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シオニズム

チャップマン大学の歴史学者で、反帝国主義のリアーム・オマラ氏のインタビュー。とても勉強になったので、訳します。



元来のシオニズム

現在「シオニズム」と呼ばれるものは宗教とは関係のない政治イデオロギーとしてのシオニズムであり、ユダヤ教とは別のものなので、その二つの混同(反シオニズム主義を反ユダヤ主義と呼んだりすること)は間違っているだけでなく危険な行為である。現行シオニズムは19世紀に台頭したが、その遥か前のシオニズムは違うもので、実は元来ユダヤ教の思想の一部であった。

元来は

追放(exile)を終え、元の場所に帰る

という意味。ユダヤ人の民族的、文化的アイデンティティはレバーント(地中海東岸沿岸)に根をもち、それはパレスチナ人も同じ。

土着のカナン人がユダヤ人となったうちの多数は度重なる自然災害などを機にそのエリアを去る(1−2世紀)。残った者が後にキリスト教やイスラム教に改宗して、パレスチナ人となる(パレスチナ人にはユダヤ教信者もキリスト教信者もいる)。ユダヤ人もパレスチナ人も元は同じ民族なのである。

元来の意味のシオニズムは「元いた所に戻る」ことで、戻ってそこに既に暮らす人と共存するとも考えられたし、メサイヤが現れ世界を正し、自分たちは戻れる、とも考えられた。(宗教色の強い)救世主的な思想でもあった。現行のシオニズムが横行する前にもその考えに沿って、ユダヤ人はこの地方に戻ってきている。例えば1492年スペインのユダヤ教徒追放令の時も多くのユダヤ人が当時のパレスチナ(現イスラエル)に「戻って」来た。

At the Feet of the Saviour(ユダヤ人の虐殺)、ビセンテ・クタンダ


18世紀にもそのような波が数度あった。


クリスチャン・シオニズム


現行の政治イデオロギーとしてのシオニズムが元来の意味にとってかわるのは19世紀だが、それよりも先にキリスト教にシオニズムが取り入れられる。回復主義(restorationism)に根差したプロテスタント宗教改革(16世紀)の時期に起こる。

カソリック正教会はユダヤ人に非常に弾圧的であった。「ユダヤ人は自らの原罪により神の承認を失った民」としたからであった。

しかしそれは聖書には載っていないので、「聖書のみ」(sola scriptura)を原則の一つとするプロテスタントではその思想を撤回した。だからと言ってプロテスタントがユダヤ人に寛容だったかと言えばそうでは無い。旧約聖書にパレスティナがユダヤ人の土地だと記述がある。ユダヤ人はそこに戻るべきだ(ウチの国にはいるべきで無い)と考える。キリスト教プロテスタントにはシオニズムの思想が盛り込まれている。

千年王国(millenarianism)のようなキリスト教信者の「世界のハードリセット」への傾向は長いキリスト教の歴史の中で浮かんでは消え浮かんでは消えしてきた。19世紀になりプロテスタントの教えが終末論Apocalypticismに偏向していく。ラプチャー(世界の終わりにキリスト教徒だけが救われるので「歓喜」ってこと)などのアイディアは19世紀になってから出現した解釈である。米国の福音派プロテスタントではその思想に終末論が大きな位置を占める。世界の終わりが到来するには、ユダヤ教国がエルサレムにないといけない。ユダヤ人が全てそこに帰った時、終末の壁が開き救世主が再臨する。そしてユダヤ人は2/3が死に、残りはキリスト教に改宗。福音派キリスト教徒のみが救われる、と言う筋書き。

世界の終わり=ユダヤ教の抹消であり、それをゴールとするクリスチャン・シオニズムは非常に反ユダヤ主義的と言える。


非宗教シオニズム


前述二つのシオニズムと全く違うシオニズムで、19世紀に欧州で頭角を表す。現在「シオニズム」と呼ばれるのはこの種類である。

「ユダヤ」とは民族の意味と宗教の意味の両方がある。部族的、文化的なアイデンティティなのだ。例えばユダヤ人であれば仏教徒でもユダヤ人なのである。そしてその「ユダヤ性」を当時の欧州の「ナショナリズム」に適用しようとするのがこのシオニズムの特徴。

(ここで言う「ナショナリズム」とは日本語では国民主義にあたるものである。)

nationとは、ある共通の特徴(生物学的でなく社会的特徴)を持った人々の共同体である。どの特徴でそのnationを定義するかはそれぞれ違う。ナショナリズムとは国家(政府,state)は、その「ある特徴を思った人の集まり=nation」のためにある、という考え方で、フランス革命時に花開いた。フランスは革命を経て5世紀から続いた「国家=state」の形態から「国民国家=nation state」に変わった。

19世紀、この考えが欧州に伝播する。各地で宗教・文化ベースの紛争が絶えなかった欧州で、この「王政があり、その領土内が纏められるアイデンティティではなく、共同体としての横の繋がりのアイデンティティ」により国を取りまとめる方法はとてもプログレッシブで希望のもてるものだった。それが極まって後に危険な事になるのだが、それはまた別の話。

そしてその「国民国家化」のプロセスから、ユダヤ人は弾かれていた

例え国家が発行する「市民権」を得てもそれはnationの一員になった事にはならない。国民国家において、国民としてのアイデンティティは国民が決めるのであって、国家が決めるものでないからだ。市民権を得ても、言語を獲得しても、ユダヤ人は引越した先の人々に「ユダヤ人が来たー」と言われてしまう。

そんな中「受け入れられないなら、自分たちで国民国家を作るしかない」と考える者達が現在の非宗教シオニズムを生んだ。ユダヤ人にとってのナショナリズムである。19世紀の風潮を加味すれば自然な流れであったと言える。ユダヤ人を排除して団結してしまう当時の欧州のナショナリズムがシオニズムに繋がった。

「シオニズムの父」Theodor Herzl (1860-1904)、オーストリア

非宗教シオニズムの初期には様々な思想ブランチがあった。社会主義・共産主義のシオニストはパレスチナ人と共存しようとしたし、リベラルシオニストもユダヤ人とパレスチナ人で団結して帝国支配から脱却しようとした。キリスト教イスラム教ユダヤ教混在のレバーント系民族で国民国家を作り、コスモポリタン他国家帝国(オスマントルコや英国)から独立するナショナリズムだ。しかしそのような派閥は入植型植民地主義としてのラディカル民族主義シオニズムに負けてしまい、1930ー1940頃には極めて少数派になった。

この暴力的な現行シオニズムは1900sから方針を変えた。以前は「パレスチナ人と混ざり合い、共同体を作る」事を目指していたが、「ユダヤ人だけのコミュニティの形成」に力を注ぐようになる。ビジネスはユダヤ系の企業としかしない、ユダヤ系だけで固まって住むなど。それによりパレスチナ人との隔離が起こり、話もしない、交流が無くなる。そう言った環境では非人間化は簡単に起こる。入植型植民地主義のシオニズムにとってパレスチナ人の非人間化は必須であった。「自分が自分の土地でやりたい事を邪魔するここに属さない者」としてパレスチナ人を見るようになる。

そして現在「シオニズム」とははこの人種差別的な国粋主義入植型植民地主義のシオニズムを指すようになる。

更に現在のシオニズムはその正当化のために宗教的な意味合いを付加する。救世主的な世界観を持ち、とにかく先住民を追っ払って、この土地を占領しなければ救世主が来なくなる、とのパラノイアを有している。リップサービスでない本気の「2カ国解決」には、パレスチナの自決権が伴う。西岸を完全なる「パレスチナ国家」とするなど実はイスラエル国民は許すはずがない。西岸にはユダヤ教の聖地がある。その土地(の占領権)を失うことは、宗教、文化アイデンティティの欠損だと思っているからだ。

民族、とは

ユダヤ教の聖地、重要な建築物などは西岸にある。アブラハムの墓はヘブロンにあるし、

「ユダヤ」の語源である「ユダ王国」は現在の西岸南部である。西岸北部は「イスラエル王国」の一部であった。私たちが「ユダヤの起源」と言われて思い浮かべる二つの王国は、現在パレスチナ人が住む西岸なのである。西岸外北部のイスラエル領土ガリラヤ地方にも多くのアラブ人が住む。ここは元々イスラエル王国北部であった。

ユダ王国とイスラエル王国

これを見ても、パレスチナ人とユダヤ人は元々は同じ「民族」だったことが分かる。ユダヤ人、サマリア人、レバノン人、パレスチナ人は同じ民族出身である。追放されたか、残ったかの違いだけ。

残ったパレスチナ人はその文化遺産をずっと守っていた。

ユダヤ教にとってもキリスト教にとっても聖地とされる超重要文化財だ。

ある土地からある民族が全て離れることは歴史上非常に少ない。民族は大抵その土地にとどまる。しかし文化は変わっていく。そう言った歴史の流れの中「ここがXXの発祥」と国や民族のスタートポイント定義することは難しい。どこまでだって遡っていける。

例えば英国。11世紀のノルマン征服時にはアングロサクソン。その前はケルト人。そのケルト人すらも実は移民でその数千年前は新石器時代の民族が先住民として住んでいた。そこには言語も民族もあったがケルト人にとって変わられた。その末裔は今でもイギリスに住んでいる。

先住民は住み続けるが後続の移民の流入により言語、宗教、文化が変わっていく。

同じようにパレスチナ人の文化の中にもユダヤの文化は混ざっている。もちろん先住民のカナーン文化も混ざっている。全ての文化は混ざり合いいつでも変化している。

アラブ、とは

パレスチナ人はアラブ語を話すのでアラブ人であり、ユダヤ人とは違うというのも極端な単純化。

世界のアラブ語話者の99%は民族としての「アラブ人」では無い。モロッコ人とシリア人が「アラブ語を話す」と言うだけで「アラブ人」と一つに括られる馬鹿らしさを考えて見るといい。ポルトガル人とシシリア人が同じ民族だと言うようなものだ。

シリア、レバノン、パレスチナ、ヨルダンは「Aramaic」と言う一つのdialectの連なりの言語。

伝統的な「アラブ語」は今は話されていない。チョーサーなどの中世英語を話す人がもういないと一緒だ。中世英語は今よりもかなりゲルマン色が強い。古英語までいくともっと。それに比べて近代英語はロマンス諸語の影響を多大に受けている。ノルマン征服によるフランス語の流入が英語を大きく変えた事になる。

メソポタミアやレバンティンの言語に影響を受けたのがAramaicだ。エジプトのアラブ語はコプト派の影響を受けているし、同じアラブ語でも相当なバリエーションがある。

極右シオニズム

話をシオニズムに戻す。

シオニズムにおいて「暴力的で危険」と言う意味であれば、右派、左派は関係ない。イスラエル初代・3代首相であるベン=グリオンは経済イデオロギーとしては社会主義であり左派であったが、パレスチナ人の追放によるイスラエル全土の掌握、レバノン南部やヨルダン西部への領土拡大を目指していた。

ベン=グリオン

左派シオニストの中には前述のように文字通り共産主義で階級闘争を経てパレスチナ人と団結し一つの国を築こうとしていた一派もあったが、結局左派を牛耳ったのは民族主義的社会主義であった。

右派シオニストの先駆者はジャボティンスキーなどになるが後に「極右」に傾倒していく。非宗教ではあるがユダヤ民族主義、ハードコア国民国家主義、そして資本主義とそれに付随する権威主義も厭わない。

ジャボティンスキー

初めのうちは左派はとにかくパレスチナ人を排除追放殺害し、右派は「三級市民である事を受け入れるならここにいて良い」とした。が、結局は右派も民族浄化に傾倒するようになる。1960-70には暴力化は悪化しカハネ主義など「出ていくなら金を払うと言うのにそれを断るなら、暴力で追い出すしかない」との過激派も登場するようになる。

「アラブどもに死を」と落書きされているアラブ人の墓

しまいには宗教観を注入するようになる。ネタニエフは非宗教極右だが西岸の強制入植活動を扇動するのは宗教極右の一派だ(ベン=グヴィルなど)。

暴力宗教過激極右、イスラエル安保大臣ベン=グヴィル


この宗教極右シオニズムは、ユダヤコミュニティ全体の文化に大きなダメージを与えた。

聖典の極端な曲解を流布するからだ。

例えばタルムード。タルムードはその中で議論を展開する形式なので「ダメな考え方」の例も載っている。「ユダヤ人以外は無視していい」とその口で「全ての他者を愛せ」とも言う。タルムードはこれを叩き台に読者同士が議論を交わすためのものでもある。

例えば「ユダヤ人以外が苦しんでいても助けなくて良い」と書いてある。普通のユダヤ人であればこれは「論破されるべき文言」として解釈する。2000年もそう解釈してして来た。宗教右派シオニストはそのような表記だけを取り出して、「ほら聖典に書いてある。これに従って行動すべき」としてしまう。

この土地が一民族により支配されたことはどこまで遡っても一度もない。ずっと他民族、他宗教の土地だった。その事実をすっ飛ばし、聖典の曲解で宗教右翼シオニズムはユダヤ文化の破壊をする。

それが現在のイスラエルの環境(=パレスチナ地区を占領、レイシズムを温存した民族国家主義、入植型植民地主義)を生むし、その環境が更なる曲解を生む。そして「ユダヤ人は非ユダヤ人からの輸血をしてはいけない。ユダヤ人は他の人種とは違う。」などと言い出すのだ。ユダヤ優生思想=自主差別である。

これは米国クリスチャンが、入植型植民地主義を敢行するために聖書の解釈を曲げたのと一緒。

隣人を愛せ、、、、、黒人以外は。彼らはハム族だから、と言うがハム族が黒人である記述は聖書には無い。このように経済活動である奴隷制度を受け入れるために、聖書の解釈をそのように調節したのが米国福音派であり、米国福音派は根深いレイシズムを内包している。

イスラエルの宗教極右シオニストに起こっていることも同じ。民族主義国家の建設のために、聖典を曲解する。

その中でも自身の「ユダヤ人差別化」はイスラエル全体に染み込んでいる。「非ユダヤ人は例え優しそうな人であっても信用してはならない。」と子供の頃から教わる。このパラノイアは2000年にわたるキリスト教徒からの迫害が原因であるし、実際同胞だけで固まって厳しい状況を生き延びるための術でもあった。このパラノイアがあったから完全exileの状況で民族として存続できた、という所もある。そんな民族は他にあまり無い。

なので「他者を恐れるパラノイア」をユダヤ人から一気に消し去ることは難しい。実際の所ユダヤ人を傷つけているのは特定のイデオロギーであり、それを実行する一定の個人であり、そこから作られる一定の機構である。なので目の前の非ユダヤ人を「他者」と一括りにするのは間違っているのだが、癖を正すのには時間がかかる。

そこに来てシオニズムが害悪なのはそのパラノイアにパレスチナ人を絡めて来る所。歴史上ユダヤ人を苦しめて来たのはパレスチナ人では無い。ユダヤ迫害をしたのはキリスト教カノン法であり、中東にそれは無い(4−5世紀には中東にも採用する国はあったかもしれないが、少なくとも1400s辺りまでには中東にはカノン法は無くなっている)。

イスラム教ではユダヤ教もキリスト教も神の啓示を受けていると明記してあるので、イスラム教徒が「教え」としてユダヤ教徒を迫害することはない。中東では他宗教の民族が共存していた。

しかしユダヤ人が入植型植民地主義でパレスチナに強制的に流入して来るようになると、それに反発するパレスチナ人の間に欧州キリスト教徒によるユダヤ差別的なレトリックが輸入されてしまう。そして既にパラノイアを持つユダヤ人はそれに強烈に反応しパレスチナ人を憎むようになる。

欧州がユダヤ人虐める→傷ついてパラノイアになる→それに被害を受ける人が欧州ユダヤ差別を図らずも輸入してしまう→ユダヤ人がもっとパラノイアになって暴走始める

と言う循環がグルグル回って今の惨状がある。この構図を次の「反ユダヤ主義」で解説する。


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