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銀行は背広を着た高利貸し~バブル時代と「ノーパンしゃぶしゃぶ」体験記


日本において銀行は融資をする時に担保を要求します。
基本的には担保は不動産です。

すなわち土地を担保として価値を審査して融資が焦げついた時に土地を売却して融資の100%回収できるかどうかが最重要事項です。

事業計画や経営者の手腕や情熱や事業の将来性は担保の次に考慮されます。

この基本的な考え方で日本の銀行は企業や個人に融資してきたのです。

これにバブルの狂騒が加わり銀行自体も変質していったのです。

バブル時代は土地の価格だけでなく株の価格、ゴルフの会員券相場、絵画や美術品なども値上がりしていきました。

何かに投資すれば短期で儲かってしまう時代でした。

その根底にあったのは土地は値上がりし続けるという土地神話主義に基づいた世相です。

それにだぶついて行き場を失ったお金が土地の投機に向かいました。

その為土地に投資すれば短期に値上がりし利鞘も稼げました。

土地を購入したら直ぐ儲かるという考えは瞬く間に世に広がっていったのです。

土地投機でまたお金がだぶつき、行き場を失ったお金は株式投資に向かいそれがゴルフ場建設ブームの中で会員権相場に向かいました。

建設会社、不動産会社、証券会社などそれらに関係した企業は簡単な金儲けに走ったのでした。

そのような環境の中で銀行も変わっていきました。

土地担保主義は変わらないのですがその土地がどんどん値上がりしていくのです。

銀行の融資審査も土地があれば甘くなっていきました。

それに建設会社や不動産会社や証券会社が絡んできます。

銀行もお客様に本業の仕事以外の儲け話を提案するようになって行きました。

この融資姿勢がまたバブル経済を助長していったのです。

融資を実行するにあたり関連先のゴルフの会員券を購入することを条件にすることもありました。

またいろいろな融資案件を提案してきます。

例えば土地付きのビルでテナントも入っている物件を紹介し毎月の賃料だけで全て返済もでき最終的に自分のものになるからリスクはないので全額融資させてくださいと提案してきます。

またいろいろな土地を紹介してきて今買えば値上がりし利益がでますと必要のない土地の購入を勧めてきます。

またある銀行は限度額5百万円の無担保の小切手帳を持ってきて元本の返済はする必要はなく毎月金利だけ払えばいいので目的は制限ないので好きなように使って下さいと言って小切手帳を置いていきます。

後にバブルが弾けた時に即日元本の返済を求められ困った人が続出しました。

基本的には銀行は土地の価格は上がり続けるという土地神話を信じ土地担保至上主義により陥っていました。

バブルが弾けると銀行は手のひらを返したように今までの融資を引き揚げようとします。

銀行自身が勧めた物件でも容赦なく返済を迫ってきます。

まず土地の担保価値が下がったので追加担保を要求し、それが出来なければ即返済を求めてきます。

融資の条件に購入した高額なゴルフの会員券も下がってしまい売ることも出来ませんん。

必要のないテナント付きビルと土地の担保価値も下がりテナントも出ていく状態で融資の返済を求められ途方に暮れた多くの個人や会社が続出し会社が倒産したり自己破産したり自殺者まででる最悪の状況でした。

銀行に踊らされた個人や会社にも責任がありますが、それを助長させた銀行の融資姿勢に多大な問題があると思います。

不動産会社に土地を地上げさせ形の良い大きな土地にする為に反社会的な勢力の力を借りて小さな地主が、その土地を売るように仕向けたケースや土地の購入資金を不動産会社に融資したのも銀行がバックにいたことは容易に想像できます。

全ての銀行に当てはまるわけではありませんが銀行は背広を着た高利貸しのようなものです。

銀行にまつわるこんな話も体験しました。

 1998年に当時の大蔵省の接待汚職事件が発覚した時、新宿にあったノーパンしゃぶしゃぶで有名になった会員制のお店「ローラン」が大蔵官僚の接待の舞台に、しばしば使われていた事実が判明した時、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」ですが、当時のS銀行の支店長に呼ばれ支店にお邪魔しました。

その時支店長に「社長ノーパンしゃぶしゃぶのお店知っていますか?」と聞かれました。

たまたまそのお店のメンバーだったので「知っています。新宿にあるローランというお店ですよ。」と答えました。

支店長は急に声を潜めて「一回いってみたいのでセッティングしてくれませんか」とたのまれました。

多額の融資を受けていたし、次回の融資のこともあるので「わかりました。」と返事しました。

後日支店長と次長と銀行が用意したハイヤーで新宿に向かいました。

車中、支店長から驚きの提案がありました。

まず彼は背広の銀行のバッヂを外しながら「お店では自分を本名ではなくSさんと呼んで欲しいし、仕事についても触れないで欲しい」と言われました。

くれぐれも銀行員だということがばれないようにしてくれと言うことでした。

内心そこまでする必要があるかなと思いましたが融資のこともあるので「了解しました」と答えました。

全ての銀行員がそうだとは限りませんが、これが銀行の体質の一面を表しています。

 ノーパンしゃぶしゃぶのお店ですが入り口で会員証を提示して入店します。
個室に通されると女の子が1人か2人、部屋の係りとしてお世話してくれます。

まず係りに1人5千円のチップを渡します。

するとミニスカートをはいている女の子がその場で自分のパンティを脱いでくれます。

部屋には掘り炬燵があり、その真上にウイスキーなどがショットで出てくる装置があります。

まずメニューから料理を選びます。

しゃぶしゃぶとすき焼きがあり松竹梅のランクの中からオーダーします。

僕はいつも「しゃぶしゃぶ」の竹を注文します。

まず生ビールで乾杯し、その後はお酒を一杯ずつ注文します。

もうおわかりですよね!!!

お客様は掘り炬燵の畳に座っているので、その真上の高い位置にある装置でお酒をグラスに入れるわけですからミニスカートの中は丸見えです。

それを見ながらしゃぶしゃぶを食べる姿は他の人が見たら、異様な光景でしょうね。

ここには一定のルールがあり女の子の身体に触れる行為は禁止ですし、お酒を頼む度にチップをあげなければなりません。

額は決まっていませんが最低一杯につき1,000円ですが上限はありませんでした。

この様な状態で係りとの会話を楽しむわけですから、ある意味で健康的かもしれません。

女の子もアッケラカンとしているのでお客様の方が照れてしまう事が多いです。

後日、会社の近くで偶然係りについた女性に偶然出会ってしまいました。

昼間は一部上場の会社に勤めているので内緒にしてくれと頼まれました。

またお客様とお店以外で会うのも禁止なのでお店にも黙っている様に頼まれました。

「わかりました。またお店に行きますね。」と言って彼女と別れました。
彼女の話によるとお店で働いてる女の子の多くは昼間働いているそうです。

お金が稼げるからお店で働いていて罪悪感もなく他の変なお店で働くより安全だとも言っていました。

ノーパンしゃぶしゃぶのお店に行った後、懸案だった融資は実行されました。

 バブルが弾けた後、別の銀行の支店長から連絡があり支店に伺うと相談があると言われました。

バブルの時に不動産以外で担保にとった表に出せない絵画や宝石があるので内密で見てくれないかと言うことでした。

原則、銀行は土地以外の絵画や宝石などの動産は担保にとりませんがバブル時代には全ての物の値段が上がったので、裏では動産も担保に取ったのかもしれません。
または融資が焦げついたので換金できる物は全て差押えたのかもしれません。

世の中には表と裏が存在します。

銀行も調子が良い時には紳士的に表の顔て融資して、一旦悪くなり返済が滞ると容赦なく返済を迫ります。

昔から「銀行は晴れている時に傘を貸し雨が降った時は傘を貸さない」と言われますが
その通りだと思います。

外国では銀行は新規の事業計画と借りる個人の資質それに将来性を考慮して融資を行いますが日本では担保の土地の担保価値で融資します。

一般的に土地の地価の60%は最高で公示価格の60%も普通です。

バブル時代には土地担保至上主義だったので土地がないと銀行は融資してくれませんでした。

バブルが崩壊後10以上あった都市銀行は三井住友銀行、三菱UFJ銀行、みずほ銀行、りそな銀行と埼玉りそな銀行になってしまいました。

どの銀行とどの銀行が合併して今の5行になったのか、すらすら言える人はもう少なくなってしまいました。

銀行同士の合併が起こる中、取引先のD銀行とK銀行が合併することになりました。

各々の銀行に担保もいれていましたが、担当者から連絡があり現在の借入れ金を半分にして欲しいということでした。

担保も入れているし返済も滞りなくしているし従来通りの融資を継続するように頼みました。

担当者の答えは冷たいもので合併して一つになるから融資枠は半分になるということでした。

バブルが弾け融資の総枠を減らすというのです。

銀行の都合で合併して問題のない融資も引揚てしまう銀行の態度には納得できません。

担当者も代わってしまい話にもなりませんでした。

結局銀行本体のことしか考えていないのです。

バブル時代の土地担保至上主義から現在の銀行が脱却したかは、もう自分にはわかりませんが事業計画や経営者の資質、将来性を重要視し、次に担保の有無で融資してくれる銀行に現在なっていることを期待します。

 これは余談ですが昔は夏になると旧軽井沢に何軒もの画廊が夏の間だけ東京から出店してきました。

また赤坂の高級料亭・口悦や鰻の竹葉亭、イタリア料理のキャンティなども出店しました。青山の高級スーパー紀ノ国屋も一時出店しました。

今の旧軽井沢銀座通りとは全く違う軽井沢でした。

当時は夏になると政財界の一部が旧軽井沢に移って来ることを意味していました。

画廊が夏の間旧軽井沢にオープンするということは画廊のお客様が旧軽井沢に静養に来ることを意味します。

ここに一種の都市伝説があります。

真偽のほどは定かではありません。

日本では絵画が現金の代わりに使われていたという都市伝説です。

画廊がある絵画をお客様の所に持っていき、その方がその絵画を購入します。

ある一定の時がたつとその絵画を違う画廊が購入した価格よりも高い価格で買っていきます。

領収書のないお金が動いていきます。

同じ絵画がいろいろな方の所に飾られているという都市伝説です。

これはバブル時代までの話です。

今の軽井沢はハチミツやジャムのお店や安いお土産屋ばかりです。

バブル時代に銀行とお付き合いし軽井沢にも毎年来ていた自分にとって、あの時代を全く知らない世代が大多数になってしまった今、当時の自分の体験した事実をバブルをしらない世代に伝えていきたいと考えています。

機会があれば今まで書き留めていた物を世にだしたいと思っていますのでよろしくお願いします。

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