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生物多様性ビッグデータ②:情報整備の持続不可能性?

前の記事(生物多様性ビッグデータの危機?)で、日本の生物種の分布記録の年代別の集積状況を示しました。以下、同じのグラフの再掲です。最近(2013年まで)の生物分布記録の集積が、頭打ちになっているように見えます。

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植物と脊椎動物に集約したグラフも以下に示しました。

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2005年以降の分布データの集積が滞っていることがわかります。今回の記事では、その理由を考えてみます。

生物分布の情報源は、無数にあるのですが、大まかに2種類あります。

1つは、個々の研究者の活動。生態学者や分類学者による、生物の分布を記載した論文や報告書あるいは標本の収集記録などです。研究者の論文や標本には「調査(採集)地」あるいは「方法」のセクションがあり、そこに生物分布に関する情報が、必ず記述されています。

2つは、組織立った調査活動。例えば、行政機関などが主導する生物分布調査、組織的に実施される生物目録(地域の植物誌や植生誌など)の編集活動などです。

上のグラフを見ると、幾つか特定の年代に、データ件数の著しいピークがあります。これは、行政機関が実施した、生物分布の全国的な情報収集を反映しています。例えば、環境省が実施した自然環境保全基礎調査など。また、植物の分布記録のピークは、組織的な植生誌(植物社会学的な植物群落リスト)や植物誌(植物種目録)の編集によるところが大きいです。

1950年代以降、生物分布の情報は、自然史関係の研究者個々の調査活動で徐々に集積されていきます。そして1980年代以降、定期的・地域的に組織立った生物センサスのプロジェクトで、分布記録の情報集積が推進されました。これら、研究者個々の活動と組織的な活動は、実は、背後で連動しており、生物分布情報の集積が「意図しない戦略」として推進された、と私は考えています。以下は、私の経験に基づく推論です。

「意図しない戦略」は、状況の変化に脆弱です

生態学や分類学を取り巻く環境は、1980年代以降、劇的に変化しました。

まず、記載研究が学術的に評価されなくなりました。特定の生物種や生物群集を記載する研究は論文にならないので、そのような調査をする研究者の層は著しく減少したと思います。例えば、私が学生だった頃(約30年前)生態学会大会では植物群落の記載に関する発表会場があり、植生関係(植物社会学)の研究者が数多くの発表をしてました。現在の生態学会で、植物群落の記載に関する発表はほとんど無くなりました。以下のグラフで示したように、植物群落に関する講演数の時系列変化を調べてみると、2003年時点と比較して講演数は70%も減少しています。

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植生調査は、群落レベルで出現種の在不在を記録するので、植物分布の情報源としては、とても大きなものでした。今後、植生学からの情報提供は希望がなくなるでしょう。

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大学の研究環境も激変しました。私が大学に就職した当時(25年ほど前)、各教員に配分される校費(教育・研究予算)は100万円以上ありました。しかし、今では10万円程度で、教育・研究に回せるお金はほとんどゼロです。私が学生・院生だった頃、大学の研究者は、毎年確実に保障されている校費で自由な研究をして、必要に応じて科研費など外部の競争的資金に申請していました。私の指導教員だった(ある)先生は、自分は校費で十分で、科研などはすごい研究をしている人が応募すればいい、と話していたのを思い出します。

おそらく、生態学や分類学の記載研究の多くは、ある程度(予算的にも時間的にも)自由度があった研究環境でなされていたのではないか、と私は思うのです。

学術的に評価されず、予算も無くなれば、記載研究が激減するのは必然です。また、記載研究の層が薄くなれば、それを組織化した生物センサスを企図することも難しくなります。「意図しない戦略」で構築された生物多様性ビッグデータが、研究トレンドと研究環境の変化で、持続性を失っているように、私は感じています。

生物多様性に関するデータ集積のメカニズムを詳細に分析して、「意図しない戦略」を「巧妙な戦略」に洗練させる必要があります

これに関しては、また別の記事で述べたいと思います。

本記事のグラフは、環境省の環境研究総合推進費プロジェクト(環境変動に対する生物多様性と生態系サービスの応答を考慮した国土の適応的保全計画)の結果の一部です




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