ナブルスでのホームステイ

Ameenはナブルスに住む24歳。彼は今の家に越してきたのは2年前。2年前まではパレスチナ・ヨルダン川西岸地区最大級の難民キャンプ、バラタに住んでいた。

バラタはテルアビブ・ジャッファから難を逃れていた人たちの一時避難所として1950年に建てられた難民キャンプだ。0.25km四方という狭い面積に30,000人もの人が暮らす。彼が実際に産み落とされたのはナブルスだが、出身地はジャッファと言う。帰還権の話を聞き育ったからだと思われる。

彼らの一家もこの狭い中、しかも近隣の入植者からの嫌がらせが教育上よくないという理由から両親の不断の努力で近くであるが広い家に引っ越しをした。

広くなった家にわたしは招かれた。

ママも歓迎してるから、ナブルスに来るならうちに泊まりなよ、何日でもいていいから。妹たちも楽しみにしているよ。
ありがとう。本当に行っていいの?
パパもママも妹たちも弟も待ってるよ、君の第二の実家はナブルスにあり!だよ。
うん。わかった。遊びに行くね!

このようなやり取りがあり、既知の友人とはいえ、少し恐縮しつつもわたしはAmeen一家のお宅にステイすることにした。

ナブルスの旧市街の前で待ち合わせをした。バスの終着点だ。わたしはラマッラからバスに揺られおよそ1時間、渓谷を見ながらナブルスに向かった。


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