AVの人たち

HIVやエイズの教育・啓発の場に“AVの人”たちがいた、という、私の歴史

12月1日は、世界エイズデーです。

前職でHIV/エイズの啓発などを行っていた私にとっては、いろいろなことを思い出す時期でもあります。

少し前、『「おっぱい募金」に思ったこと』というエントリーを書きました
そこでは書かなかった、とても個人的な範囲での話について、今日は書いてみます。


性教育や、HIV/エイズの啓発の場に、「AVの人たち」はたしかにいたよ、という話です。


***


話は、私が大学生だった時代にさかのぼります。
今からもう、10年以上前の話です。

大学に進むと決めたとき、私には、学びたいことがいくつかありました。

私の通っていた大学は、それらを学ぶのにとても充実した環境だったのですが
そこにとどまるだけでは足りなかった私は、学外にも足を向けていました。

そこで出会ったのが、とある産婦人科の先生です。


先生とは、政治的思想が根本的に、そしてかなり広範に、合いません。
しかし私にとっては師匠であり、恩人である、というのもまた事実です。
(主張も思想も、本っっっ当に合わないんですけどね……)

「お母さんだけが出産で死ぬほど痛い目にあわなきゃいけないなんて、割に合わない。技術があるんだから、痛いのがイヤなら、遠慮なく無痛分娩にしたらいいんだよ」
という言葉をくれて、
私がためらいなく、無痛分娩を選べるようになった理由をくれたお医者さんです。

ツイッターでも「そんなような人がいる」ということは、何度か呟いたことがありました。
でも、実はそれだけではありませんでした。
私に性の知識を与え、活動や仕事ができるようになるための、土台を作ってくれた人です。


子どもの商業的性的搾取と、それに対し日本がやらかしてきたあれこれ、に関連する講演会で、私はその先生に出会いました。

「日本には性教育が足りない」
「義務教育の段階で、科学的な話として、性教育はもっと行うべき」
「避妊の話が高校に入らなきゃできない、入っても満足にできない現状はおかしい」
「性教育されなかった人が大人になっていって、このままでは、教えられる人がいなくなってしまう」

と、いうような話をしていました。

「その通り!」と思いました。

先生はそのときちょうど、講座を始めようとしているところでした。
性教育の講座です。
無料で受けられ、
「給食」があり(夕食としてお弁当が用意されていたのです)、
学用品の支給(文房具やコンドーム)があり、
正しい知識で“ピア”活動するために必要な、十分な知識を授けてくれる、というものです。
実際にピア活動をするための“卒業試験”があって
それにクリアしなければ活動は許可しない、という、小さな学校のような講座でした。

私は第1期生となり、第1期の卒業生になりました。
18禁な知識が目白押しだったため、生徒は大学生が主でしたが、中には保護者同伴で通ってきている、小学生や中学生もいました。

私にとって、転機となる活動でした。


保健体育で習ったようなことを、ひたすらに、しかし詳細に勉強しました。
授業は、
排卵日、基礎体温、妊娠周期の数え方、人工妊娠中絶のリスクと方法、低用量ピルと緊急避妊ピル、コンドームの使い方、性感染症について、HIVとエイズについて、などの
科学的な内容と、
“援助交際”のこと、バッキー事件のこと、七生養護学校のことなどの
社会的な内容との、2部構成になっていました。

2部では、生徒が興味を持った内容を事前学習し、配布資料をつくり、プレゼンし、ディベートを行うようなこともありました。

私はこのとき、たしか売春防止法の問題をテーマにしました。
婦人保護の文脈からきている、という触れ込みで、それならなぜ“悪いことをしていない売春婦”が逮捕されなきゃならないのか、というようなことを
非常に拙く話した記憶があります。

先生とは意見が噛み合わず、喧嘩のような議論になりました。
私も先生も、結局、論は曲げませんでした。
喧嘩のような議論をしても受け入れられる、そういう土壌がありました。


先生とは“教育方針”にもあわないところがあって、
たとえば
「愛があればセックスしても大丈夫、みたいに思われちゃうから、愛とセックスの話は一緒くたにしない方がいい。愛じゃ体は守れない」
というような話には心底賛同
しましたが
「生ぬるいこと言ってても伝わらない」ということで
たとえば性感染症のエグい症状のスライドも、高校などに授業に行った際に見せるべきと思う、と言っていた話には、賛同できませんでした。
私は“脅し”手法には反対なので、(特に人工妊娠中絶の話などではリスクが高いと思います)
そこでもすれ違いはありました。

一方で、先生の方針は
単なる主張や思想によるものではなく、効果の面から考えられ、作られていたものであることもまた、間違いはなかったのだとも思います

「みんな、僕みたいなおっさん・じいさんが一生懸命話しても、なかなか話なんて聞かないんだよ。そりゃそうだよ、知らないおじいさんなんだもの」
と言って、
“みんなが興味を持ちそうな人”をダシに、授業をすることが多くありました。
「こんなおじさんが何言ってても聞かないかもしれないけど、みんなが憧れるダレダレがこう言ってたよ、って話せたら、耳を傾ける人も増えるでしょ」と。

みんなが興味を持ちそうな人。
有名な、たとえば芸能人や、AV女優・男優さんです。

講座には、何人もの“有名な”人たちがきました。
真剣に学び、議論する“若者”である私たちに、来てくれた有名な“大人”たちは、
性についてのプライベートな話を聞かせてくれたり、
性について学ぶことの大切さを言ってくれたりしました。
「給食」の時間では、一緒にお弁当をつついたりもしました。

そんな若者に背中を見せてくれた “大人”たちの中に、加藤鷹さんと飯島愛さんがいたのです。

加藤鷹さんは、
性知識についての啓発が必要と感じ、すでに実際に啓発活動を始めている人、としての話を聞かせてくれました。
飯島愛さんは、もう少し、ふわっとした関わり方をしてくれていました。
「みんな、偉いねぇ」
とか
「今日の話は難しいよねぇ。でも、やっぱ大事だなーとかは思ったよ」
とか
そんな風に言いながら、私たちの輪の中に入ってきてくれました。

加藤鷹さんは、エネルギッシュで、でも語り口は沈着でもあって、説得力の強い話をしてくれました。

飯島愛さんは、
気配りに満ちて、深い思考のある、ともかく優しい人でした。
「がんばってて偉いね、みんなみたいな若い子たちががんばってくれてると、嬉しいし心強いよ。ねぇ、先生」
そんな風に言って、見守るように、応援してくれていました。


私はAV業界のことを、よくは知りません。
加藤鷹さんが、当時の仕組みのこともいろいろと話してくれたのですが、
当時と今とでは、様々な変遷を経て、すでに大きく違ってしまっています。
当時の記憶は、参考にもなりません。

でも、今でも通じる、二人のおかげで体感できたこともあります。

「AVの人」たちは、決して違う世界の人ではない。
ということ。
だって私たちと同じ場所にいて、一緒にお弁当を食べたりするんですから。


この講座の受講を契機に、私は小さな活動を始めました。

大学の保健室や学生相談室に、啓発資材やコンドームを置いてもらえるようにしました。
チームを作って、友達から友達に伝える性教育、という触れ込みで、
つまりは文字通り“ピア活動”を始めました。
そのことが教授の耳に入り、大学で授業のようなものをさせてもらったこともありました。

また、その時の活動で知り合った縁がきっかけで
ブラック企業の退職後は、エイズ啓発が仕事にもなりました。

そこで行なっていたイベントでは、紅音ほたるさんに出展してもらっていました。
そのため、イベント来場者の中には紅音さんのファンの方もいらして
参加のきっかけはただ、彼女を追いかけたいだけだったのかもしれないけど、
他のブースもしっかりまわって、
HIVやエイズについて、たんまりと学習して帰ってくれた人たちも、たくさんいらしたのです。
私はそこで豚汁をつくり、紅音さんにしばしば差し入れをしました。
ものすごくよく食べてくれる人で、「そんなにおかわりされたら予定配膳数に足りなくなっちゃうんで、すみませんけどそのへんで」みたいな話を毎年しました。
少年のような人、だったように記憶しています。
別のイベントで偶然会った時は、彼女はポールダンサーとしてそこにいて、とてもかっこよかったです。
人には、いろいろな顔がありますね。


さて、
妊娠を機にその職を辞した今でも、
私は女性向けに、性に関する健康情報を伝えるような書き仕事を(細々と)しています。
もう「エイズ啓発の人」ではないのですが、いろいろなことがつながって、今があるな、と思います。

そのいろいろ、の中には、間違いなく「AVの人」たちがいました。

加藤鷹さんが活動する人としてエネルギーをくれて、
飯島愛さんがいつも見守っていてくれて、
紅音ほたるさんが時には一緒に活動してくれました。

3人が「エロ」の人だったおかげで耳を傾けてくれた人たちがいて、
情報を届けられたことがありました。

エロとエイズの啓発やチャリティが関係ないなんて、そんなことはない。
エロで集められた金じゃ支援される人たちも嫌だろうなんて、そんなことを代弁して言う権利だって誰にもない。

エイズ啓発の活動の一端には、「AVの人」たちがいたんです。
私はそれを知っています。
私自身が、私自身の小さな歴史の中で出会い、背中を押してもらってきたのです。


どうか理解してほしい、と思うのは
啓発なんていう“正しい”活動もしている人がいる、ということで、「AVの人」たちを“免罪”して欲しい、というような
そんな気持ちでこれを書いているわけではない、ということです。

正直、そんな風に読んでしまう人もいるかもしれないな、という不安があります。

“いいこと”をしている人たちもいるんだから、エロ業界の人たちも悪い人たちばかりじゃないんだね。そういう例外もあるんだね。
みたいな。
そういう特例についてはまぁ、悪くないよね(でもエロ業界自体は“よくない”ものだけど)。
みたいな。


そういうリスクのある文章なのだろうとも思います。
読み手だけの問題ではなく、私の筆力の不足のせいも、たぶんにあるでしょう。
それでも、書いて、残しておきたいという気持ちが勝ちました。

彼女・彼らは別世界の人たちではなく、
「エロ」を仕事にしたりもしているし、
同時に性の健康に関しての啓発をしたりもしているし、
それらが別物であることもあれば、別物じゃないこともあって、
そして、私たちと同じ場所で
ただ一緒にお弁当を食べたり、豚汁をつついたりしているんです。
きっと今だって、どこかで、誰かと。


もし、HIVやエイズについて少しでも関心を持っている人であれば
Living Together』という言葉を耳にしたことがあるかと思います。
これは、
HIVに感染した人も、そうでない人も、同じ場所で、今もう一緒に生きているよ
という事実を表現した言葉です。
『特定非営利活動法人ぷれいす』さんのHP(http://www.ptokyo.org/know/livingtogether)
や、
『ゲイのための総合情報サイト g-lad xx』さんのHP(http://gladxx.jp/extra/terms/terms_ra/71.html)
に詳しいです。


これ、HIV陽性の人たちだけとの話ではないんですよね。
「AVの人たち」だって同じ。
私たちはいま、一緒の世界を生きています。


飯島愛さんは、何年も前に、すでに亡くなっています。
紅音ほたるさんも今年、突然にいなくなってしまいました。
とても悲しい。
一緒に生きて、いたのに。


今日、このエントリーを書いてしまうことで
わかる人が見れば、私の軌跡がまるまるとわかってしまうことでしょう。
まるまると、ではなくとも
私が恩人と言っている産婦人科医が誰か、とか
私の前職がどこなのか、とか。
(正直、特定はたやすいと思います)
(でも、できたら、しないでくださいね)
私はインターネット上で、自分の情報をほとんど書かないようにしてきました。
というか、
前職でも、実は本名では仕事をしていませんでした。
(ニックネームとか旧姓とかを織り交ぜていました)
たとえ過去のことではあっても、
私は、私自身のことを知られたくないし、発信したくなかったので。

でも、最近の動きの中で
「AVの人」と「そうでない人」とが強力に分断されたり、
チャリティや啓発などの“いいもの”には似つかわしくないと言われたりしているのが、
ともかく「おかしい」「いやだ」と感じる気持ちが強くなりました。
私のささやかな経験など、あえて書く必要もないのかもしれなかったけれど、
でも
飯島愛さんも、紅音ほたるさんも、もういないので。

私に文字を綴る力があるうちに
「啓発の場に一緒にいたことがあるよ」
「たすけられたおかげで、啓発する人としての私がいられたよ」
という誰かの記録として
webの世界の片隅にくらいは残してみてもいいんじゃないか、と思ったのでした。

飯島愛さんとも、紅音ほたるさんとも、加藤鷹さんとも、親しいなんてわけでは決してないです。
ただ「時間を共有したことがある」程度の話です。
先方からしてみれば、私の名前も、顔だって、覚えてはいないでしょう。
その程度の、繋がりでもなんでもない、ただの連なりです。

それでも時々、たとえば加藤鷹さんの啓発映像なんかを目にすることがあると今でも、
かつてもらったパワーを思い出して
嬉しいような、勇気づけられたような、またもエンパワメントされたような、
そんな気持ちになることがあります。
私が勝手に感じているだけですけど。


いま、AV業界を取り巻く環境は、大きな波の中にあるようです。
AV出演強要被害の話題が大きく取り扱われ、
それをきっかけに
いろいろな人たちが、いろいろなところで動いているようです。

もしかしたら、
ひいては“セックスワーク”として語られるあらゆる職業にかかわるような動きになるのでは、というような空気も
(第三者でしなかいくせに、勝手に)感じています。

強要にせよ、その他の形にせよ、
もう、これ以上の被害者が生まれませんように。
予防できる・するための力や仕組みが、行き届きますように。
加害が行われてしまった場合には、正しく、被害者の権利や体やこころの回復がなされますように。
そう望みます。
そして、それを誰よりも望んでいるはずなのは、仕事に従事している人たちのはず。
従事している人たちや、かつて従事していた人たちが
“一般の人たち”と分断され、
誰かを守る為の倫理や正義や規範である、ということを理由としたスティグマの強化の中で、
より劣悪な環境に追いやられ、置いていかれるようなことがありませんように。

この私的な文章が、もし、どこかでほんの少しだけでも
そんなスティグマ強化に抗える力の一助になれれば嬉しいです。


おしまい。

以上、全文無料でした。

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