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『走ることについて語るときに僕の語ること』を読みました

村上春樹さん。

・ノーベル文学賞選考のときに耳にするお名前。
・高校生のときに、友達に薦められるがままに『ノルウェイの森』を読破。
 面白かったんだけど、小説って長い!という印象の方が強かった・・・。

私の村上春樹さんに対する印象は、この程度。

しかし、村上春樹さんが毎日10キロを走っている現役ランナーであるというネット記事を偶然読む機会がありました。しかも、マラソンに対する考え方をまとめた書籍も出されているというではありませんかぁ!!!

というわけで、Kindle本を即、購入したわけであります。

これは、紛れもない名著です。
これまで何となくぼんやり走っていた自分が恥ずかしく思えてきました。

感動した箇所を引用してみます。
(ハイライトした箇所が多すぎて、紹介したい引用はごく一部です。それでも多いか!!)

速く走りたいと感じればそれなりにスピードも出すが、たとえペースを上げてもその時間を短くし、身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説を書いているときと同じ要領だ。

アーネスト・ヘミングウェイもたしか似たようなことを書いていた。継続すること ─ リズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし 弾み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。

今までの自分は、調子が良い日には、余計に距離を走ってしまっていました。毎日走っている方だからこそかもしれませんが、「今日の調子を明日に持ち越し、いいイメージのまま取りかかる」という考えは、仕事にも活かせそうです。

もしタイム内で走れなかったとしても、やれる限りのことはやったという満足感なり、次につながっていくポジティブな手応えがあれば、また何かしらの大きな発見のようなものがあれば、たぶんそれはひとつの達成になるだろう。言い換えれば、走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる。

タイムにばかり固執しないということですね。このnoteのテーマが「サブ4達成」なので、気をつけなければなりません。
複数のテーマを設定しておくことが大事なのでしょう。デジタルな結果だけでなく、気持ちの上での変化にも気を配ってきたいところですね。

昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。

この言葉は、手垢が付き過ぎた言葉かもしれませんが、村上さんも言っていました。まさに、自分自身の成長を実感できる手軽な競技がランニング!
牛歩のように少しずつでもいいので、俺もレベルアップしていきたいです!! いや、しなければなりません。

走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客に過ぎない。それは通り過ぎて消えていくものだ。そして空だけが残る。空とは、存在すると同時に存在しないものだ。実体であると同時に実体ではないものだ。僕らはそのような茫漠とした容物の存在する様子を、ただあるがままに受け入れ、吞み込んでいくしかない。

「僕は原則的には空白の中を走っている」ともおっしゃっています。
小説のアイディアを求めて走っているのかと思いましたが、そうでは無いようです。しかし、個人的にはアイディアが出てくることもあるので、湧いたときには、すかさずスマホに記録です。

誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。

腹が立ったら自分にあたる。まったくできていませんでした。
最悪、家族にあたってしまったことは何度もあります。弱い人間です。
そうですよね、納得のいかない日はこれから何度も訪れるはず。俺も村上さんを参考にして、そんな日は走り込むことにしますか!
そして、そんな弱い自分を再認識し、人に優しくしていきたいですね。

とにかくレースに出場し完走するというのが、何にも増して肝要なことなのだから。ゴールインすること、歩かないこと、それからレースを楽しむこと。この三つが、順番どおりに僕の目標になる。

レースについての考え方。俺としては、今まですべて楽しんで、完走はできていますが、初のフルマラソンでは、残り10キロのところで歩いてしまいました。。。
今年のフルマラソン「ぐんま」では、まずは歩かずに、4時間半くらいでは完走したいです。

もし僕の墓碑銘なんてものがあるとして、その文句を自分で選ぶことができるのなら、このように刻んでもらいたいと思う。
  
 村上春樹 作家(そしてランナー) 1949-20**
   少なくとも最後まで歩かなかった  

先のレースの目標を生涯貫くことができた、それを誇りに持っていることが墓碑銘から伝わってきます。自分なら、どんな墓碑銘にしたいのか?
・・・正直、何も出てきません。これから、誇りある墓碑銘を考えていくことで、自分の使命が見つかるかもしれません。

長々と引用とそこからの学びを書いてきましたが、
最後の学びとして、「走れるカラダである限り、ランニングを楽しむ」
これにつきますよ。

エリック・クラプトンの『レプタイル』を聴きながら走った。どちらもけちのつけようのない音楽だ。心にしみるし、何度聴いても飽きない。とくに『レプタイル』は、走りながらずいぶん何度も聴いた。個人的な意見を言わせてもらえれば、『レプタイル』はゆっくりとランニングをする朝に聴くにはうってつけのアルバムである。

というわけで、春樹さんオススメのクラプトンのアルバムを聴きながら、雨が降る前にこれから15キロ程度、走ってきたいと思います。

もうすぐ、梅雨明けかな? 
この時期は、雨を楽しむのもいいかもしれませんね。

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