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個と普遍;種概念について

「種」は存在するのか? 30以上の定義が乱立する謎を追う。#67 (youtube.com)
「設計か進化か」ダーウィニズム論争のテーマ
「イデアか現実か」プラトン―アリストテレスの論議
「スカイフックかクレーンか」最近亡くなったダニエル・デネットの提起

 多くの論議が古来、為されてきた大切な話題だと思いました。ある種を特定することも困難なら、種概念という概念形成がどのように為されるのかを特定することも確かに困難だと思います。
 自然現象の現実を観れば、人間、その脳が概念操作・作用を示さない状況では、即ち人間が現れ伝達する文化を持たなければ、種概念は発生しません。人間が存在せず文化(ミーム)も作用しなかった状態が、人間誕生まで自然宇宙にはあったわけです。存在してきたのは現実の具体的個々の事物であり、生物として見れば、個体生命がその発生条件に応じて(適応)、現象してきただけであると言えます。
 ところが個体生命は適応条件(環境)を前に、偶然的な試行錯誤で生存・繁栄(適応)をしてきました。これはリスクとコストがかかり、淘汰を受ける確率が高いです。そこに情報記録=記憶作用が発生したのであり、それを有する者が、淘汰圧から逃れました。その伝達コミュニケーションのレベルの高い者が、いっそう生存・繁栄の確率を高めてきました。これがさらに、シミュレーション(予測作用)へと発展し、記憶・伝達・予測という働きが、知性作用であるということになったと思います。
 この知性作用は、自然現象を眼前に偶然が状況を展開する「現在」のみへの対応から、未来を既知にする過去化という対応になり、より確実で安定な対応へと発展しました。
 こうした情報操作の流れでもって、概念作用が諸存在方向に展開し、生物の種概念も生まれたと考えられます。「現在」において存在するのは、全て各個体です。化石になった個体も現在にあります。想像される「ウチュウシバイヌ」も個体の「イメージ」が現在にあります。それらの共通性を抽象して概念化した時、種という普遍性が、個から導かれるのだと思います。
 今回の論議は種という普遍概念の定義、その起源を論じられましたが、あくまで「普遍」は抽象的なものであり、現実の個体の存在に含まれるものだと思います。この点を明確に論じているのは、アリストテレスとプラトンの両者の論を総合した、中世のトマス・アクィナスです。彼は「個のイデア」こそが根源的なイデアであるとし、一見、矛盾した個と普遍(イデア)とを総合しました。さらに、この発想を進展させ、個の多様化の極限、即ち「一個が一種(普遍)」である存在の様態を示しました。
 もし興味があれば、note 「神学的世界観の根本原理 ―トマスのイデア論―」や「多様化の極限―復活に与かる個体性―」という拙論も見てください。

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