だった、はちみつぱいの「センチメンタル通り」もそうだし

オフコースのファースト・アルバムもそうですね。

偶然にしてはすごいですよね。

この1973年を表す資料として、ミュージック・ライフの人気投票というのがあるんですけど、もう、今日ここで言ったことがそのまま反映されてます。

グループ部門が1位チューリップ、2位ガロ、3位キャロル。かぐや姫がちょっと落ちて15位。男性歌手部門では1位ジュリー、2位井上陽水、3位財津和夫、8位矢沢永吉、女性部門では9位にユーミンが入っています。

やっぱ、これは日本のロックがマスレベルで動いたと言っていいと思います。翌74年には、ジュリーやキャロルが出たワン・ステップ・フェスティバルが開催され、アーティストもサディスティック・ミカ・バンド、四人囃子が出てくるのも74年でした、

 あと、ロック、フォーク以外でも動きはあったんですよね。

アイドルで西城秀樹が新御三家で初めての1位を獲得した年でもあります吾郎、ひろみ、女の子で百惠がその翌年の74年に1位ですからん

あと、フィンガー5の「個人教授」も12月にオリコン1位。彼らも和製ジャクソン・ファイブなわけですしね。

キャンディーズのデビューもこの年でしたね。やっぱりアイドルとしてはすごく洗練されてるイメージです。ただブレイクには2年近くかかってますが。

だから、ロック、フォーク、アイドルともに日本のポップ・ミュージックが進化した年こそ1973年なのではないかと思います。

























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?