見出し画像

世界で最も「市場原理主義的」だった国


昨日、ひとつアンケートを出しました。

上記に挙げた要素はすべて現代日本とは真逆の要素を示していて、まるで海の向こうにある強欲な国のようにも思われます。

 ・・・しかし結論から言うと、この質問の答は「1920年代の日本」なのです。ちょっとずるいけど、現代のアメリカもフランスもドイツも投票率は8割いってませんし、消費はGDPの8割もいってません。なのでハズレです。日本に入れてくれた人は意外とたくさんいましたが、大半はアメリカを選択してくれました。また選択肢を見て深く考えてくれた人ほど現代日本経済との違いを意識して僕が適当に書いたドイツとかフランスあたりを選択してくれて、ちょっと嬉しいです💩

ちなみにこの元ネタはリチャード・ヴェルナーの著書からです。

 以下の事実を読んで、どこの国の話かを当ててみていただきたい。この国は混じりけのない資本主義が特徴だ。この国では、企業が外部資金を調達する主たる場は株式市場である。株主は非常に協力で、高い配当を要求する。そのために経営者は短期的利益を追い求める傾向がある。…(p38)
 この国の労働市場では採用、解雇が頻繁に行われるし、従業員の転職率も高い。所得と富の格差は巨大だ。豊かな資本家階級の家族たちは配当収入で暮らしている。貯蓄率は低く、消費が八十%と国内総生産の最大部分を占めている。政府の規制は少ないし、官僚が経済に影響力を行使することも少ない。それどころか、官僚は政治家に言われたとおりに行動しなければならない。 (p39)

 実は1920年代当時の日本というのは今よりもずっと「市場原理」と「自由」を愛する、純粋な資本主義を徹底する国だったんですね。当時の日本は終身雇用も年功序列もボーナス制度もなく、解雇規制はありませんでした。企業は銀行融資ではなく主に株主から資金調達しており、株主の力が非常に強力で、利益を追い求める株主の意向に沿った短期的経営が主流という、まるで現代のアメリカのような様相なのでした。それでは以下、ツイートで挙げた各要素について見ていきます。

株主が社会を支配する国

 近年では「物言う株主」がもてはやされるなど「アメリカ的」な資本主義がもてはやされており株主優先な資本主義といえばアメリカというイメージを持つ人は多いと思いますが、実は1920年代の日本企業も、必要資金の半分以上を株式市場で調達しており、非常に株主の力が強い時代でした。

 1920年代の主要な企業は、利益が出た時にそれをどのように配分していたのでしょうか。当時の企業はなんと利益が出るとその3分の2以上を配当金に回し、経営者の報酬も数%程度で、残りは留保金、社員のボーナスは当然なし、という状態が一般的でした。1920年代の日本においては従業員でも経営者でもなく、株主に一方的に利益分配されていたのですね。当時は少数の持ち株会社が多くの企業を支配(いわゆる財閥です)しており、事業会社の経営者は今みたいに安定的な立場ではなく株主の意向に歯向かえばあっという間にクビという厳しい環境で仕事に望んでいました。

 さらには企業買収も非常に盛んで、敵対的買収が横行していました。例えば、日立製作所、日産自動車、ジャパンエナジーなどを持つ鮎川義介の日本産業などは企業買収で成長した典型的な企業集合体です。こうした企業集合体同士のM&Aは日常茶飯事で、自分の会社が三井グループからある日突然三菱に変わる、なんていうのも戦前は普通の出来事でした。

GDPの8割が個人消費という「究極の資本主義社会」

 1920年代を語る際にリチャード・ヴェルナーが強調しているのは、1920年代日本の消費意欲の高さです。現代のGDPにおける個人消費の割合は6割程度ですが、当時は今より大きく、8割にも及んでいます。また貯蓄率も国民平均で5%と非常に低い数字を示しており、市民は消費に多くの所得を回していました。「日本人は貯蓄が好き」みたいな話はよく聞かれますが、実はこういった傾向は戦時中のインフレ加熱を防ぐための貯蓄奨励政策以降に起きたものであり、戦前の日本人は貯金より消費が好きだったのです。

・・・なんかアメリカチックだよね。

ただ、実はこの話は表裏がありまして、国民が貯蓄をしないというのは政府の財政規模が少なく支出が少ないという話でもあります。

政府の赤字支出量 = 非政府部門の金融純資産量の変化

上記のマクロ経済会計の基本的な恒等式(右辺の非政府部門は海外主体も含む)からわかることは、政府の財政収支は民間部門の純資産の増減と全く一致するという会計的事実です。

政府の経済産業省の資料から当時のプライマリー・バランスの変化を見ると、なんと1920年代前半は財政黒字になっていたことがわかります。政府が黒字なのですから、民間部門の主体の貯蓄は難しいということがわかります。しかも、なにせ資本家が利益の殆どを独占してますから、この貯蓄率というのもおそらく資本家が引き上げていて、大半の国民は借金まみれだったのではないかと想像できます。

画像4

政府が安定的に財政赤字を排出するのは、1930年代になってから。


戦前の熟練工の働き方は、現代のITエンジニアと同じ

 当時の日本の製造業は労働者を守る法律が殆どありませんでした。年功序列的な昇給も殆どないので非常に転職率が高く、製造業で働く技術者や熟練工たちは簡単に辞職していました。年功序列的でないのなら、どうやって当時の人々はキャリア形成していたのでしょう。主に転職です。彼らは違う職場に移る過程で昇給を獲得し、報酬を増やしていきました。…今のITエンジニアがこれに近いのではないでしょうか。戦前における製造業の技術者というのは、現代のITエンジニアやプログラマーみたいな感じだった訳ですね。一方で、解雇規制なんてものはなく、簡単にクビを切られてしまう。不況になると一気にクビ切りで失業者が溢れました。そこには、アメリカみたいな純粋な市場原理主義の文化が日本にもあったことを示しています。

  現代日本の経済学者たちは解雇規制を緩和せよと毎日のように述べていますが、1920年代のかつては規制はなかったわけですね。ここから、現代日本の労働慣行は自然にできたものではない(だから新興産業のIT産業では横並びの年功序列意識が薄い)事もわかります。


画像2

解雇規制緩和を訴える竹中氏


 それではなぜ、今の、戦後の労働規制があるのでしょうか。そのヒントは当時と現代の間、すなわち戦時中にあります。それに関しては今後の記事で述べることとします。

企業別労働組合は戦後の文化

 主に産業別労働組合が組織されている、と書きましたが、実は当時の労働者は団結権、争議権、団体交渉権がなく、そもそも治安警察法によりストライキなどの労働組合の活動自体が強く規制されていました。・・・しかし実はこの時期ストライキは増加しています。

 今みたいな企業レベルの労働組合では潰されてしまうので、労働者は高い雇用の流動性を逆手に取り企業を超えて労働組合を結成して戦っていたのです。規模は全国的になり、日本労働総同盟などはその典型でした。企業を超えたものですからその分賃上げ要求は非常に強力で、労働者たちは業界全体に影響する深刻なストライキを度々引き起こしていました。このような背景もあり、労働運動は政治家・資本家から非常に恐れられており、普通選挙法実施の際に治安維持法を同時に制定したことの一つの要因となっています。

1920年代は今よりずっと「グローバルな社会」だった

 現代の主要な経済学者の中では、「自由貿易は正しい」というのは常識となっており、国家による規制は少ないほうが良いとされています。かつてジョージ・W・ブッシュ政権のブレーンを務めたグレゴリー・マンキューは、国同士の貿易を認めることは個人同士の貿易を認めることと変わらないと主張し、自由貿易主義の正しさを訴えています。しかし、彼らは無秩序な自由貿易主義の進展が過去に大きな失敗に繋がっていることを見逃しています。

画像3

グレッグ、人としてはとても魅力的

 あまり知られていませんが、アメリカの政治学者スザンヌ・バーガーの研究によると、19世紀後半から第2次世界大戦までの世界経済は資本、貿易、労働の国際移動、すなわちグローバリゼーションは現代よりも盛んだったという主張が為されています。戦前は現代と比べ遥かに国家の力が弱く、また国際的な法規制も少ないので企業や人が自由に国家を飛び越えて活動していたのです。

 オーストリアの経済学者カール・ポランニーは、かつてこの戦間期の過度の自由貿易主義が各国の産業を破壊したことを批判的に捉えています。そもそも、こんにちの我々が知っている「自由貿易主義」というのは、実はソビエトと戦う西側諸国の中でアメリカを中心に関税などの条件を厳しく管理された上での貿易ではないでしょうか。これをアメリカの国際政治学者ジョン・G・ラギーは「埋め込まれた自由主義」と読んでいます。この埋め込まれた自由主義に対し、戦前の単なる自由放任の貿易体制は比較優位により各国経済内では産業の選択と集中という結果を招き、各国社会を大きく動揺させ、職を失った失意の国民たちを全体主義がすくい取ることで戦争へと進んだ、という歴史があるのです。

 当時の日本においても、無秩序な自由貿易体制により特定の産業に特化した日本経済(例えば絹糸)は、アメリカにひどく貿易依存する結果に繋がっており、それが逆に米国企業の化学繊維開発や資源輸出禁止といった外的要因の悪影響を増幅させてしまい、戦争に突き進まざるを得なくなりました。

 現代の経済学者たちは「保護貿易主義は全体主義と戦争を招くから自由貿易が良い」という話をするのが好きですが、私は経済自由主義は全体主義を防ぐものではなく、寧ろその原因であると考えます。急激な市場原理主義政策に対する国民の社会防衛運動こそが急激な全体主義として発生し、暴走した全体主義が戦争へと突き進む結果を招いたのです。

1920年代の日本の選挙の投票率は80%を超える

 最後に、国民の政治的関心の強烈なまでの高さです。現代日本においては国民の選挙への関心の低さが嘆かれておりますが、一方で帝国書院のデータによると、1920年代の日本では投票率は一貫して80%を超えています。驚くべきことは1925年の加藤高明内閣により普選法が成立して選挙が広く国民に開かれた後もそれが80%を割らなかったことです。当時の有権者の中の政治的関心が非常に高いというのは言えると思います。

画像1

戦前は普選法成立後も投票率がすごく高い(表の一番右)

 しかしこの関心の高さは、同時に民主主義の過激化や暴走と紙一重でありました。アレクシ・ド・トクヴィルは、近代化と平等主義の進んだ民主主義社会において陥りがちな「個人主義」の社会においては、各個人が自分で物事を考えようとして、寧ろ逆に国民全員が平等であるがゆえに思考の基準がなくなり、「多数者の声」に従わざるを得なくなることで民主主義が暴走するリスクを持つと説きました。

 その一方でトクヴィルは、アメリカへの旅行の際において宗教を中心に集う豊富な団体・結社の中で繰り広げられる政治的議論や、そうした団体を介した社会参画をする人々を見て、デモクラシーにおける中間共同体の重要性を実感しています。奇しくも、当時の日本は国内においては市場原理主義国際的にはルールのない自由貿易主義がはびこり、あらゆる共同体が市場競争の力で壊れ、個人たちは孤立してきていました。普通選挙という平等主義と市場原理による社会の変化が「多数者の声」への国民の防衛力を奪ったのです。カール・ポランニーの分析によると、戦間期の自由な国際市場が各国社会を破壊し、過剰な社会防衛運動としての全体主義を招いたと述べています。日本においても、全体主義の芽は大正デモクラシーの時点で撒かれていたのです。

「我々の知っている日本」のほとんど全ては、戦時統制によって作られた

 ここまで色々と述べてきましたが、戦前の日本が現代日本とは大きく違った事がわかります。このような自由と市場原理を愛する日本人たちが戦後のような協調性と横並び主義を愛する日本人になったのはなぜでしょう。それは一つの大きな要因によるものです。戦争です。次の記事で戦争で戦時体制が日本をどう変えたのか述べていきたいと思います。

参考

Berger, Suzanne: How We Compete: What Companies Around the World Are Doing to Make it in Today's Global Economy (New York: Doubleday, 2005)

The New York Times: Economists Actually Agree on This: The Wisdom of Free Trade April 24.2015

円の支配者 - 誰が日本経済を崩壊させたのか リチャード・ヴェルナー

経済の文明史 (ちくま学芸文庫) カール・ポランニー

トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社学術文庫)  宇野 重規

日本史で学ぶ経済学 横山 和輝


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?