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憧れだった鈴井貴之氏を、ふたたび。

この記事は、鈴井貴之さんが書かれた『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』の #読書感想文 です。

はじめに


私は『水曜どうでしょう』に対して、にわかものである。

先日、郵便局に行ったら窓口のお姉さんの胸に『水曜どうでしょう』と書かれた、おそらくは番組のグッズであろうボールペンが刺さっていた。
「水曜どうでしょう、お好きなんですか?」と、とても軽い気持ちで声をお掛けしたところ、お姉さんは「—ッッ!!」という擬音が聴こえてきそうな勢いで、見るからにテンションを上げた、のが私にも判った。

「今までで初めてこのペンについて触れられました!」とか「新作、観ました?」と、お姉さんはとてもとても嬉しそうに、まさに嬉々として私に話し掛けてくれたんだけれども、私は「いや、見たらドキドキしちゃいそうなんで…」というナゾ言い訳をし、ウフフフフ、とよくわからぬ笑みを絶やさぬようにしてそっと、話が弾まない内に郵便局を出た。

実際、我が家はTOKYO MXが映らない。
だからMXでは観られたという件の新作も観れてはいない。
ただそれ以上に私は、にわかである自分がお姉さんに失望される前に郵便局を立ち去りたかったのだ。

私と鈴井貴之さん

鈴井貴之(敬称略)という人を知ったのは、今から四半世紀ほど前、従姉が「水曜どうでしょう」にハマった頃だった。

中学のクラスに居た、ちょっと面白いものへのアンテナの張り方がうまいSくんが、やはりその頃どうしょうの話をし始めていたのを覚えている。
でもまだ、皆が皆観ているとかそういう感じでは無かった—たぶん。
少なくとも私は部活動に明け暮れて、ついでに塾にも通っていて、もしかするとビデオデッキが壊れていてけれど買い替えなかった時期とも重なっていたのかも知れない。
とにかく私はそのまま数年が過ぎても、本当にたまにしか「水曜どうでしょう」を観ていなかった。
(でも他局の「1×8いこうよ!」は観ていた。放送時間が日中だったからだと思う。)

けれども、そういう私ながらもなんとなく、鈴井貴之という存在を特別視していた。
(彼がどんな人であるかご存じない方は、申し訳ないけれど検索してみて欲しい。)
その「特別視」の中身を言語化しようとすると難しいのだけれど、「憧れ」が一番しっくりくるだろうか。
当時の私には「やりたいことをやっている大人」に見えていたのだろう、おそらく。
もしかすると、父性みたいなものを鈴井貴之に感じていたのだろうか?
そういえば当時、彼が娘に布団をかけてやる―みたいなCMがあった気がする。
中三で父を失った私には、そういった歪んだ感情も相まっていたのかも知れない。

「母」を捨てる

北海道のことはよく「母なる大地」なんて呼ばれる。

先日放送されていたJ:COMチャンネルでの「埼玉の祭り!川越まつり」という番組の中では、

松尾鉄城先生が「川越は女まつり、秩父は男まつりなんて呼ばれたりもするんですよ」という主旨のことを仰っていた。
女—を連想させる雅さとかしとやかさがあるとか、そんな感じらしい。

ならば「母なる大地」はどうだろう。
北海道という土地において特に、長い冬の厳しい環境や、やっと来る待ち望んだ春のあたたかさ―まさしくそれは、母親の持つ力強さである様に思う。
「女である大地」とするならば違和感が凄い、その感覚は誰しもに伝わるはずだ。

私は母親とうまくいかなくなって、家を出た。
二十代の初めの頃のことだ。
思えばいろんな理由で実家を出ざるを得なくなった、特に「実家にはもう戻れない」という立場の同級生たちは、思い切って道外に出て行った人が多かった—とまではさすがに言えないか。
そもそもそこまで追い詰められていたのは、私の知る限り、私も含めて数人程度だったから。
ただ、帰る場所が断たれているのに道内にいるのはなまごろし感があるというか、だったらいっそ道外に出てしまおう―未練が残らない様に。
皆そういう考えだったのかも知れないと、今はそう思う。

私はその時に「水曜どうでしょう」を自身からますます遠ざけたのだ。
きっと、観たらつらくなるから。
夏に仲間同士で庭でジンギスカンパーティーをして、ビールを呑んで、秋には定山渓とかに紅葉を観に行「ける」、そういう多くの人たちがうらやましくなるから。
北海道を去るというのは「母を捨てる」であり、その覚悟の重みはきっと、同じ道を選んだ人にしかわかりえないだろう。

邂逅、そして想い

そんな私がひょんなことから、テレビ埼玉で放送されていた「水曜どうでしょうClassic」を観るに至ったのが、三十代も半ばになってからだ。
自分がテレビ埼玉のCMに出ることとなり、それがきっかけで「埼玉でもどうでしょうが観られるのか」と今更ながら気づかされたのだ。
(ちなみにテレ玉のディレクターさんがたまたま同郷だった。道産子だぜ?すごい。)
そしてその頃から、抑え込んでいた郷愁が「もういい加減いいんじゃないの?」と、心の扉を開け放つ。
そこからあっさり私は郷愁への屈服を余儀なくされ、今はこんなことを日々考えている。

「埼玉と北海道を繋ぐ存在になれないだろうか」

埼玉は割と懐の深い地だと思う。
私の知らない部分ではなんとも言えないけれど、例えば少なくとも越生町に関しては、北海道出身でーす!とか、ルーツが北海道にありまして、という人が、人口一万一千人ほどの町である割に多いように感じる。

とはいえ、私が埼玉でどうにかこうにかやっているのも、夫が越生町出身の、生まれも育ちもどっぷり埼玉人であることが大きいのだとは自覚している。
「越生出身です!囃子連にいました!」という夫についての説明は、多くの人に安心感を与えるものだと肌で感じている。

以前、旧Twitterでフォロワーさんに教わったことがあったけれど「領地の奪い合いの歴史がある内地の人たちの間ではどうしてもきっと、よそ者に対しての不安感とか、ケンミンショーでのマウントの取り合いみたいなことが実際に発生して致し方ないのだろう」という、道産子わたしたちとの違いを、あくまで違いとして、道産子わたしたちは受け止める必要がある。

なんて言いながらも、ずっと北海道むこうに居る人からすると、私の様な「内地に出て行った癖に道産子面する人間」というのは、けっこう嫌われがちな存在らしい。

私は—所詮、半端者なのか。
ここのところ私は、そんなことを心の中でもやもやさせていた。

結局のところ、私の居場所って、どうしたら作れるのだろう。
だから「埼玉と北海道を繋ぐ存在になれないだろうか」なんてことを考えるのだ。
どちらにも、私が存在して許されるように。

でも、堂々巡りだけれど結局、その「居場所」というのは、どうやったら作れるのだ—?

そんな時にふいに目に入ったのがこの記事ーでは無かったと思うんだけどドンピシャの該当記事が見つからなかったので、とりあえずリンクをば。

ちなみに私のこの読書感想文、著作権の問題とかいろいろ考えるとどこまで書いていいかわからないので、だから結構まどろっこしい書き方というか、直接的な書き方は敢えて避けているのだけれど、
ともかく私は、鈴井貴之が赤平に住んだきっかけを知って心を動かされたのだ。
それがなかったら多分、今秋にやったこの個展を開くこともなかったと思う。

―まずは埼玉ここでできることを、ひとつひとつ。
やっと覚悟が決まった、そんな気がした。

本は売れなくなった、というけれども

個展の終了後程なくして、この記事をGoogleがおすすめしてきた。

実はこの数か月間、既に私の毎月のルーティンとして「水曜どうでしょうのDVDを買う」というのが、否、ルーティンというか月一の楽しみとして定着していた。
正直なところ「水曜どうでしょう」のDVDというのは、最早プレミア物であって中古でしか手に入らないのだと、私は勝手にそう思い込んでいた。
まして「ホワイトストーンズ」なんてもっと稀少なはず—と。
でも実際にはHTBのオンラインショップで普通に買えたので「えっ」と驚きの声が出た、いやマジで。
なので今は「買うなら直接!」と、毎月HTBオンラインショップを開き、ついでにonちゃんグッズも買いたくてうずうずしている。

話を戻そう。
私の生活には既に、まるで当然かの様に「水曜どうでしょう」が―でも私はまだその歴史の三分の一ほどしか辿れていないので、あくまで私はにわかものであるけれど—、
そして鈴井貴之の存在が、昔の様にやはり「憧れ」として、共にあるようになった。

そういった中で「RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ」のことを知り、親切にもGOETHEなるメディアは本文そのままを抜粋してくれていたので、読んですぐ「買おう、この本は今の私に絶対に必要なものだ」と思わされたのだった。

本は今、売れない時代であると聞く。
けれどもきっと、北海道の、たとえば札幌にあったでかい紀伊国屋なんかでは、鈴井貴之のこの本は目につきやすいところにガーッと置かれて、たくさんの人が手に取って―みたいな想像は容易いものだ。
なんていう風に考えていたけれど、実際にこの本を読んでみると、彼は私が思っていたよりもはるかに挫折を味わっていた。
それも、割かし近い過去にも、だ。

鈴井貴之たる人が何かしようとすれば、だいたいいろんな場所からお金が降りて、スポンサーなんてものは何の苦労も要らずに揃うのだと私は信じてやまなかった。
それが、彼ほどの人であってもそうではないという現実を知った。
「やりたいことをやっている大人」に見えていた鈴井貴之は、やりたいことがやれずに悔し涙を流すことのある大人であったことを、私はやっと知ることができたのだ。

彼は怒らなくなったそうだ。
昔は怒りんぼだったらしい。
私には、鈴井貴之の「素」を想像することができていなかった。
余計なことを知るのは、夢を観るのを邪魔する行為でもあるからだ。

ただし、怒らない=傷つかない、とか、怒らない=感情を揺さぶられない、では無い。
そのことはたとえば、この本の中に散りばめられた単語や表現を拾っていくだけでも充分に伝わってくる。

「怒らない」と聞くと、まるで常に平常心のカタマリみたいな想像をしがちではないだろうか。
アルカイックスマイルでも浮かべて、何事にも動じないさまを想像しがちではないか。
でもそれって、人間らしさすら失っていて、純粋に不気味な気がしてくる。

鈴井かれの書く文章からは、怒らなかったのだとしてもその心に影響した感情を拾ってゆける。
その分、どれだけ彼が苦しんだかとかどれだけ努力したかを推し量ることができるのだ。
勿論推し量っているだけだし、そんな風に想像されることを彼は嫌うかも知れない。
ただ、苦しみもなく「やりたいことをやっている大人」に見えていた頃の姿より、今の、ある程度の現実が重ねて見える鈴井貴之の方が、少なくとも私には、絶対的に魅力を感じさせる。

本というのは素直な場所だ。
閉じられた世界だから、それを手に取って「読もう」と決め込んだ人にしか、中の本音は読み取れない。
放っておいても垂れ流されてゆくSNSとは違う。
文章の表現の癖とか言い回しなんかも、その筆者の愛すべきピースのひとつだし。
だから、本を買って応援するというのは—とても素敵な方法だなと、改めてそう感じているしだいだ。

おわりに

私は音楽をやったり絵を描いてみたり、noteではこうして文章を書いてみたり―なんだか年々、何屋さんかわからなくなってきたな、そう思う。
でもまあなんだっていいやというか、自分のできることで自己表現を続けていけたなら、それが私の人生のかたちなのだろうし、やらないよりやることを自分で望んでいるとも解っている。

そして、多分自分の持っている野望の中で一番大きなものが、
いつか鈴井貴之に周知された存在になる
…だ。
周知、という単語の使い方、ちょっと間違えているかも知れないけれど…自信ないや、ごめんなさい。

とりあえず「知ってもらう」で充分だ、そこからどうとかは無くていい。
憧れの存在に知ってもらう、その方法が「自己表現」の結果だった—なんて、表現者冥利に尽きることではないか。

だから頑張ろう。
そこまで頑張れたなら、その頃にはきっと「埼玉と北海道を繋ぐ存在」にも、なれているかも知れないのだから。


#読書感想文
※ちなみに時々、文章の中で『RE-START 犬と森の中で生活して得た幸せ』の中で印象深かったワードを意図的に組み込んでいたりします。

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