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美術館がレポートを魅せる

美術館✖️文章芸術

 私は、自分が好きだ。
だから、常に最高にイレギュラーな創作を魅せたい。そのためには『普通』であってはならない。

美術館を1つだけ楽しむ。『凡人』だ。
2つの美術館を肌で感じとり、比較する。そんな人は滅多にいないだろうが、毎年数人はいるだろう。『安直』だ。
4つの美術館を巡ってみるとどうだろう。『完璧(パーフェクト)』だ。もはや自己承認欲求ヲタクの域にすらいる。だが、却下だ。高校の夏は一瞬のきらめき。時間を盾に4つは勘弁していただこう。
では、3つの美術館。”3”は『魔法の数字』だ。世界的に有名なスピーチでは、3つのポイントを訴えかけることが多く、エジソンも妬む天才、ニコラ・テスラの崇拝する数字も「3,6,9」である。これは、3つの美術館へ行きなさいという神からのおぼしめし。そうだ、3つにしよう。

そして、ここで謝っておきたいことがある。このレポートを書いている時点では、まだ2つの美術館にしか行けてない。しかし、謝っておきたいのはこのことではない。こんな老眼殺しな書き方になってしまったことに対してだ。しかも、ここまで小さな文字で書いても、3つ目の美術館について書けそうもない。2つだけで書きたいことが多すぎるからだ。下書きもしたが、文章量が膨大すぎる。生憎と、私は遅刻常習犯だし、スピーチは制限時間を過ぎてもても喋り続けるし、作文の字数超過は当たり前な人間なのだ。

だが、こんな書き方になったことを先生、許していただきたい。レポート用紙2枚は超過してないし、裏面にも書いていないんです。自分の中では大した進歩なんだ。しかも先生は、「1行残して2枚目に入り、チョロっと書いたレポートも2枚目に入ったという風に見なす。」と言った。

さぁ、ここで逆転の発想。……。逆転させるとつまり、1行を残さない,すなわち1行につき2行書いても問題ない。私はそう考えました。そしておそらく、先生はこういう遊び心と文章力のある文章がお好きだ。というわけで許してください(懺悔)。
許して、私の文章に先生の今日の眼力を全て使い果たしましょう。
そうです、今日読む生徒のレポートはこの異質なものでストップしておくんです。その方が眼のためでもあります。うんうん(頷き)。
読みづらければ私を呼んでください。いつでも朗読しますので。読まれないことが一番の苦痛。


 今までの文章は全て冗談、などではなく本気(マジ)です。長々と語りましたが、これは文章芸術への挑戦です。読んだ人は魔法にかけられます。どうぞ、これをレポートではなく芸術として評価してください。

あ、、そろそろ美術館が嫉妬しそうなので、ここらへんでプロローグ兼自己紹介を終わりますね。


 美術館内。特に展示室は、たしかに異空間だった。
1歩前へ出る。
ーーーピリッ。   スパイシーな芳香。
これは、美術館特有な香りがあるわけではない。全身が嗅覚へと変貌を遂げ、作者が絵に込めた緊迫感を感じ取ったのだ。

衝撃をカラダに覚えたまま絵の前に立つ。
フワフッ。ーーーーーーーー。    風…?しかし、風が吹いているはずもない。絵が傷んでしまう。なぜ、なぜ両肩を押されたと勘違いするほどの風の勢いを感じた。

勢い。迫力。  

そうか、画家の「こだわり・癖・魂の叫び」。深層心理から湧き出る気迫に私は突き動かされたのだ。

画家は孤独だ。

100%作品を理解できるのは書いた本人だけ。だが、それゆえに孤独をも作品に注ぎ込み、孤を共有する仲間を見つけようと我々を始めに突き放している。歪みや曲線の癖が心を表し、孤独を見つけてくれた同志に数年、数十年、数百年の時を越えた「やるせなさ」を託す。

創作者は、孤独故に常に変化を巻き起こし続ける。

「最初は良かった。」と古参は嘆く。彼らの脳は時と止まっている。
そして、古参ではない者たち。まばらにいる鑑賞者は絵を観ていない。これが、この日一番の衝撃だった。人々は絵をチラッとだけ観て、歩を次々と進めていく。感性が育ちきったと錯覚する”オトナ”と呼ばれる人類は、絵に視線を当てるだけだった。
高島野十郎の絵が好きで、わざわざお金を払ってまで来ているわけではないようだ。高島野十郎展ですら絵を観ている人がいないとはどういうことか。空間を嗜んでいることもなさそうだ。  

憶測にはなるが、彼らは「絵」ではなく、絵の「色」を感じているようだ。

スマホ1台だけで時間を溶かすことのできる今日、人々にとっては絵画すらもほんの一瞬の刺激でしかないのだ。
しかし、大昔であろうと現代であろうと、古参だろうと新参だろうと感性が完成したとトンデモない思い違いをしている”オトナ”たちは、皆等しく『自分と共通するモノ』もしくは『自分とは180度違うモノ』に惹かれている。また、自分とは全く異なると感じているモノも、往々にして自分の奥深くではコンプレックスになっていることが多い。
「人格のベースは成人するまでに形成される」と人は言う。しかし、新しいモノと出会う度、人々の価値観は刷新されていく。出会いのアクションを起こさないだけだ。SNSで常に新しい情報に触れていても、新しい価値観と出会えることは少ないだろう。なぜなら、履歴と関連するものばかりが目に飛び込んでくるからだ。そうやって、ごく限られた大富豪は人々の脳を絡めとる。なんて上手い商売なんだ。

そんな天才たちがオススメだけを観てるいると思うな!!
サービスを利用していると思うな!変化や落ち着きのない日常を過ごしていると思うな!

朝陽が昇るたびに、一新した世界を歩めるような人生を生きるため、私は大安売りされた快楽物質を見て見ぬふりのできるクリエイターになろうと思う。

 1m、そして2m。最後(おまけ)に美術館の比較を載せていく。
これが一緒に行った友人に訝しんだ目をされた元凶だった。なぜなら、サングラスにふざけた格好をした私が、マジメに斬新な切り口で空間の謎を解き明かすため、ウロチョロしていたからだ。ギャップのギャップにより、少年たちは私を憐れむことしかできない。

県立美術館では、ほとんどの絵画同士の間隔が1m程で、暗く落ち着いていた。レトロさを出すために天井に元からある照明は一切使わず、暖色の電球を使用し、絵画のみに光を当てている。さらに、イスと絵の距離が近い方の側が暗くなっている。
市美術館の絵画同士の感覚は約2mで、明るく子供も楽しみやすい。照明を天井含めてふんだんに使い箱が大きく、監視カメラの数を限界まで無くしている。

明るい空間と暗い空間。

天井の高低から絵と絵の感覚、照明が大なはたらきを果たしている。特に照明が絵以外を照らしているのといないのとでは、明らかに客層が変わってくる。それぞれに特徴がありつつも、やはり洞窟的・THE美術館な落ち着きを得られる空間は、県立美術館だ。

ひとつの絵画の中心にひとつの暖かい照明の光が当たるように設置されている。
普段、スマホや照明器具、日の光にいじめられている私たちが唯一直射光を逃れられる故郷こそが、暗めの(県立)美術館なのだ。



至高のレポート(現物)

レポート1枚目
レポート2枚目


メモ発見!笑



1行を2分割にしてるんだけど。。わかりづらいかな…?






ーーーこんなふざけたレポートで良い評価を取れますか?
大丈夫、、なはず。。自分の中ではぎりぎりのラインを攻めて、ベストを尽くせたと思う!

こんなに美術館から考えることがあるとは思わなかった(笑)。


草間彌生のカボチャ!!

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