オワリはじまり33 「面会 on the Christmas Eve」

12月24日日曜日の夕方、僕と父は祖母が入院している病院に向かった。

インスタなどを見てみると、恋人がいる友達は恋人からクリスマスプレゼントをもらったり、美味しそうなご飯を食べている投稿が多い。僕も本当はそのような過ごし方をしてみたいが、僕のNoteにたまに登場する女王様は2学期が終わったばかりというのに、部活が入っていて会えないとのことだった。九州なんて行こうと思えばすぐ行けるのに、関門海峡とお互いの予定が邪魔をする。

そんな僕のクリスマスイブはアメリカやフィリピンのように家族と過ごす1日だった。午前中はMさんの家に行き、午後(夕方)は祖母の病室を訪れるという1日だった。

面会時間ギリギリの16時40分に祖母の病室を訪れた時、祖母は寝ていた。
父が声をかけ、父と僕が面会に来たことを知らせると、僕と父の方に目を向けてきた。そして父に対して何かを話すのだが、何を言っているのか理解できないほどの声の小ささだった。

言い方は悪いが祖母の表情や声、そして面会中ベッドに寝たままずっと動かない状態を見ていると、まさに「生気がない」という言葉がぴったりな状態だった。

数ヶ月前まで我が家で毎日僕と言い争っていた祖母はもういない。
このことは施設に入所して以来、僕が祖母と毎日ではなく時々しか会わないようになってからよく言っているが、病室での祖母はさらに、そして着々と認知症が進んでいるように見えた。

今回父と僕が面会を訪れた本来の目的は、祖母の着替えを洗濯することだった。
だが洗濯物は溜まっていなかったので、途中から入院初日に買ったテレビカードが切れていたら買う、という目的に変わっていた。

しかし看護師さんに伺うと、入院して以来祖母はテレビを見ていないとのことだった。そのついでに同じ看護師さんに「これまでBPSDの症状は出ましたか?暴れたりしていませんか?」と尋ねたが、「ありません」とのことだった。
ちなみに「想い出ファイル」は祖母の枕元の近くのスペースに置かれており、ファイルの上に違う枕でカバーされていた。

面会中、終始笑顔な祖母を見れたのは良かった。
しかし、今の生活を退院まで続けると祖母はどうなってしまうのだろう?

「入院したらさらに進むよ」

という言葉の意味を痛感し、要介護度のことや退院後に施設で生活する祖母の姿を考えると悲しくなった今年のクリスマスイブだった。

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