見出し画像

”同じ”が価値か”ズレ”が価値か

 みなさんチームワークしてますか?
No.3代行を事業としてやっているthree.Tのウエツです。
 ボクは「皆が選択できる社会づくり」に貢献するために活動しています。
人生の大半は【はたらく】ことから成り立っているので、その【はたらく】において「様々な形があってもいいのでは?」という想いから、自らパラレルワークを体現し、子どもたちが大人になるときには、【はたらく】の多様性が広がるように日々努めています。
ボクの【はたらく】はチーム(企業)のNo.3を代行することで、業種は問いません。
結果パラレルワークを法人化したという格好です。
どんな状況になっても『圧倒的ポジティブ』を武器に常に前進しています!
Twitterで毎日ポジティブになる言葉をつぶやいていまうすので良ければフォローしてください♪

 あまり公言はしていませんが、実は半年ほど前からTwitterに結構本気で取り組んでいます。
おいおい。こんな歳になってからTwitterかよ。
そう思われる方もいるかもしれません。
たしかにSNSは若い人たちがやっているというイメージがあります。
でも、今日が一番若い日です。いつからはじめても遅いということはありません。
そして、SNSの中でもTwitterは結構幅広い年代層の方がやられています。
それも様々な目的で。
感想を一言で言うと…
めちゃくちゃ面白い
です。
正直面白くなるまでにかなりの時間を要します。
きっと途中で挫折する人もたくさんいることでしょう。
ただ、そこを突き抜けると一気に世界が変わる。
そんな感じです。
とまあ、Twitterについてはまた今度書くとして、半年間様々な発信をしてきて感じたことを少しつらつらと。


大人になったらどうなりたい?

 できればサラリーマンにはなりたくない。
学生時代のボクはそう考えていた。
でもサラリーマンが嫌なのではない。
「みんなと同じ」があまり好きではないということ。
みんなと同じスーツを着て
みんなと同じ方向に向かい
みんなと同じ電車に乗り
みんなと同じように働く

ボクの父は都内に勤めるど真ん中の企業戦士。
毎日その姿を見てきた。
今でも尊敬しているその背中は、ボクには到底マネできないものだと思った。

考えてみれば、小さな頃からみんなと同じことをするのが好きではなかった。
みんなが遊んでいることよりも、新しい遊びを考えるのが好きだったり
みんながやているテレビゲームよりも、ちがうテレビゲームを選んだり
どうせやるなら、委員会や部活もみんなが経験できないような部長や役員をやったり
思いっきりハズすのではなく、ちょっとズレたところを狙う。
そんな子どもだったように思う。

 そんな風に思っていたボクも、その当時は”就職”という道しか知らなくてきちんと就職した。(きちんとってなんだ笑)
そして今の仕事の基本を学びたくさんの人と出会った。
就職も悪くない。サラリーマンも悪くない。
いや、むしろ楽しかった。
みんなと同じ中で、少しズレるのは本当に楽しかった。

 今の子どもたちにも聞いてみたい。
大人になったらどうなりたいのかを。
今は色々な背中を見せてくれ大人たちがいる。
すると子どもたちは「それもアリなんだ」ときっと感じている。
その可能性をどこまでも広げたい。
「元々同じ人なんていないのだから同じじゃなくていいんだ」と思ってくれる子どもが増えて欲しい。

”同じ”は価値なのか

 なんとなく日々過ごしている中で”みんなと同じ”が心地良いのはわかる。
ボクもそう。
だよねだよねー!一緒だ!
って仲間をつくりたくなる。
周りからハズれない安心感という快楽はハンパなくて、一度浸かったら忘れられない。
「マジョリティ=正解」とするパワーは凄まじい。
だからネガティブな感情は群れやすいんだと思います。
特定の誰かやなにかを対象にして生まれたネガティブマジョリティの力は本当に凄まじい。本当に。

 でも”みんなと同じ”なのはどこに価値があるんだろう。
ボクらが活動していく上では、個として知られて際立っていく必要がある。
それは多くの人に認められるということではなくてもいい。
誰かの助けになっていさえすれば価値になる。
だた、”みんなと同じ”だと際立つことはできない。
厳しい言い方をすれば、大多数の中のひとりにすぎない。
”同じ”は大多数のパワーをもってしてはじめて価値が出る。
個で出すことはできない。

あえてあげれば、精神的な安定性や多数でのパワーが価値になる。

”ズレ”は価値になるのか

 逆に”ズレている”ことは価値になる。というよりも際立つ。
みんなと同じじゃないことで目立つ。
けれど、その不安感やストレスたるや計り知れない。
精神的安定なんてあったもんじゃない。
その”ズレ”が自分ひとりかもしれなくて仲間もいない。
立ち向かうべきは”みんなと同じ”というマジョリティパワーなんだから、到底太刀打ちできるレベルではない。

 それでもボクは”ズレている”ことに意味があると考える。
人とちがうとういことは、それだけで価値になる。
最初は知ってもらえないしバカにされることだってたくさんある。
どんなに圧倒的ポジティブだってネガティブになることさえある。
そんな存在でも「面白い」と言ってくれる人は一定数いて、その数が増えていけばそれだけで価値になる。
そしてその価値を見て、子どもたちに思って欲しいのと同じように「自分にもできるかな」と思う人たちが増えてくれることを望んでいる。

Twitterは”ズレ”を学べる場所

 Twitterって聞くと、愚痴や妬み嫉み、叩きみたいなネガティブな印象を持つ人が多い。
もちろんそういう人たちがたくさんいるのも事実。
けれど、そうでない人たちもたくさんいる。
コミュニティのように使ったり、モチベーションを高めるために使ったり、ビジネスに活用したりとさまざま。
ネガティブな印象とは真逆のポジティブに使っている人もたくさんいる。

 そしてみんなが思うこと。
自分の発信を見てもらうためにはどうしたらいいのか。

良いことを言っている人はいっぱいいる。
有益な情報も転がってる。
最新のニュースなんかもどんどん流れてくる。
そんな中でまず見てもらうためにはどうするのか。

Twitterは共感を生むと反応してもらいやすくなるのは間違いない。
ただ、同じような言葉で共感してもらおうとする人はたくさんいて、それをやると”みんなと同じ”人たちのひとりになってします。

だからこそ”ズレ”が必要になる。
ここで価値を出せれば、最初は見てくれる人が少なくても、次第に広がっていき見てくれる人は多くなる。
その母数が増えると、”みんなと同じ”人たちの中でも見られている数が多いという”ズレ”が発生する。
結局みなんとなにかが”ズレ”ていないと価値が生まれない。
友人の言葉を借りればそんな【アタオカ】な人たちが価値をつくり出しているところだ。

 少なくともボクはめちゃくちゃ勉強になっている。
だからTwitterをやろう!ということではなくて、こういう”ズレ”を価値としてとらえられる環境に身を置くことはとても大切ということ。

それはSNSじゃなくてもいい。
どこかのコミュニティに属してみたり、リアルなサークルへ行ってみたり。
”ズレ”ていることが「面白い」と思ってくれる人たちの中に飛び込んで欲しい。

あとがき

 同じような内容のツイートをしたときに友人からこう返事がありました。

パスも少しズレていないと受けられない

この感覚めちゃくちゃ好きです。
パスを受けるにはみんなと同じではパスしてもらえません。
みんなとちがうスペースにいるからこそパスを出してもらえるし、受けることができるんですよね。
みんなと重なっていてはそもそも姿も見えません。
それなら動き回って、みんなと少しズレて、パスを受けられるようにした方がボールは回ってきます。
さらにそのボールが自分よりもっと前のズレたところに出されたら前を向いて走り込める状態で受けることがきます。
そんな状況をつくれたらきっと、パスを出し合いながら前に進めるんでしょうね。


GOING MY WAY.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?